夏の想い出

 電車で数時間。目的の駅のアナウンスがかかった。彼女を起こさないと。


「バスでまた眠れるからちょっと起きな」


 彼女は曖昧な返事をして、僕の袖に掴まったまま後ろをついてきた。懐かしい。

 さらにバスに乗り換えて数十分。目的地が見えてきた。


「ほら、海だぞ」


 小声で伝える。


「ん、ありがと」


 窓全面に映る海を見た途端、眠気など吹き飛んだように外を眺めていた。


「これが海かぁ」


 バスを降りた彼女がそう呟いてしまうのも頷ける絶景。

 白く輝く砂、蒼く広がる海。どこを撮っても画になる。でもそんなのどうでも良いくらい暑い。

 ふと思った。僕らは水着も持ってきていない。何の為に来たんだ?

 首を傾げる僕の横で、彼女は砂浜に寝転がった。


「昔から海を見てみたかったんだ」


 別に泳ぎに来た訳ではないのか。

 僕も倣って寝転んでみる。暖かい熱が心地良い。目が眩むような快晴だ。おかげで僕のライフも限界。


「なぁ、あっちに行っていい?」


 僕はパラソルが立っている売店を指差す。すると彼女はニヤリと笑った。


「もし私が男に話しかけられたらどうする?」


 もう倒れそうだったから冷たく返す。


「見捨てる」


「ひっど!」


 ギャーギャー騒ぎながら彼女もついてきた。僕はもう何も聞いていないが。

 売店はすぐ近くのはずなのに、なかなか進んでいる気がしない。視界も波打っているような。


「ごめん肩貸して」


「わっ、あっはい?」


 訳の分からない単語を呟きながらも、一応体を支えてくれた。優しいなぁ。

 しかし僕も弱ったもんだ。久しぶりに炎天下に出たとは言え、もう熱中症になるとは。

 やっとの思いで椅子に座る。


「ありがとな」


 向かいに座った彼女に礼を言う。顔が赤いような気がするが、暑さのせいだろう。


「だ、大丈夫?」


 僕は正直に答える。


「大丈夫ではないな。多分熱中症。なんでこんなに暑いんだ」


「あ、熱中症だったのね」


 微妙に話が噛み合っていない気がするな。まぁいいか。

 僕はメニュー表を彼女に差し出す。


「迷惑かけたし、お礼したいから好きなの頼みなよ」


 彼女はえっと声を零した。


「申し訳ないって」


 まさか断られるとは。代案を何も考えていなかった。


「お礼はしなくちゃいけないから、何かして欲しいことある?」


 彼女はんーと考えた後、テーブルに突っ伏した。


「なんでも、いいんだよね?」


 少し間があったあと、波の音にかき消されてしまいそうなほど小さな声で彼女は言った。


「つ、付き合って欲しい、です」


 これが僕らの夏の想い出だ。

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