パーフェクト・ワン!

秋乃晃

「はじめまして」

 駅のホームでぼくはひとりメランコリーな気持ちに浸ってため息をついた。

 生まれてこの方、山手線の生み出した環状の外側に出たことのないこのぼくが。

 ミリタリーブーツのひもを結びなおしながら思う。


「生きているうちにフォッサマグナを越えるとは」


 ママからもらった大事なチロリアンハットを被り直す。

 パパからもらった大事な腕時計で時間を確認した。

 この腕時計は日付が表示されるタイプのものだ。

 本日は9月1日。

 何かを始めるには日付だ、と、ぼくは前向きに考えることとする。

 ふと目をつぶり、1週間前のあの日のことを思い出す。


「オーサカ支部!?」


 素っ頓狂な声を上げてしまった。

 部屋の外まで聞こえただろう。

 このぼくに恥をかかせるなんてひどい男だ。


「エイプリルフールにしては遅すぎでは」


 4ヶ月前の話だぞ。

 情報部の部長室に呼び出されたぼくは、最初、オーサカ支部への異動をとんでもない冗談と受け取った。

 作倉部長は微笑む。


「いいところですよ」


 この言葉を鵜呑みにするような阿呆ではない。

 絶対に嫌だ。

 なんでぼくがオーサカ支部に行かなきゃならないんだ。

 ほかの誰よりも秀でて優れた仕事をしているぼくが。

 なぜトウキョーから離れなければならないのか。


「うらやましいぐらいですけどねえ」


 サングラスの向こう側に見える瞳はぼくを捉えていない。

ぼくはこの人のことを両親の次に尊敬しているつもりだったが、こうも真意の見えないセリフを吐かれると不安になる。

 エリートであるこのぼくが、オーサカ支部?

 いや、待てよ。


「作倉部長、かっこいいからという理由での異動。考え直していただけませんか?」


 ほかに原因が思い浮かばない。

 イケメンすぎるぼくがオフィスにいる。

 周りの仕事に支障を来しているのだろう。

 由々しき事態だ。

 最高責任者である作倉部長がぼくを遠ざけようとするのも納得できる。


「正直、あなたのような素晴らしい人材をオーサカ支部に送るのは心苦しいですよ?」


 わかっていらっしゃる!

 素晴らしい才能は素晴らしい人間に見つけられてこそ真価が発揮されるもの。

 ダイヤモンドの原石は研磨されなければただの石だからな。


「素晴らしいからこそぜひ、篠原幸雄くんに行っていただきたい。よりよい世界のためにはその才能を存分に活かすべきと思いますけどねえ」


 ひどい男と言ったが、訂正しよう!

 やはり作倉部長はエクセレントな存在だ。

 ぼくの優秀さを理解してくれている。

 行っていただきたい、と頼まれているのなら、行こう。


「……こうして、ぼくのサクセスストーリーが始まるのであった」


 モノローグは風に流された。

 さて、これからぼくはオーサカ支部の本拠地に行かねばならない。

 どうやらお迎えはまだ来ていないようだ。

 せっかくトウキョーからわざわざ新幹線に乗ってはるばるやってきたというのに。

 到着時間は予定通り。

 ジャスト午後2時。


(作倉部長の話では、「キャサリンというお名前の金髪八頭身美女」が出迎えてくれるとのことだった)


 キャサリン。

 某国の王妃と同じお名前。

 さぞかし美しいお方だろう。

 このぼくをオーサカ支部に導くヴィーナスか。

 帽子を外して銀色の髪を整え直す。


「あんたがささはらじゃ?」


 む?

 聞き間違いだろうか。

 辺りを見回す。

 どこにもブリティッシュな美女はいない。

 オーサカ駅前にいるのは暇を持て余しているタクシーの運転手とえさをせがんでくるハトぐらいなものだ。


「わしは鎧戸導じゃ!」


 一方的に名乗られた。

 よろいどしるべ。

 作倉部長からいただいたオーサカ支部の名簿にそのような名前が……確かに、あった。


「ここじゃここじゃ」


 視線を下に向ける。

 いた。

 男の子が。


「ささはら! わしがオーサカ支部に案内することになった! ついてくるんじゃ!」


 えっへん、と自らの胸を叩く男の子。

 しばし待て。

 先程の名簿を今一度確認する。

 なるほど? オーサカ支部は子どもを働かせるほど人手が足りないのか。


「導」


 ぼくが名前を呼ぶと、導は「一応わしのほうが先輩じゃからよろいどさんと呼ぶべきじゃろ?」と間髪入れずに訂正してきた。

 なんだこいつは。

 のくせに。


「わしにもようやく後輩ができてうれしいんじゃ」


 一番下に名前があったのは五十音順ではないのか。

 喜びに小躍りしているようだが。

 ぼくだっていい大人だ。

 ひとりでオーサカ支部に行くことぐらいできる。

 キャサリンに早く会いたい。


「ささはら、どこ行くんじゃ?」


 ぼくが歩き始めると導は小走りについてきた。

 歩幅の都合でぼくが一歩進むたびにダッシュしなければ追いつけない。

 せいぜいがんばってくれたまえよ先輩。


「オーサカ支部に決まっているだろう」


 黒いショールの下からスマートフォンを取り出す。

 オーサカ支部の住所から道案内をしていただく。

 ……帽子を被り、さらにはショールを巻いて暑くないのかとよく訊かれるが、これらは身体の一部のようなものだ。

 暑くも寒くもない。


「なんや、遅いと思っとったらまーだそんなとこにおったんか」

「ねえさん!」


 導がねえさんと呼んだもんだからいよいよキャサリンのお出ましかと思いきや。

 ソバージュのかかった黒髪、胸元にビッグなリボンをつけたサマーニット、トラ柄のミニスカートにローファーという理解しがたいファッションの女性が呆れ顔をしていた。

 八頭身だというキャサリンにしては背が低い。


「そっちのにいさんが篠原幸雄かの?」

「これからオーサカ支部に世話になる」

「おう、はじめまして。うちは天平芦花や」


 天平芦花。

 名前だけは聞いたことがある。

 この喋り方は、郷に入れば郷に従え、ということわざ通りか。


「ねえさん、聞いてよ!」

「なんや」

「ささはらったらわしを先輩と呼ばないんじゃ!」

「ほう……」


 頭のてっぺんからつま先までじっくりと観察されている。

 見られるのは嫌いではない。

 このぼくに見とれてしまうのはナチュラルな行為だからな。

 いたしかたない。


「作倉から素晴らしい人材が来るいうて期待しとったが、たいしたことはないのう」

「な」


 さっそくディスられた。

 このぼくが。

 初対面の女性に?


「にいさんが考えとるよりもオーサカ支部は甘くないで」

「そうじゃ! 甘くないんじゃ!」


 このぼくに向かってずいぶんなことを言ってくれるではないか。


「まずはうちの支部長とご挨拶してもらわなあかん。その後でならいくらでもそのケンカ、買ったるで」



 レディーに手を挙げる趣味はない。

 だからウインクとともにハイスピードでぶつけられた挑発には乗らない。

 ケンカは売らないが腹は立つ。

 ぼくの価値を見せつけてやらねばなるまい。

 そして、撤回してもらおう。

 このぼくは!

 この世すべてのどんな人間よりも素晴らしい人材なのだから。


 オーサカ支部はオーサカ市の中心部からは離れている。

 1階は夕方から営業を始める串カツ屋。

 その2階のスペースに一般的な法律事務所のような顔をして設置されていた。


「わてがオーサカ支部長、築山蛍だな」

 

 結局。

 俺は導と天平先輩の後ろをついて歩いた。

 こんなつもりではなかった。

 キャサリンにオーサカ巡りを頼みたかったのに。

 ふたりきりのオーサカ観光を楽しみたかったのに。

 非常に残念でならない。


「導や芦花は挨拶したんだな?」


 支部長という肩書きが似合う。

 恰幅の良い中年女性が築山支部長。

 これからぼくの上司となる。


「しぶちょー! ささはらったらひどいんじゃよ! わしは案内しようとしたんじゃけど!」


 まだ言うか。

 導の抗議に対して、築山支部長は「まあまあ」となだめた。


「あとはキャサリンかな」


 本部のオフィスの二分の一ぐらいの広さにぼくを含めて5人。

 これからメンバーを増やすつもりなのか、事務机の数が人数にしては多い。

 ロッカーの数も多い。

 これだけあるなら本部にいくらか返却してもいいのではないか。


「おい、さっちゃん」


 天平先輩がぼくの小学校時代のあだ名でぼくに呼びかけた。

 篠原幸雄でさちおだからさっちゃん。

 さちこではない。


「なんでしょう」

「今のうちに言うとくが、キャサ「ごっめーん!」


 野太い声がオフィスに響き渡る。

 天平先輩はぼくから目をそらした。


「遅刻じゃ!」

「新人クンはどこどこぉ?」

「わしが代わりに迎えに行ったんじゃ」

「まじでぇ? 導ちゃあんありがとぉっ」


 繰り返そう。

 オーサカ支部はぼくを含めて5人。

 築山蛍支部長。

 天平芦花先輩。

 鎧戸導(先輩)。

 このぼく、篠原幸雄。

 と。


「グランマっ。今日お化粧のりさいあくでぇー」

「何度か言っとるがグランマはやめてほしいな」


 金髪碧眼。

 タイトなボルドー色のドレスを身にまとった。

 ハイヒールでかつかつと床を叩きながら歩く。

 こいつがまさかの。


「はじめましてぇ! キャサリンだよぉ」


 キャサリン?

 耳がおかしくなってしまったか。

 その声は明らかに男性のものだ。


「うちは知っとるよ」

「わお! ねえさんだった!」

「さっちゃんはそっちやで」


 肩まであるブロンド。

 ゆるやかにうねっている。

 端正な顔立ちをしているにもかかわらず。


「あらためまして! はじめましてぇ!」


 恐ろしく低い声だった。

 いわゆるバリトンボイスだ。

 ぼくの耳がおかしいのかもしれない。

 このオーサカという街がぼくの身体を蝕んで壊してしまったのだろう。

 なんて恐ろしいんだオーサカ。


「これからよろしくねぇダーリン♪」



【A journey of a thousand miles begins with a single step.】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る