秘蔵のエピソードですわ⑩
「来ましたね、ツェルド様」
「そうですわね」
本当に、レミーエ嬢は侍女長さんからツェルドさんが来訪した旨を教えてもらって。
わたくしたちは物陰から、紺色の制服姿のツェルドさんを拝見する。ツェルドさんを案内するのは、ルークト伯爵家の嫡男の方ね。歳はもう二十歳も越えて、父親の下で領地経営の手伝いをしているのだとか。わたくしも何度もお会いしたことがあるけれど……なかなか見えっ張りな方だったと記憶しているわ。ルークト伯爵も、高すぎる向上心に手を焼いているのだとか。
肝心の応接間の扉が開かれた時、馴染みのある声が聴こえてくる。
「イスホーク殿。数週間ぶりだな。先日は我が婚約者が大変申し訳ないことをした」
「いえいえ。この間も弟殿下と共に、ご本人もわざわざ謝罪に来てくださったので。この話はもう終いにしてください。俺の方が恐縮です」
「あぁ、ならばイスホーク殿の寛大な御心に甘えることにしよう。それでイスホーク殿の席は――」
サザンジール殿下……‼
いや、居るのは承知しておりましたとも。でも、開口一番その話題を出しますか? いや、出会い頭こそ済ませておくべきことなのかもしれませんが……こう、自分のことで他のひとが謝罪している場面は、とても居心地の悪いものなのですよ。サザンジール殿下は、今わたくしがここにいることご存じないのでしょうが。
わたくしが項垂れていると、隣のレミーエ嬢がくすくすと笑っていて。
わたくしは音が鳴らない程度に頬を叩いてから、レミーエ嬢に向かって表情を引き締めた。
「いいこと? チャンスは一度。わたくしが騒ぎを起こすから、ツェルド様が出てきたタイミングで接触しなさい。きちんと名乗ることも忘れずに」
「騒ぎって、何をなさるおつもりなんですか?」
「そんなもの、どうとでもなるでしょう」
「えぇ⁉」
小声で驚くレミーエ嬢を焚きつけるように、わたくしは例の手紙を渡し付ける。
「ほらっ、さっさと配置に付く!」
「は~い……」
もう、そんな心配そうな顔をしないでちょうだい。ただ適当に大きな音を立てればいいだけなんだから。だけど一過性のものだと、わざわざ部屋から出てこない可能性もあるわね。ある程度継続性があって会議の邪魔になりそうな行動――。
レミーエ嬢がしぶしぶ柱の陰に隠れたのを確認してから、わたくしは周囲を見渡した。
なかなか華美なお屋敷ね。さすがはラビシェンタ王国一の港を有する伯爵の豪邸、といったところかしら。
そんな屋敷の応接間前の通路、ひときわ豪奢な装飾品が並んでいる。その中でも……一番に目に付いたのは、金ピカの甲冑だった。ものすごく派手。王宮にも似たようなものが飾られているけど、まるで趣が違うわ。他国のものなのかしら?
それでも……磨き甲斐がありそうね! 甲冑なら落として割れるといったこともないでしょうし、おあつらえ向きにはちょうどいいわね! ただ突っ立って歌うなんて、味気ないもの!
だから、わたくしは先程自分で作った真新しい雑巾を取り出して――金ピカの甲冑に絡みつく。
この兜の見事な光沢……‼ どうしてもあの方が思い浮かんでしまうわっ!
「あぁ~♪ 兜が曇っておりますわ~♪ お父様ぁ~譲りの~てってか頭が~♪」
あぁ、お父様。不躾な娘でごめんなさい。わたくし、赤点をとってしまいましたの。
勿論わたくしは隠し通しているつもりなのですが……実はバレているような気がして仕方なりません。最近やたら『勉強の方は順調かい?』とか『殿下方もお忙しいんだから、家庭教師を雇ってもいいんだからね』とか『実は自分、昔は陛下と首席を争っていてね~』とか、そんな話題が多いのです。
「おなかは~~たぷたぷ~~♪ あたまは~~第二のた~いよう~~♪」
それでも、あくまで知らないフリをしてくれる慈悲深いお父様が、わたくしは大好きです。お腹がたぷたぷでも、頭がつるっつるの眩しくても、わたくしはお父様が大好きですわっ!
「たと~え~パーティーで笑われて~も~♪ そ~れは~~♪」
そんな熱い想いが募るたびに、歌に熱が籠もる。
「素敵なぁぁぁぁ~♪ チャ――」
「ルルーシェ!」
「ムッポォォォォイ~ンッッ♪」
「ルルーシェっ‼」
もう、うるさいですわよ。今は最後のビブラートのための呼吸を――するついでに、思わず閉じていた目を開けば――。
「あっ……」
「何から注意すればいいのか悩むが……とりあえず、いい歌だな」
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