第2話 MC.タランチュラ

 そもそも美羽と琴葉は特段相性がいいというわけではない。地下アイドルとして活動するために、無理やりユニットを組まされた二人は、互いのことを何も知らないのだ。趣味や誕生日はおろか、連絡先さえも交換していない。

 美羽の方から何度歩み寄っても、「仕事は仕事でしょ」や「プライベートにまで干渉しないでよ」と、突っぱねられてしまうのだ。

 こんなことを繰り返しているうちに、美羽も彼女に深く入り込むことを諦めてしまった。

 こうして、二人の仕事上の関係は形成されている。これは今も変わらない。


「とにかくだ、撮影は来週に決まったから遅れるなよ」

 そう言いながら、マネージャーは自分のコートを手に持った。いつの間にかクラッチバッグも携えており、今すぐにでも現場から離れる装いをしている。

「遅れるなよって、マネージャーさん出かけるんですか?」

「あぁ、ちょっとな。今日は帰れそうにないから、ライブ終わったら勝手に帰ってくれ」

「はぁ!? 待ってよ、私たちどうやって帰るのよ」

「それは、まぁ……タクシーでも拾ってくれ! じゃあな」

「あ、ちょっと待て!」

 琴葉の叫びもむなしく、マネージャーは逃げるように部屋を出て行った。この後にライブを控えている以上、深追いすることもできない。取り残された二人は、なすすべもなく立ち尽くすしかなかった。

「あのバカマネージャー、タクシー代くらい置いていきなさいよ」

「怒るとこそこなの!?」

「当たり前でしょ!? 今月の給料いくらだったと思ってんの」

「十五万だね」

「かかった経費は!」

「ろ、六万ちょいかなぁ」

「そっから家賃とかを引けば! タクシー代なんて出せるわけないじゃん……」

 頭を抱え、語尾が弱弱しくなっていく琴葉に、美羽はとっさに言葉をかけることができなかった。

 美羽の方も、財布の中にはじゃらじゃらとした小銭があるばかりで、とてもではないがタクシーなど呼べそうではない。それどころか、電車に乗ることさえ彼女たちにとってはかなりの痛手なのだ。

「で、でもさ。今度のテレビ出演でうまくいけば私たちだってタクシーの一台や二台……」

「今乗れないと意味ないでしょうが」

 琴葉の一言で、室内は重い沈黙が支配することとなった。

 こんな状況になっても、琴葉はまったくと言っていいほど動じていない素振りを見せている。それがプロ意識から成せることなのか、美羽には判断がつかない。

美羽もそれ以上何かを言うことはなかった。

「と、とりあえずテレビでも観ようかな……」

 そう言って、美羽は楽屋に備え付けられていたテレビの電源をつけた。映し出されたニュース番組では、いかにも堅苦しい装いの男性キャスターが原稿をつらつらと読み上げている。

『今日未明、○○市近くのダンジョンにて冒険者が……』

「あ、また事件……」

 思わず美羽はつぶやく。

 高度に発展した文明の中で、唯一残った自然の産物。人を襲う獣や魔物たちがはびこるその場所を、人はダンジョンと呼んでいた。昔の人々は、これを自然の摂理とし敬ってきたが、そのような神秘性は現代まで継承されることはなかった。

 そうして、街の発展のために生まれた職業が冒険者である。彼らはダンジョンを攻略し、その土地を明け渡すか宝石などの金品を売り払うことで生計を立てているのだ。

 そんな職業であるからこそ、こうした冒険者に関する事件は多い。大抵は攻略したことに関する報道が多いのだが、道中を獣に襲われて亡くなるといったことも日常茶飯事なのだ。

「最近多くなったよね……」

「あたしたちには関係のないことでしょ」

(うぅ……気まずい)

 せっかくの話題も、たった一言であしらわれてしまう。美羽にとっての最後の希望も、簡単に水の泡と化してしまった。

「あー、そろそろ時間なんだけど」

「はーい」

 いつも以上にピリピリとした空気の中、スタッフが楽屋を訪れる。そのおかげで、この場は一旦流れることとなった。


 小さなハコの中で、熱と熱がぶつかり合う。汗は蒸気と化し、室内の熱気は限界まで高鳴っていた。

「みんなー! 今日は出血大サービスだよぉ!」

 美羽のMCに応えるように、ファンたちからコールが返ってくる。それはコールなどというよりは音の兵器に近い。それほどまでに、彼らの声援は凄まじいものだった。

「今日のゲストは~~~、こいつらだぁ!」

「「「Foooooo!!」」」

 バックモニターには、美羽のスマホで撮影されたものが映し出されていた。それは普段のライブであれば、絶対に目にしないものであろう。黒い身体についている八本の足は、見るだけで人に恐怖心を抱かせる。それが真っ白な皿の上に載せられているせいで、強烈な違和感を観客たちに与えていた。

「今日はこいつらを食べていこうと思いまーす!」

 一瞬ではあるが、会場が声援とは違うざわめきを見せた。

「おいおい、マジかよ」

「あんなもん、誰がリクエストしたんだ?」

「やっぱ美羽ちゃんは他とはちげぇや!」

 様々な声が上がる中、美羽はひょいとつまみ上げると、それを何の躊躇いもなく一気に口へと運んだ。

「いやぁ、いくらなんでも蜘蛛なんて初めて食べましたよ。あ、でもまだ一匹余ってますね」

 そこで、琴葉のほうに視線が集まる。誰が言ったかは知らないが、たちまちに琴葉にコールが集まった。

(え、ちょっと待ってよ。ホントにこれ食べんの? いや、無理無理無理無理。そもそも意味わかんなくない。なんで蜘蛛)

 呆然とする琴葉をよそに、美羽は蜘蛛をつまんだ。そして、そのままゆっくりと琴葉のもとへ歩み寄る。

「え、嘘。冗談だよね?」

 琴葉の笑顔がひきつる。普段とは違った表情を見せる彼女に対し、ファンの声援は一層強くなっていった。

「残念、本当です」

 その一言が最後だった。琴葉の頬を左手でつかむと、わずかに空いた隙間から蜘蛛を口の中へとねじこんでいく。足についた毛が唇をなぞると、琴葉の背筋がぞわぞわと激しく震えだした。

「~~~~~~っ!?」

 声にならない悲鳴をあげながら、思わずその場でのたうち回る。もはやライブのことなど頭から抜け落ちてしまっていた。しかしそれでも、ファンの熱気が冷めることはない。むしろ、普段見ることのできない琴葉の姿をお目にかかれたせいか、会場は最高潮に盛り上がっていた。

 その異様なまでの熱気に包まれたまま、ライブは終了した。


「お疲れっしたー」

 気の抜けたあいさつで琴葉はスタジオを出ていった。深々とお辞儀をすると、その後を追うように美羽も外に出る。

 ライブ自体は大成功だった。どんな無茶ぶりにもこたえようとする美羽を、清純派アイドルとして猫をかぶり続ける琴葉が必死にサポートする。彼女たちは、結成してからずっとこの体制で歩み続けてきた。ファンレターなどで募集したリクエストに、体を張って応えていく、いつもと何ら変わりのないパフォーマンス。しかし、それは「大道芸アイドル」として、彼女たちの個性をあらぬ方向性に確立させるものとなっていた。

 現に彼女たちの人気は高い。結成されてまだ一年という短さで、地下アイドルというジャンルでくくってしまうには惜しいほどの人材にまで上り詰めた。

 アイドル業一本でギリギリではあるが生活ができている。これが地下アイドルにとっては、成功している何よりの証明となっているのだ。


「あ、えっと……琴葉ちゃん」

「何?」

 不機嫌そうな顔で、美羽のことをにらみつける。

 無茶に無茶を重ねたようなライブは、彼女をいらだたせるには十分すぎるものであった。毎回ライブが終わるとこの調子なのだが、今日は一段とひどい。美羽の無茶ぶりに、琴葉も巻き込まれたからであろう。

 ファンのコールにあおられて、この世で最も嫌う蜘蛛を食べさせられたのだ。口の中ではまだあの時の食感が残っている。

「きょ、今日はホントにごめんね……流れだったとはいえ」

「思い出させないでくれる!? ……うぇ、気持ち悪い」

 これ以上は近づくな。そんな気配を察し、美羽はそれ以上の謝罪をやめた。

 しかしせめてもと、フラフラの彼女を護衛するように後ろに張り付く。一見すると迷惑極まりないのだが、これ以上叫ばぬよう琴葉は必死に目をそらした。

「と、とにかく。地上波に出ればこんな思いもしなくて済むんだから、それまでは付き合ってあげるわよ」

「……うん!」

 琴葉の言葉で美羽に再び笑顔が戻ってくる。その笑顔を知らぬまま、琴葉は長い長い帰路に就くのであった。

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