秘蔵のエピソードですわ⑦

 その後、クラスの皆様にとっても愉快にもてなしていただきまして。


「――そんなに苦手なら、手伝ってくださらなくても良かったのに」

「いや……そういうわけにはいかないでしょ……」


 教室中に広まった虫たちと鬼ごっこして、無事に校舎裏へ解放できた時には、とっくに授業開始の鐘が鳴ってしまっていました。教室も一度掃除夫が徹底的に清掃することになり、不幸にも午後の授業は中止。虫の追い出しも掃除夫にしてもらう案も提示されたんですけどね。それじゃあ……ねぇ? クラスメイトの皆様の善意にお応えできないじゃないですか。


 まあ、そんなこんなで空き時間ができましたので。ここぞとばかりに剣術の続きを訓練してもらいたいのですけど……こんな青白い顔をしている殿下にお願いしづらいですわ。さすがにカフェテリアで休憩しましょう。クラスメイトの大半は、皆で遊びに出かけたご様子。


 特にララァ嬢なんか「ルルーシェさんは追試の勉強頑張ってくださいね」と声を掛けてくくださいましたの。応援してくださるなんて、本当お優しいですわ……本当にね。


 もうあまりの嬉しさに、とっさにララァ嬢の袖を掴んでしまいました。


「お待ちになって、ララァさん」

「……ルルーシェさん、ちなみに御手は洗いましたか?」

「このあと洗いますわ」


 ふふっ、無論あなたがずっとニヤニヤ遠くから観察していた通り、虫の片付けをした直後ですわよ。彼女すぐさま逃げようとしますが、ザフィルド殿下もおりますからね。躊躇った隙に、わたくしは腕を組ませていただきます。


「ちょっと、少々近すぎませんこと?」

「あら。だってララァさんはレミーエさんと友達なのでしょう? だったら、わたくしとも仲良くしていただきたいですわ。勿論、二人っきりで」


 だから一緒にトイレまで行きましょう――そう申せば、ララァ嬢もそのまま着いてきてくださいました。勿論、トイレに入った途端、腕は振り払われてしまいましたけども。


「……それで、何の御用で?」

「ささやかな質問ですわ――こないだ、わたくしの刺繍を見て『海賊旗』みたいとおっしゃったじゃないですか。だから、最近ララァさんも海賊と縁があったのかと思いまして」

「……アサティダ海岸の?」


 ララァ嬢、嫌がらせに関してはいつも可愛らしいですが、決して馬鹿というわけではない。昨日発生した事件についてもしっかり把握しており、たったこれだけの言葉でわたくしの言わんとしていることがわかる。あの海賊事件に『国内派』が関っておりますの、ということまで。


 だからこそ、激昂してくるようですね。


「いくらあなたとて、これ以上はファブル家への侮辱と捉えますわよっ!」

「ちょっとララァさん。わたくしはまだ何も言っておりませんわ?」


 くすくすと苦笑を返せば、ララァ嬢は一度唇を噛んでから、声のトーンを落とす。


「たしかに、この間の試験明けの連休で実家に帰った時、海賊旗の載った資料をお見受けしました。でもそれは、お父様へのお客様が持参した資料でしたの。ですが、お父様はそのお客様を追い払っておりましたから……我がファブル家は何も関係がございませんわっ!」


 詳しく聞いてみれば、本当に些細な出来事だったらしい。

 久々に家に帰ってみれば、父親が来客の対応中だったから。挨拶も兼ねて侍女の代わりにララァ嬢が得意のお茶をお出ししたというのだ。その際、何気にテーブルの上に置かれた書類に赤い海賊旗が描かれていたということ。それがわたくしの芸術的な刺繍と酷似して見えたせおうですわ。


 そしてララァ嬢が退席してまもなく、父親の怒号が聴こえ、客人たちが逃げるように帰っていったという。その後、父親にさり気なく聞いてみたところ……はっきり言われたという。『国内派はラピシェンタ王国全土の民あってこその思想だ。自国の民を蔑ろにする輩と杯を交わすほど、ワシは落ちぶれてはおらんっ!』と。


 一応の敵対派閥ながらも、拍手を贈りたくなるくらいの名言ですわね。

 この感動を、ここだけに留めておくのは勿体ないと思いませんか?


「今のお話、文章に認めてもらうことはできます?」

「当然ですわ。ただ……わたくしのサインじゃ、公的効力があるとは思いませんが」

「それはそうですとも。わたくしたちはまだ学生ですからね」

「……同じ物を、二枚書きますから。あなたのサインも頂戴しますわよ」

「結構ですよ」


 トイレの中で、しかも有り合わせの紙に書いた代物。そんなものに、勿論大した効力などあるはずもありませんが――どんなものも、使い方が肝心です。


 それを再試明けには、ララァ嬢にも実感していただくことにいたしましょう。その前に、しっかりとこちらも片付けさせていただきますけどね。




 でも、とりあえずひと休憩。

 ザフィルド殿下がトイレの前でしっかりと待っていてくれたことですし。


「ずいぶんと素敵な紳士ですわね?」


 ララァ嬢と別れて、カフェテリアでそんな嫌味を飛ばしてみたのに……ザフィルド殿下は一向に言葉遊びをしてくださいません。


「ねぇ、ルルーシェ。さっきの、何?」

「ふふっ。ララァ嬢はレミーエ嬢とお友達のようですから。わたくしも友好を深めようと“連れション”とやらをしてみただけでしてよ?」


 たしかそんな言葉を、平民の男性たちはお使いになられるのよね?

 それを真似ながらも(他に誰もおりませんし)、わたくしは運ばれてきた冷たいダージリンティを口にする。そのあとは――まぁ、些末な事件でございましたわ。

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