第9話 コネクション

「すびばせんでした……」

 正座をさせられたゴブリンが、かすれ切った声で言った。その体は傷だらけになっており、目の前に立つ二人にどれだけ痛めつけられたかが見てわかる。

 事が収まるころには美羽も合流しており、気まずい空気が流れていた。

「ま、まぁ許してあげましょうよ。ね?」

 その場を治めるためにへらへらと笑ってごまかそうとするが、美羽の配慮も二人にはまったく意味をなさなかった。

 鬼のような形相の二人が、ゴブリンをにらみつけながら口を開く。

「アンタねぇ、こいつに殺されてたのかもしれないのよ?」

「そうだぞ。そんなやつを許せるってのか?」

 今にも襲いかかりそうな二人を必死に抑え、美羽は言う。

「で、でも二人が殴ってるときにこの子は抵抗しなかったんですよね?」

「……ま、まぁそうだな」

 不意を突かれたといわんばかりに、マネージャーの目が大きく見開かれた。横で聞いていた琴葉も、なんと言えばよいかわからずに目をそらしてしまう。

 それをわかっているのか、美羽は子供を諭すように言葉をつづけた。

「これだけ反省しているんだし、襲っちゃったことを後悔してるんじゃないですか?」

 その言葉に返事はなかった。沈黙がしばらく場を支配する。

 それを見かねた美羽が、ゴブリンに問いかけた。

「あの、ちゃんと反省していますか?」

「そ、そりゃもちろん……」

 どこを見ていいのかわからず、ゴブリンはじっと地面を見つめたままそう言った。

 彼の言葉を確認すると、美羽はとびきりの笑顔でゴブリンと向かい合う。そして、自分と目が合うように顔を上げさせた。

「うん、それじゃ私は許します」

 その言葉に反対する者はいなかった。すっと立ち上がると、彼女は軽くゴブリンの頭を優しくなでた。

「お、おぉ……おおぉ!」

 今まで受けたことのない優しさに、ゴブリンの目には自然と涙があふれていた。滝のように流れる涙は、人間のそれと何ら変わりない……いや、人間よりも純粋な感動のみの涙だった。

「よし、それじゃ帰りましょうか」

「あ、あぁ……」

 あっけにとられつつも、マネージャーと琴葉は帰路に就こうとゴブリンに背を向ける。そして、もと来たけもの道を進もうとしたとき、背後からゴブリンの声が響いた。

「ま、待ってくれ」

「なんだ、しつこいな……ってうぉあ!?」

 マネージャーが振り返ると、先ほどまで動く様子のなったゴブリンがすぐ後ろまで迫っていた。教室の端から端ほどの距離を一瞬にして詰めた彼を見て、マネージャーは三度みたび警戒する。

 しかし、ゴブリンは襲いかかることなく、美羽に泣きつきだした。

「め、女神さま! アンタは俺の女神さまだ!」

「へ?」

 三人は、彼が何を言っているのかいまいち理解ができなかった。「とうとう気でも狂ったか」とぼやく琴葉をよそに、ゴブリンは話を続けた。

「お、俺にこんなにも優しくしてくれたのはアンタが初めてだ! 俺を見捨てないでくれ!」

「うわぁ……また変なことになった。ってかきたなっ!」

 顔中を涙と鼻水で濡らしたゴブリンを見て、琴葉の口が滑る。しかし、それも今はゴブリンの耳には届いていないようだった。

 美羽と琴葉が困り果てていると、マネージャーがとある提案を持ちかけた。

「それじゃ、こうしよう。お前、魔物たちとも会話はできるんだよな?」

「まぁ、話せるやつとなら……」

 いきなり何を言い出すのか。不審に思いつつも、ゴブリンは答えた。

 そして、彼の返答を聞くと、マネージャーはニヤリと薄気味悪い笑みを浮かべた。

「よし、それなら魔物側とのコネクションになってくれ。あ、コネクションって意味わかるか?」

「なんだそれ」

 聞きなれぬ言葉にゴブリンは首を傾げた。隣で聞いていた琴葉は、また突拍子のないことを言い出したと呆れていたが、話を遮るようなことはしない。美羽に至っては、名案だというように食い気味になって彼の言葉を聞いている。

各々の反応など想定済みだといわんばかりに、マネージャーはさらなる説明をする。

「よし。んでコネクションの説明だったな。橋渡しになるんだよ。俺たちが交渉をしやすいように、お前から魔物たちに話を持ちかけてくれ」

「いやだと言ったら?」

「殺す」

 即答だった。冷たい視線がゴブリンに突き刺さる。先ほどのことが脳内でフラッシュバックを起こしたのだろう。ゴブリンはその言葉に過剰なまでにおびえるそぶりをした。

「わ、わかった。別にいいけど……なにをするつもりなんだ?」

 彼には皆目見当がつかなかった。アイドルなどとは無縁である魔物にとって、交渉するというのはダンジョンを攻略することと同義だ。腕っぷしのよさそうな人間であればそれもうなずけるのだが、今目の前にいるのは非力な女が二人。男の方は、戦えはしても武器も持っていない始末。これで彼らが本気でダンジョンを攻略しようと思っているなど、ゴブリンには想像もつかなったのだ。

「アイドル活動だ。この子たちを字面通り、本当の地下アイドルとして再デビューさせる」

 だから、マネージャーが放ったこの一言も、ゴブリンには理解できなかった。

「あいどる?」

「アタシたちみたいな美男美女が、歌って踊る職業よ」

「普通自分で言うかそれ……」

 胸を張って琴葉はそう答えた。ゴブリンにとって人間の言う美男美女という感覚は知りもしなかったが、歌って踊ることが職業であるということは彼の興味をそそった。冒険家以外の人間を見たことのない彼にとっては、歌や踊りは魔物の攻撃手段でしかない。そのようなことを生業としているのであれば、先ほどの強さも納得できるものがある。ゴブリンは勝手に結論付けた。

「ということは、女神さまも踊るのか?」

「そうだよ。私もアイドル」

「アイドル……」

 その一言に、彼の答えは詰まっていた。

(め、女神さまの歌……聞きたい。俺は聞きたい!)

 あふれんばかりの好奇心が、彼を駆り立てる。

 それが表情にも出ていたのか、マネージャーは確信をもって言った。

「交渉成立だな……っと、確認するのを忘れてた。お前らはそれでもいいよな?」

「もちろんです!」

「まぁ、それで計画が進められるなら……」

「よし、それじゃ……」

体を伸ばしながら、マネージャーは二人を一瞥した。仲間となったゴブリンに気を取られ、彼女たちの視線にマネージャーはいない。それが好機だと、痛む足も忘れ走り出した。

「お、おい!」

「ちっ、あの野郎……待てー!」

 ゴブリンの一言で二人も気づく。しかし、追いかけたころには時すでに遅し。マネージャーの姿はすでにどこにも見えなかった。

「え、えと……どういうこと?」

 一人状況を呑みこめていない美羽が琴葉に尋ねる。

「逃げたのよ! こんなやつにすべてを押し付けて!」

「こんなやつっていうな。こんなやつって」

 琴葉は感情のままに地面を蹴りながら、美羽の問いに答えた。

「と、とにかく。これからどうしよっか」

「俺は女神さまがしたいようにすればそれでいい」

「アンタねぇ……」

 ゴブリンの一言で余計な怒りが積もっていく。琴葉の怒りが限界に達しようとしたとき、二人のスマホが震えた。画面には共通して『マネージャー』の文字が映し出されている。

 慌てて確認すると、悪びれた様子もないメールが届いていた。

『お疲れさん! ゴブリンっていう優秀そうなマネージャーがついたし、もう俺の役目は終わりだろ。問題だった戦力も確保できたし、今じゃ俺は完全に邪魔ものだ。

っつーことで俺はお前たちのマネージャーをやめる! いや、本当はひっじょーに心苦しいんだよ? でもマネージャーは二人もいらないっていうかぁ……まぁ、そんな感じ? なんでもいいや。ま、あとはがんばれー

P.S.衣装は入り口に置きっぱなしにしてる。それでなんとかしてね☆』

読み終わると同時に琴葉は自分のスマホを地面に投げつけた。怒りの矛先になったスマホは、画面がバキバキに割れてしまっている。

「あー、もう。イッライラする」

「琴葉ちゃん落ち着いて。ゴブリンも怖がってる」

 美羽が必死になだめることで、かろうじてほかの犠牲が出ることはなかった。



 いったん入り口に戻り、三人は再びこれからのことを話し合う。

「それで、結局アンタはどうしたいわけ」

 琴葉の問いかけに、美羽は少し考える。しかし、彼女の答えは変わらなかった。

「私は、やっぱりまだアイドル続けたいかなぁ……琴葉ちゃんもそうでしょ?」

「アタシは別にどっちでも……」

 頬杖をつきながら不服そうに琴葉が言う。そっけない返事に、美羽も返す言葉がなかった。

 ゴブリンはというと、マネージャーが置いて行ったカバンを興味深そうに見ていた。琴葉に「絶対に開けるな」と言われているからか、少し離れたところからじっと眺めている。

「と、とにかく! 私は進むよ。まだアイドルができるなら、私頑張る!」

 熱のこもった言葉とともに、美羽が立ち上がる。こうなった彼女は引かないということを、琴葉は理解していた。

 観念したように、息を吐く。そして、つられるようにゆっくりと立ち上がった。

「仕方ないわね……ホント」

 頬をかきながら琴葉はゆっくりと歩き出した。

「ほら、アンタも行くわよ。また係員でも来ちゃったら、それでアタシたち詰みよ」

「あ、待ってよ琴葉ちゃん……ゴブリンさんも早く!」

 ゴブリンの手を引っ張る。カバンを拾い上げながら、美羽も琴葉のあとへと続いて行った。

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