他愛もない話。1巻発売中です。本屋さんで見かけた際は、ぜひよろしくお願いたします。

閑話 元は付かない父親の独白①

 自分の娘は、とても利口な子だった。

 言葉が出るのも早かったし、何事にも関心を向ける子だったと思う。小さい頃は人見知りだったけど、家族以外の交流……婚約者である王太子と交流を持たせるようになってから、それは次第に解消された。


 だけど……人見知りだったあの子が、王太子の背中に乗ってケラケラ笑っていた時にはビックリした。


『陛下……自分には将来の夫婦像が見えてしまった気がします』

『まぁ、男は女の尻に轢かれていた方が幸せという話もあるから』


 はとこ兼腐れ縁である国王陛下とそんな会話をした時のことは、とてもよく覚えている。

 あの時のあいつの苦笑……あれは諦めた目だった。あいつも奥さん……王妃には尻にひかれているからな。血は争えんと思ったのだろう。まぁ、うちはそんなことないがな。




 ……閑話休題。


 娘は生まれる前から、王妃になることが決まっていた。

 それは、自分が無理やり『異国の美姫』を娶ってしまったから――その尻拭いを、娘に強いることになってしまった。それこそ、男児として生まれてくれれば大義名分を……いや、そんなことは神への、なにより彼女への冒涜だろう。好きな相手と結婚できない不自由を、恋愛を成就させた自分が愛娘に強要するとは……とにかく妻と結婚するしか頭になかった自分には、まるで想像ができていなかった。


 その償い……というわけではないが、自分なりに娘のことを大事にしてきたと思う。

 どうしても仕事で家を空ける時はあったが、それ以外はなるべく娘の面倒を自分で見るようにしていた。妻は要領が良い女だったから、適度に乳母役を頼り、無理のないよう公爵夫人としての仕事と、娘の面倒を両立していたようだが。


 だから、それ・・に気が付いたのは、自分の方が早かったと思う。


 夜。自分らが寝室で寝ていた時、ノックもなく扉が開かれた。

 ルーファスかな、と思った。

 彼女はとうに親と寝ることを自ら拒むようになってしまったけど、まだ三歳のルーファスは甘えたい盛り。彼女もまだ六歳なのだから、たまには枕を持って『怖い夢を見たの……』くらい言ってくれてもいいのに……そんな夢を見るのは、父親のエゴなのだろうか。


 だけどルーファスとて、ノックなしで入ってくるとは珍しい。自分が気が付かなかっただけか? それとも、おねしょでもして声をかけづらい事情でもあったか。


 ともあれ、しばらく様子を見てみようと寝たふりに徹していると。

 彼……いや、ベッドの横まで来た彼女・・は、自分にゆっくり手を伸ばしてくる。


 そして――ぶちっ‼ と。


「いっ……」


 ギリギリで声を押し殺す。すぐさま、彼女はタカタカと小さな足音を立てて、部屋から出て行った。扉が閉まる音は、とても小さい。


「あなた……どうしたんですか……?」


 隣で眠っていた妻が、ゆるく瞼を擦っている。

 自分は「いや、何でもないよ」と、そっと妻の手を握った。


 そうだ、きっと何かの間違いだ。

 そんな、妃教育にも慣れ始めたような立派な子が、まさか夜な夜な父親の髪をむしりに来ただなんて――そんなの、夢に決まっている。




 だけど、それは週に一回の恒例行事となった。

 ちょうど、王妃直々に妃教育を受けた夜ごとである。




「王妃様からの授業はどうだい?」


 ある日、晩餐時に娘に聞いてみた。

 すると、彼女は六歳と思えぬ優雅な手つきで口元をナプキンで拭ってから、自分に向かってにっこりと微笑む。


「とても有意義な時間を過ごさせていただいてます」


 ……六歳で、『有意義』なんて単語知っているのか?

 自分が六歳の時だったら『たのしかったー』くらいなもんだったと思う。……本当に楽しかったのならば。


 ざっくりと、その日の授業内容と彼女の出来は、自分にも報告が流れてきている。

 おおむね、順調とのことだ。かなりしごかれているそうではあるが、王妃からの評価は良好のようらしい。一向に刺繍の腕前だけが進歩ないようだが、それには気が付いていないフリをしているのだという。刺繍は淑女らの交流の一つなのは確かだが……その一つのために、全てが嫌になるよりは良いだろうと。代わりに、ほかの知識やマナーで侮られないよう、厳しく指導しているようだ。彼女がまだ幼いということもある。隙さえあればザフィルド殿下と王宮内を駆け回っているのも、備品を壊さない限りは大目に見ているらしい。今日は壺を一つ割ったそうだが。


 だから、自分も知らぬ存ぜぬとして、笑顔の彼女に応える。


「そうか。だが、辛いことがあればいつでも相談してくるんだぞ。自分らはいつでも、ルルーシェの味方だからな」

「ありがとうございます、おとうさま」


 だけど、やっぱりその夜も――彼女は夜な夜な、自分の髪をむしりに来た。

 さすがの妻も気のせいではないと気付いたらしい。

 パタンと扉が閉まった後、自分の方に寝返りを打ってくる。


「あなた……このまま黙っているつもり?」

「……まぁ、自分がハゲになるくらいで、彼女がいつまでも笑っていられるのなら……それでもいいさ……」


 だんだん、痛みというのは耐性がついてくるものだ。

 別に誰に迷惑かけるわけでなし。夜に親の寝室に忍び込むというスリルと細やかな悪戯で、心のバランスを保てるなら安いものだ。


「うふふ。最近ちょうど薄くなってきてましたもんね?」


 だけど、愛する妻よ。それは言わんでくれ。


 ……今度、毛生え薬でも陛下に相談してみよう。




 まぁ、そんな悪戯も社交界デビューとともに終わった。

 六年間……長いというなかれ。毎週の娘のかわいい悪戯VS前国王ご用達毛生え薬(あいつはまだそんなものとは無用らしい。ちくしょー)の戦いは、ようやく自分の髪がゼロになったことによって終戦を迎えたのだ。とても名誉ある戦だっただろう。


 おかげで十三歳の誕生日に、ようようデビュタントを果たしたパーティでの彼女は、親の贔屓目がなくても大層美しい令嬢だった。

 それを伝えに行くと、彼女はくすくすと笑う。


「お父様はすっかり頭が綺麗になりましたわね?」

「……ハゲの父親は嫌いかい?」


 とうとう淑女らしい嫌味まで言うようになったかと、感心とともに寂しさを覚えていれば。彼女は満面の笑みで言った。


「いえ、中途半端に生えているより、ずっと男性として魅力的だと思いますわ!」


 だてに十三年間、彼女の父親をやってはいない。

 それが愛想笑いか、心からの笑みかくらい、見抜くことは容易だ。


 だから今日一番のキラキラとした笑みを見て、一つの可能性が頭をよぎる。



 ――もしかして、この子なりの善意で髪をむしっていたのか?

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