① MTB会場
指定されたシャトルバスが出発する一時間ほど前に修善寺駅に到着する。混雑は無い。少し駅をふらふらしていると、ボランティアのおばちゃんに声を掛けられた。おばちゃんは素敵なカバーが付いたポケットティッシュを差し出した。
「来て下さった皆様に喜んでもらいたくて、私達が心を込めて一つ一つ作りました。お好きな物を一つどうぞ」
日本らしさ溢れる和柄のティッシュカバー。外国の方ならさぞ喜ぶだろうと思いながらも、日本人の私だってとっても嬉しくて心が温まる。
朱色っぽい生地に紅葉のようなお花が散りばめられている物を頂いた。この方達も、開催を信じて、ずっとずっと前から準備してきたんだろうなと思う。
「ようこそ修善寺に。これは、日本の着物の布で作ったポケットティッシュ入れです。おみやげにどうぞ」
そう書いてあった。
シャトルバスを降り、会場に入る前に検温や手荷物チェックが行われる。観客が人数制限されているので混雑は無くスムーズだ。
荷物チェック場の出口と会場入り口には沢山の朝顔の鉢植えが置いてあった。
「あ〜、これだな」と思う。
小学生が育て、一鉢一鉢にメッセージを付けた物が少し話題になっていた。選手を励ますメッセージ、世界中から訪れる人々へのおもてなし。
海外からお客様をお迎えする事は出来ず、ほとんどの会場は無観客。この朝顔達もメッセージも沢山の人達に直接見てもらえる事はなかったけれど、その分、これを見る事が出来た選手達や限られた人達には届く物が大きかったと思うし、実際は見れなくても多くの人々に伝わったんじゃないかな? と思う。
修善寺の日本サイクルスポーツセンター内にあるMTB(マウンテンバイク)会場。
限られた人数の観客を入れて行う、極々限られた競技の中に、MTBが入っていた。そして幸運にも私はその競技の男子レースを観戦する事が出来た。
2019年の秋にここでプレ五輪が開催され、世界中からトップクラスの選手が集まった。選手や観客、特にMTB競技を知る誰もが驚いたのがそのコースの難易度だった。
ここ数年の世界のMTB競技は、それ以前と全く違うと言っていいほどコースの難易度が増し、フィジカルは勿論、MTBを操る高い技術を要求される物となっている。そんな近年の世界中のレースを転戦している選手にさえ「こんな難しいコースはこれまで走った事がない」と言わしめるほど。世界のトップの選手でさえ初見は戸惑ったようだがニ日間の試走を終えて、レース当日には素晴らしいレースを魅せてくれた。
彼らがここから、来るべき日に向けて本気で取り組み、本気で戦う本番が楽しみでならなかったのを思い出す。
全長4,100メートルのコースの脇の至る所で観戦が可能だ。
スタートまではまだ時間があったが、スタートが見えて、先頭を争いながら集団で進む見所に腰を据えて待っていた。
周りの人達の会話が耳に入る。小学校低学年位の男の子二人を連れた家族が「やっぱりスタート地点に行く」と言っている。
「マチューを近くで見たいんだよね」
先日まで行われていたツール・ド・フランスでも、皆がたまげるような強さを見せてステージ優勝、マイヨジョーヌも何日間か着た自転車界のスーパースターの一人。男の子はレース云々よりも、とにかく憧れの選手を出来るだけ近くで見たいようだった。男の子の目はキラキラしていた。
これだよね。反対も沢山ある中で有観客にしてくれて、ありがとうって思った。
コースは美しい。ポイントポイントに地元や日本にちなんだ名前が付けられている。
起伏と岩、競り合いが魅力の「天城越え」。
沢山の大きな岩が縦に並んでいる所を選手達は滑るように下ってくる。まるで滝のように見えるそのセクションは「浄蓮の滝」。
木や岩をすり抜けて進む「枯山水」。
二本の大きな丸太を置いた「箸」。
1.5メートルの落差を桜のように舞い降りる、観客を唸らせるジャンプポイント「散り桜」。
入り口と出口に日本らしい朱色の橋が架けられ、伊豆半島をかたどった芝生とコスモスのエリア「伊豆半島」。
など、世界に向けて日本や地元をアピール出来るコースを選手達が駆け抜けていく。
観客と選手の距離は近い。その息遣いや表情まで見てとれる。研ぎ澄まされた肉体と技術、そのパフォーマンスに酔いしれる。
マスクをしていても大声を出しての応援は禁止されているので拍手が多くなるが、少し抑えた声が飛び交うのは仕方無い。最大の配慮をしながらも、最大のパワーを送りたい。会場にいる人達は選手を含め、そういった物を共有しているんだと思えた。
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