蛇足「風邪を引いてしまいましたわ…」を神様は見ていた。

 ――彼女が死ぬまで、あと26日。


 ルルーシェが泣いていた。

 それは昨日、風邪で弱った彼女が母親からの何気ない発言に少し心が折れたから……てだけじゃない。


 自ら王太子に婚約破棄を告げて。

 そして、彼女は泣いていた。


「ルル……」


 椅子の上で膝を抱えて丸くなっている、彼女の小さな背中に。

 触れようとして。彼女の名前を呼ぼうとして。どちらもやめる。


 昨日は敢えて明るく、彼女を励ましたつもりだったけど。

 今日のはきっと、そういう傷じゃない。


 僕は彼女からそっと離れて、向かいの椅子に座る。

 あんなことがあったのに、彼女はやっぱり律儀にお茶とお菓子を用意してきてくれた。


 そのポットのお茶をカップに注いで――僕はそっと、彼女の前に置いておくだけ。


「……ありがとう、ございます」


 顔は上げなくても、音や気配でわかったのだろう。

 伏せったままの彼女に、僕は言う。


「何か話したくなったら、いつでも声かけて。僕はずっとここにいるから」

「ふふっ……今日に限って、何もお説教しませんのね?」

「……されたいの?」

「えぇ」

「被虐趣味は似合わないよ」


 僕は自分で注いだハーブティを飲む。茶葉はいつも彼女が用意してくれるけど……元気が出そうな、オレンジの香りがする。


「あら、普段は高飛車な女が、ベッドでは――そういうのを殿方は好んで思想するのではありませんの?」

「なっ⁉」


 そんな心意気をぶっ超えた返答に、僕は思わず吹き出した。

 相変わらず、彼女は顔を上げないけれど。


「わたくしは次期王太子妃候補ですから。将来的に御子を生む責務がある身分、当然妃教育の一環にそういう授業も含まれてましたわ」


 ……いや、あの……この話の流れは、ダメじゃないかな。

 ここでの会話は他の誰にも聞かれないとはいえ……一応僕ら、異性ですし? 年頃ですし?

 なんて僕の焦りなんか全く気にしないのか、敢えて弄んでいるのか、ルルーシェ=エルクアージュの口は止まらない。


「でも、不思議ですわよね。興奮すると血液が集まって固くなるという理論はわかるのですが、それでもパオーンと持ち上がるのは何とも――」

「待って待って待って! ちょっと今日はいきなりどうしたの? 普段そういうこと、さすがに言ってないじゃん⁉ 実は酔っ払ってたりする⁉」

「だって、神様が今日に限って神様、格好つけてくるんですもの」

「はあ?」


 膝から少し顔をあげた彼女は、楽しそうに笑っている。

 格好つけって……。

 ま、こんなんできみが元気になってくれれば、いいんだけどさ……。


 そんな彼女に、僕はため息混じりで言った。


「今日は何も言わないであげるよ」

「あら、退屈ですわ」

「その代わり、明日からめっちゃ問いただしてあげるから」

「ふふっ。それはそれで、鬱陶しそうですわね?」

「ほんともーっ、ああ言えばこう言うっ!」


 イライラを声量に換算すれば、彼女はその分だけ嬉しそうに「ふふっ」と笑うから。


 でも、きみには絶対に言いたくない話だけど。

 今回の婚約破棄、僕的には悪い展開じゃなかったんだよね。

 だって、好きな子が他の男との婚約を嫌がったんだよ? 事情が事情だから……もちろん彼女の心情を慮れば、切ないの一言なんだけど。それでも、どうしても僕は一抹でも喜ばしい感情を抱いてしまったのだから。きっと、やっぱり僕の性格は悪いのだろう。まぁ、そんなこと昔からわかっていたことだけどさ。


 それでも――やっぱり気になるあの一言・・・・については、聞いておきたい。


「ところで……きみが言っていた『好きなひと』って?」

「ふふっ」

「やっぱり、兄王子に諦めてもらうための方便?」

「ふふふっ」

「その笑いは、答えるつもりがないってこと?」

「ふふふふっ」

「あ~、もういいや」


 相変わらず膝を抱えたまま、こちらを上目で笑う彼女は、ムカつくまでに可愛いから。僕は今日もやれやれと、自分の淹れた美味しいお茶を飲む。

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