第12話 日本拳法と太極拳 その4
○ Thi Minh Huyen TRANさんとは
このビデオが撮影された2015年の時点で、おそらく20歳くらいのベトナム人女性です。FacebookやTwitterをやりませんので、それ以上は知りませんが、それで十分です。
「28th SEA GAMES Syngapore 2015 WUSHU(武術) Women's Optional Taijituan(太極拳)」で、9人の参加者中2位になられました。
太極拳について全く知らなかった私ですが、このThi Minh Huyen TRANさんの演武をこの2週間、毎日15回ほど見て「太極拳とは何か」を理解、俗な言葉で言えば「悟り」ました。「これぞ太極拳」「太極拳とはかくあるべきである」という確信です。
坊主時代、名ばかりでいい加減な「師匠」は山ほどいましたが、私が一生気づかなかったであろう、人生において最も大切なことを、わずか4分間の演武で教えて・伝えてくれたという意味では、彼女こそ私にとって人生最大の師と呼べるでしょう。
他人が提唱する「太極拳とはこういうものである」なんていう理論なり話を聞くと、自分の自由な発想が阻害される、ということもあります。
その意味で、いきなり最高の太極拳を見て、そこから、なぜ素晴らしいのかを帰納する(理論・理屈を抽出する)というプロセスによって、太極拳というものを知ることができた私は本当に幸運でした。
ですから、ここに述べる太極拳理論とは全くの私見です。「太極拳とはこういうもの」という一般的な話とは多少ちがうかもしれません、私はそれでいいと思っています。
さて、その私の太極拳観(下記①~⑤)からすると、この大会(28th SEA GAMES Syngapore 2015 WUSHU Women's Optional Taijituan)の優勝者はThi Minh Huyen TRANさんのはずなのです。
また、2021年8月の時点でYou-Yubeにアップされた、ここ数年間の他のどの太極拳の演武(武器を持たずに女性一人で行う)と比べても、彼女ほどの素晴らしい太極拳を見ることはできません。この大会における彼女の演武は、そう思わせるに十分な説得力を持っています。
しかし、日本拳法のような、「一本」という物理的に明確な得点で競うのではなく、9人の審査員(審判ではなく審査です)の感覚による評価というのは、審査員が多い分、かえって評価が「ぶれる」のかもしれません。
(同じThi Minh Huyen TRANさんの、2017年や2019年の大会における演武も見ることができますが、2015年に比べるとそれほど良いできには見えません。振り付けが違う、撮影の品質(撮影位置・角度等)がよくないといった理由もあるのでしょう。)
○「太極拳とはなにか」 私の太極拳観
① 武の表現
太極拳とは、その鍛えられた強い心・精神力を、身体全体を使って表現する武道である。
太極拳の本家中国では「WUSHU 武術」と呼称するくらいですから、単なる踊り(バレエ・新体操・フィギュアスケートの類)とは違います。美しさや可憐さ、愛や恋を表現する場ではなく、戦う心(武士の武)を、如何に(ゆっくり・じっくり)見せるかが最大のポイント。
(元来、殺し合いという真剣勝負由来の)武術ですから、いくら女性とはいえ、フィギュアスケートのように笑顔を振りまいて演技するなんてことはない。その点、日本拳法は男女ともに面や胴を着用していますから、顔もスタイルもわからないし、女性でさえ股当てなんかしてますから、ドン臭いことこの上ない。でも、それだからこそいい。日本拳法も太極拳も顔やスタイルは関係なし、硬派のスポーツ(武道)なのです。
② 戦う心で自分というものを認識し、他者を意識して自己を表現する
愛や恋、美しさや可憐さという心で空間を切り取るのがフィギュアスケートやモダンバレエであるなら、太極拳とは戦う心で時間と空間を切り取る、自己認識と自己表現の道です。
殺すか殺されるかという場、戦うことで人間(生き物)としての生存(権)を手に入れようとする最も原始的な状況。そういう命がけギリギリの場で磨かれた感性こそが、真の自分というものを(冷徹で合理的な観点から)正しく認識することを可能にしてくれる。
そして、更にそれを人々に見せて理解してもらう為の表現力(社会性)を鍛える道(即ち、死ぬまで鍛錬する)、それが太極拳という、自己の認識とその表現・伝達(力)を鍛える武道というものなのです。
③ 円と異次元の思想
自己認識とその表現のために、直線、或いは円弧で空間を切り取るだけでは不十分であり、完全な円運動(形而下と形而上の一致)が要求される。
また、切り・斬り・伐りのちがいを識別して表現する深い理解力と表現力、突いて引っ張って、捏ねて叩いて練って寝かすという、次元間を自在に移動する表現力こそが太極拳の真骨頂。
④ 大衆性・普遍性
片足を高く上げて静止するといった高度な力技は訓練の賜物、かもしれませんが、特別の人にしかできない曲芸士のような技では、太極拳の目指す大衆性・平等性は確保されない。
日本拳法でも、後ろ面回し蹴りなどという大技を使わず、ごくごく平凡な、誰でもできるような技を、場と間合いとタイミングの妙によって決めるところに、日本拳法の素晴らしさ・醍醐味があるのではないでしょうか。
⑤ 矛盾の解消
太極拳における演武の開始・終了の挨拶は、日本拳法の「押忍」でも日本式「礼」でもない。真平らにした左手の掌(てのひら)に右手の拳(こぶし)を当て、そのまま前へグッと突き出す。最強の盾と最強の矛のぶつかり合いです。
これが太極拳の根本原理。つまり、攻撃と防御、ゆっくりと速く、深くと浅く、強くと弱く、そして戦争と平和といった、互いに相反する力を如何にうまくコントロールして、調和を生み出すかに、この武道最大の眼目があるのです。
これら5つの太極拳原理とは、そのまま日本拳法にも当てはまります。
ですので、いかに速く・いかに強い力で現実にぶん殴る・蹴る・投げるかという命題の元でこれら諸原理を実現しようとする日本拳法において、太極拳とは(形而上下)大きな鏡となるのです。
大学日本拳法では、積極的に「太極拳」を取り入れていくべきでしょう。
まあ、幾ら言っても仕方がない。
論より証拠。この大会のビデオをご覧になり、更に興味があれば、You-Tubeで他の太極拳の演武や試合をご覧になるといいでしょう。
Thi Minh Huyen TRANさんの「この演武」は、古今東西、当代における卓出した光を放っている。その次元と格の違いを示す強烈な存在感を、(日本拳法的なる)ご自分の目と頭で、じっくりと味わっていただきたいと思います。
そして、Thi Minh Huyen TRANさんありがとう。
28th SEA GAMES Syngapore 2015 WUSHU Women's Optional Taijituan
https://www.youtube.com/watch?v=Oz4pfvb0Uzk
2021年09月01日
平栗雅人
完 2020年 第65回 全日本学生拳法選手権大会観戦記 V 1.15 @MasatoHiraguri
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