第3話 さすがに引くわ

 収録当日。いつもとは違う舞台に、美羽たちの身体は自然とこわばっていた。二人は台本を宝物のように抱きしめながら、広々とした楽屋で本番が来るのをじっと待っている。

「お、落ち着け。こういうときこそ深呼吸だ」

「そ、そうですね。ひっひっふー、ひっひっふー」

「それはまた違うでしょーが」

 たわいないやり取りにも、どこかぎこちなさが残っている。

 その光景が美羽にとっては新鮮だった。肩の力も抜けていき、いつの間にやら自然体へと戻っていく。

「お疲れさん」

 そのまま本番直前といったところで、楽屋の扉が開かれた。三人の視線が入ってきた人物に集中する。そこにいたのは今回の撮影監督だった。無精ひげを大事そうになでながら、遠慮なくずかずかと入り込んでくる。

「お疲れ様です!」

 マネージャーはここぞとばかりに威勢よく頭を下げた。綺麗に直角を作り、目の前の人物を丁重に迎え入れる。先ほどまでの彼とはまるで別人だ。

 あれだけ大きく見えたマネージャーが、たちまち小動物のようになっていくさまを見て、美羽は引きつった笑みを見せる。琴葉も似たような反応だったが、状況を受け入れると、監督には聞こえないように小さくため息をついた。

「なんで私たちのとこなんかに……」

「知らないわよ」

 ひそひそと話す二人をよそに、監督は威圧的なオーラを漂わせながらマネージャーを凝視していた。サングラスの奥の瞳が、目の前の三人を焼き尽くすかの如くメラメラと燃えている。

「っとねぇ、ちょっち話があるんだけど」

「はい、それはもうなんでも」

「これなんだけどさ」

 言うと、監督はズボンのポケットからスマホを取り出した。すぐに美羽たちに見せるつもりだったようで、画面のロックはすでに解除されている。

 三人が顔をくっつけるように画面をのぞき込むと、そこには『人気地下アイドル プチ炎上?』と題されたネット記事が映り込んでいた。

「今どきこんなのに釣られるなんてこのアイドルもバカよね」

 はん、と琴葉は鼻で笑う。

自分たち(少なくとも琴葉自身)には絶対の自信をもっている彼女にとって、この手のニュース記事はそこまで動揺するものではない。それは美羽たちもよくわかっている。だからこそ、彼女たちも極力この手の記事は読まないようにしてきた。

 すっと、記事が流れていく。真ん中のあたりにまで下りたところで、監督の手が止まった。

「これ、明らかに君だよね」

「なになに……」

 画面には一枚の画像が貼りつけられていた。アイドルのファンと思わしき人物が、つぶやきを投稿するサイトにつぶやいていたスクリーンショットである。より詳しく見てみると、『琴葉ちゃんが可愛すぎて他のものなんていらない』に始まり、『今日のライブ、琴葉ちゃんの汗が飲めたから大満足』などといった怪しい投稿までが収められている。

「うっわ、最低……引くわ」

 汚物を見るような目で、画面を凝視する。その視線は機械であるスマホでさえも凍てつかせる勢いであった。

「マネージャーさん、これって」

「ネットストーカー……ってやつだな」

「そ、最近じゃ珍しいもんでもないけどね」

 そう話しながら監督はさらに下へと記事を進めた。そこにはもう一枚画像が貼りつけらている。

「ひっ!」

 美羽が思わず目をそらした。

 写真はまたしても琴葉のファンと思われるアカウントのスクリーンショットだった。それも一件だけ。『みぃつけた』とだけ書かれた不気味な投稿だった。

「こ、これってもしかして……」

「ま、そういうことだろうね」

 スマホをポケットにしまうと、監督は呆れかえった様子で三人を見ていた。

 当の琴葉本人は、驚きのあまり何も言えなかった。思考もうまくまとまらず、ただ口をポカンと開けて立ち尽くしている。しかし、美羽のショックはデカかった。自分のファンではないとはいったものの、自分の相方が被害にあったのだ。本来仲間を思う心をもつ彼女が、それを気にしないわけがない。

「う、嘘ですよね? こんな、こんなことって」

「嘘だと思う? なら聞いてみろよ。すぐそこにいるファンの方に」

 マネージャーの方に視線が集まる。

 しかし彼は押し黙ったまま、何も答えることはなかった。

「とにかく、今対応を考えてる途中だから。収録ちょっと遅れるよ」

 それだけを言い残して、監督は楽屋を後にした。残された部屋には、何ともいえない気まずい空気が流れている。

「マネージャー……」

「まぁ俺らが何を言っても仕方ない。今はおとなしく待っていよう」

 マネージャーの一言で会話は途切れた。

 不安そうな美羽の表情が彼に刺さる。言葉では落ち着いているが、マネージャーも内心は同じであった。お互いに今後の道を見失いそうになる。けれど、一番ショックを受けているのは琴葉自身なのだということも理解している。だからこそ、監督からの指示があるまでは折れないでいようと目を配っていた。

「……あのさ」

 琴葉が口を開く。まだ気持ちを切り替えきれていないが、それでも前に進もうとする気力だけは残っていた。

「なんか勘違いしてない? アタシこれっぽっちも気にしてないんだけど」

「「へ?」」

 見事に息の合った返事で、場の空気が一気に緩くなった。

 自分たちの思っていたものとは違う展開に、二人は理解が追い付いていない。無意識に動いた手は、ゾンビのように空をつかんでいた。

「だから、気にしてないんだって。あんな気持ち悪いの、人間だって思ってないし」

「え、でもさっき悲鳴を……」

「悲鳴をあげたのは美羽でしょうが。それくらい聞き分けなさいよ、ダメマネージャー」

 これはいつもの琴葉だ。今の一言で二人は確信を得た。それまで遠慮がちだった二人の声色が、ようやく元通りになる。

「なんだ、それならあんな驚き方しなくても」

「あんたね、いきなりゴキブリが出てきても無反応でいられる? アタシはぜっっっっったいに無理よ」

「な、なにもそこまで言わなくても」

「美羽も美羽よ。アタシより驚いてどうすんの」

「ご、ごめん」

 いつも通りの琴葉が戻ってきた。それは喜ぶべきことなのだが、この毒舌ばかりはどうにかならないのかと、マネージャーは別の意味で悩まされることとなるのであった。

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