閑話 元は付かない父親の独白②

 だけど、そんな娘との楽しい日々は、十六年間と少しで終わりを迎えてしまった。


 葬儀の時の記憶は、あまりない。

 ただ、彼女の友人だったという一人の少女が、声をあげて泣いてくれていたな……と印象に残っている。対して、彼女の婚約者でもあった王太子は、涙ひとつ零していなかった。可愛げのないやつめ、と殴ってやりたくなった。娘の最期を看取ったのは、この二人だったという。


 娘の死因は刺殺。だけど彼女を刺したはずの犯人も、凶器さえも、どこを探しても未だ見つかっていない。ただ、凶器はおそらく小剣くらいのサイズの得物だという。亡くなる直前、娘がよく振り回していた代物と同じくらいだろうとのことだ。あの小剣も行方知らずとなっている。

 そして、娘が亡くなったのとほぼ同時刻から、第二王子が行方不明となった。


 調べによれば、第二王子は派手なドレスを着た令嬢とどこかへ消えていって、それっきりだという。だけど第二王子の調査については、かなり早期に中止が伝えられたから――おそらく、娘の死に関わっているのだろう、という疑念しかない。


 それでも、自分はその憤りを行方知れずの第二王子や、可愛げのなくなった王太子や、何かを隠しているだろう旧友に、ぶつけることができない。


 仮にも王家を敵に回せるほど……すべてを捨てることができなかったからだ。

 だって――。


「わああああああん」


 今日も、隣の部屋から子供の泣き声が聞こえてくる。

 もう夜もとうに更けた時間。それでも自分はひとりで寝ていたベッドを抜け、隣の部屋の扉をそっとノックする。


「自分だ、入るよ……」


 どうせ、幼児の泣き声でノックの音など聞こえていないだろう。

 ゆっくり扉を開けば、薄闇の中で妻が泣きそうな顔で懸命に幼児を抱っこしていた。


「あなた……ごめんなさい。明日も朝、早いんでしょう?」

「いや、構わないよ。少し変わろうか」


 自分は半ば無理やり、彼女から子供をもらい受ける。

 もうすぐ二歳になる子だ。一時期、ようやく夜泣きも終わったと胸を撫でおろしていたのに、近頃再び再開してしまったのだという。これも成長の一環だという話だが……それにずっと付き合わされる親としては、たまったものではない。


 それでも、日中はとても良い子だ。男の子らしく、庭を走り回るのが好きらしい。こないだは木に登ろうとして落ちたらしいが……好奇心が旺盛で、今は自分の名前が書けるようになりたいと練習しているとのこと。それでも、まだミミズの域を出ていないのだが。


 妻に似て、黒々とした髪。同色の瞳。

 三人子供が生まれて、全員妻の特徴を受け継いだのは、何の因果なのだろうか。

 毛根と一緒で、自分の因子は弱いのか……そう考えたことは、一度ではない。

 だからといって、妻の不貞を疑うのは論外だし、大好きな女性にそっくりの子供というのは、可愛い以外の何物でもないのだけれど。


 それにこの子は……娘の発言がきっかけで、できた子だ。

 妻の妊娠が発覚したのも、葬儀を終えた直後のことだった。



 だから、どうしてもこう思ってしまう。

 この子は、彼女の生まれ変わりなのではないか――と。



「……そんなはずはないのにな」

「あなた?」

「いや、何でもないよ」


 自分はだいぶ重たくなった息子を抱っこしたまま、妻に笑いかける。

 妻は息子を産んでから、だいぶ痩せてしまった。久々とはいえ、三人目の子供。多少は勝手もわかっているはずなのに……彼女は育児疲れを起こしているらしい。なんせ今回は、乳母役を一切頼ろうとしないのだ。


「ほら、明日は新しい娘・・・・が挨拶しに来るのではなかったか? 君も少しは仮眠をとっておいた方がいい。やつれた顔を見せるのは忍びなかろう?」

「でも……」


 彼女が頑なに、乳母役を頼ろうとはしない理由。

 それを口にする時、彼女はいつも泣きそうな顔をしていた。


「だって、もし私が目を離している間に……この子に何かあったら……」


 彼女は途中で口を閉ざし、自分と寝息を立て始めた息子に抱き着いてくる。


「わかっているわ。こんなこと、ただの杞憂だって。でも……怖いの。いつ、どこで、大切なわが子をまた亡くしてしまうんじゃないかと……」

「ははっ。そんなこと言ったら、ルーファスはどうなる? 明日は一度帰ってきてくれるらしいが……しばらくしたら留学に行くという話だろう? 美術に特化した学校に通うとか――」

「それは、そうなんですけど……」


 せっかく息子が眠ってくれたのだ。このまま話続けていたら、起こしてしまう。

 自分は息子をそっとベッドに横たえてから、妻を抱き返した。


「大丈夫だよ。自分が、必ずみんなを守ってみせるから……」


 だから、王家の命令に歯向かうことはない。

 たとえ、娘の無念を晴らそうともしない根性なしの父だと罵られようとも――今の自分に課せられた一番の使命は、残った家族を守ることだ。この小さな息子が、いつか盤石の状態で公爵家を継げるように――粛々と、家族と領地を守ることに専念するのみ。



 そのために、明日は新しい娘を家族として受け入れる。

 彼女は……娘が一度、うちに招いたことがある少女だという。



 そもそも、娘が王太子と婚約する羽目になった理由は、『異国の美姫の娘を、王家と縁続きにするため』である。だから、血を継いだ娘が死んでしまった今……義理の娘を王妃に付けることは、異国に対してのせめてもの敬意となろう。

 だから、次期王太子妃に決まった彼女を我が家の養子にすることは、我が家としても、王家からしても願ったり叶ったりの事案であった。


 そして、昼より少し前の時間に、彼女は一人でやってきた。

 無論、彼女の両親ともきちんと話を付けてある。元々、彼女からの紹介で農業に詳しいアルジャーク男爵を紹介してもらったこともあった。そのため、縁がなかった家系ではない。彼女の父親も、学者らしく少し風変わりな雰囲気はあれど、とても娘思いの気のいい男だった。


 彼女自身も――表情が明るく、可愛らしい印象が強い淑女だ。

 珊瑚色のふわふわな髪。愛嬌のある顔つき。だけど、彼女の一部の隙もないお辞儀カーテシーは、娘に瓜二つだった。


「本日より、どうぞよろしくお願いいたします」


 彼女は現在十八歳だという。娘も通っていた学園を首席で卒業し、こないだまで単身隣国へ赴き、妃として必要な伝手を作ってきたのだとか。そんな行動的なところも……亡き娘を思わせて仕方ない。


 そんな新しい娘に向かって、自分は告げる。


「もっと気安くしてくれて構わない。君はこれから、自分の娘だ。君もこの頭を叩いてくれても構わないのだぞ」


 自分で自身の頭をペシンと叩いてみせれば、彼女は一瞬目を丸くしてから、くすくすと笑う。


「もしかして……ルルーシェ様はお父様の頭を……?」

「ちなみに、自分の頭をつるっつるになるまでむしり続けたのはあの子だ」

「うぷぷ……ごめんなさい。もう、ルルーシェ様ったら……」


 腹を抱えだした彼女の屈託のない笑顔が、なんと眩しいことか。

 だけど、自分は見逃さなかった。その目の端に、涙が浮かんでいることを。


 ――あぁ、きっと……いや、彼女がどんな子であろうとも、上手くやってみせるさ。



 なぁ、ルルーシェ。大好きな君に誓おう。

 君の忘れ形見も、自分が必ず守り通してみせると。

 だけど、君も忘れないでほしい。

 自分はいつまでも、君の父であることを――。


《閑話 元は付かない父親の独白 完》

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