② コーヘー
「コーヘー!」「コーヘー!」
大きな声を出す事は禁止されていても、この日会場で一番聞こえた声だったと思う。
極力抑えた小さな声であっても出さずにはいられない。
日本代表は「
全日本MTB12勝、アジア選手権10勝、ワールドカップ最高15位、日本の出場枠一人だったオリンピックも今回が四回目の連続出場。
ワールドチームにも所属し、世界を舞台に戦い、日本のMTB界を長年引っ張ってきた選手だ。
数年前、彼が目標としている「世界で10位以内」に手が届きそうな時期があった。その頃に比べて世界ランキングは落ちていたけれど、彼は諦めなかった。自国開催の「東京オリンピック」がコーヘーの大きなモチベーションになっていた。
2019年にオリンピックと同じ会場で行われたプレ五輪の時も言っていた。
「自分がずっと戦ってきている世界を日本のみんなに見てほしいんだ」と。
プレで日本の観客の前でその姿を見せる事が出来たコーヘーは喜んでいたが、今日のレースは「世界も自分も本気じゃない」と言いたげだった。「本当に見てほしいのは本番なんだ」と。
コーヘーは選手として本気でやるのは「東京オリンピックまで」という事は早くから公言していた。
肉体的にも精神的にもギリギリの状態でやっているように見えていた。
コロナの影響でオリンピック一年延期の知らせを聞いた時、私が真っ先に思い浮かんだのがコーヘーの顔だった。
「コーヘーは出来るのかな?」
そう思った。
世界の舞台に身を置き、世界で戦う事で強くなった彼が、その場に行く事さえ出来ない。コロナによって与えられた環境は厳し過ぎる。日本にいて、この現状の中でパフォーマンスを上げる事は出来るのか? 保つ事さえ出来るのか? 弱くなってオリンピックを迎えるならば、一層の事ここでやめてしまった方が良いと考えるのか?
私はどっちも有りだと考えていた。もし彼がここでやめる事を選んでも、プレ五輪で日本の多くの人に見せてくれた物が集大成になったとしても、素晴らしい競技人生と言えると思っていた。
決断は早かった。延期が決まって何日も経たないうちに、コーヘーは「一年後を目指す」と公言した。
私はその覚悟に拍手を送りたくなった。
私は何度かコーヘーと一緒にアジア選手権やアジア大会に行っている。
コーヘーは競技に対してはストイックに真髄に取り組む選手だけれど、そのフレンドリーさにはいつも笑ってしまうほどだった。国籍を問わず誰とでも気軽に声を掛け合い、誰とでもすぐに友達になってしまうという感じ。これは選手として大きな素質の一つだと思っていた。いつも明るいコーヘーだったが、私が一番印象に残っているのが2010年に行われたアジア大会で表彰台に立った時の姿だ。
私はそのレースをゴール直前の最後のシングルトラックが見える場所で見ていた。コーヘーは優勝候補ナンバーワンだったが、最後まで香港の選手と競り合っていた。木々の合間から二人の姿が見えた。コーヘーはそこで痛恨のミスを犯し、私は目を覆った。先にゴールラインを超えたのは香港の選手だった。
表彰式。二位の壇上に上がったコーヘーはうなだれていた。私は表彰式の写真を撮ろうとカメラを構えていたが、あまりにも悔しくて堪らない表情をしている姿を見て、シャッターを切る事が出来なかった。
様々な悔しさをバネにコーヘーは強くなった。2020年秋に行われた全日本も強さを見せて優勝し、2021年も国内では勝っていたが、それまでのように他の選手に比べてずば抜けて強いという感じではなかった。
五月、海外遠征を行う事が厳しい中、オリンピックで戦う為に一年以上出場出来ないでいたワールドカップに強行出場。二レースに出場したが、競技人生最後となるワールドカップのレースでは完走する事さえ出来なかった。それでもコーヘーはここで戦う事が出来た事への感謝の言葉を述べていた。
そして迎えた東京オリンピック。
世界の本気レースで本気で走るコーヘーの姿をみんなが観ていた。
最初から最後まで集中した走りだった。少しでも前へ、少しでも速く。余分な物を全て削ぎ落とした身体と、研ぎ澄まされた心で自分をプッシュし続けた。身体が表現しているようだった。
「これが山本幸平が生きてきた世界です」
「これが山本幸平です」と。
コーヘーはこれを見せたかったんだと思う。
私達はこれを見たかったんだと思う。
素晴らしい走りだった。トップから数分後、大きなは拍手の渦の中、コーヘーは手を合わせてゴールし、観客に向けて大きく手を振った。
オリンピックの開催、有観客、最高のレースに感謝!
これ以上無いと思える競技生活最高の締めくくり。
「やりきったね。素晴らしい競技生活、おめでとう!」
そしてこの場面に立ち会えた事に「ありがとう!」
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