秘蔵のエピソードですわ⑥
――その翌日。
「おはよう、ルルーシェ。少し時間が遅いが、体調でも悪いのか?」
「昨日帰るのが遅くなったから、単純に起きられなかったんでしょ」
……この方々たちは、馬鹿なのかしら?
思わずそう思ってしまうほど、今朝もお二人は変わらない様子で、空き教室でわたくしが来るのを待っておりました。
変わらないと言ったら、語弊があるわね。ザフィルド殿下も一緒にいるのは珍しい。いつも自習を終える少し前に、差し入れと共ににいらっしゃるのに。
机の上には、今日もやまほど積まれたお手製ノート。そして美味しそうな匂いがする紙袋。
肩から襟足を退けたザフィルド殿下が、紙袋から何かを取り出す。
「今日は寒いからスープを持ってきたんだ。冷めないうちに飲む?」
「あ、ありがとうございます……」
「俺ももらおう。ルルーシェ。コーンポタージュとチキンコンソメがあるが、どちらがいい?」
「で、ではポタージュの方で」
「わかった」
本当に、どうしてこんなに自然なの?
サザンジール殿下も、先日のことでお怒りになっていたのでは? ザフィルド殿下も、わたくしの愚行の数々に呆れていたはず。ご兄弟仲が良いことはいいことですが……その輪の中に、わたくしが入る余地は、なくていいのです……。
「サザンジール殿下は……ザフィルド殿下から昨日のことを――」
「聞いてるぞ」
サザンジール殿下は、紙袋から視線すら上げなかった。一生懸命袋の中のスープを見分けようとしながら、その言葉は淡々と事務的に発せられる。
「無論、一通りの報告は受けた。海賊の件は大変だったな。二人に怪我がないようで良かった。それと、イスホーク殿と交流を深めたようだな。彼が帰国する際は、俺も直接見送りに行くと手紙を出すつもりだ。その時は一緒に見送りに行こう」
それなのに、サザンジール殿下が「ほら」とわたくしにスープを差し出して来て。
思わず、わたくしは俯いてしまう。
その返答は……何なんですの? わたくしは、あなたからの大切な贈り物を目の前で手放してやったんですよ。その上、先日は他の男を口説いてきたんです。そんなわたくしと……彼を見送りに行く? 見せしめや牽制のおつもりですか? わたくしが、誰の女なのかと。
本当に……わたくしはサザンジール殿下が理解できない。そのせいで……もうっ、本当に神様の足をお舐めしないといけなくなったじゃない。
俯いて唇を噛み締めたわたくしの名を、サザンジール殿下が呼ぶ。
「ルルーシェ?」
「……いえ。なんでもありませんわ。それより殿下、教えてもらいたい箇所があるのですが?」
「あぁ、なんでも俺に訊くがいい!」
わたくしは顔を上げて、さっそく参考書を取り出す。
いつもと変わらない光景が、スープよりもあたたかくて。目がふやけないように装うので精いっぱいだった。
そんな勉強会の途中で、扉がガラッと開かれる。そこに居たのは、わたくしも何度か見かけたことがある、サザンジール殿下の伝令役を務めている方だ。
「お取り込み中失礼します――つい先程、アサティダ海岸に海賊船から砲撃を受けました」
「……わかった。場所を変えてから詳細を聞こう――というわけだ。すまないルルーシェ。わからない
箇所はあとで解説を纏めて届けさせるから」
ノートなどを手早くしまいながら早口で気遣ってくる殿下に。
彼の妃になる予定だった者として、言えることは一つ。
「わたくしのことなどお気になさらず。どうかしっかりとお務めを果たしてくださいませ」
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