蛇足「敵情視察と参りましょう」を神様は見ていた
――彼女が死ぬまで、あと50日。
『聞いたよ。剣の稽古に飽き足らず、今度は畑作りも始めたんだって?』
余命半分を切ろうとしているのに、彼女は相変わらず毎日を楽しそうに過ごしていた。
……いや、毎朝婚約者から『悩みはないのか⁉』と待ち伏せされる毎日が楽しいのかと問われれば、ビミョ~であるとは思うんだけど。
それでも、昼休みに剣の訓練をする彼女は、たしかに楽しそうで。
『じゃあ、剣はもうやめるの?』
『どうしてですの?』
弟王子からの当然とも思われる質問に、ルルーシェ心底心外だとばかりに疑問符を荒立てていた。
『わたくしは飽き性ではございませんのよ? ちゃんと最後まで剣の道を極めさせてもらいますわ』
『最後って……具体的にいつまでって決めているの?』
『……少なくとも、ダンスパーティーまでは』
……おや、珍しい。
いつも頑なに余命の件を隠しているのにね。期日のことをうっかり話してら~。
それに、彼女は気がついているのかいないのか。表情はまるで動かさず、素振りを続けているも――弟王子が、彼女の剣に自分の鞘を合わせていた。ルルーシェもかろうじて剣を落とさないあたりを見ると、一応訓練の成果は出ているみたいだね。
会話の流れ的に、それを喜ぶ暇はないようだけど。
『ダンスパーティーって……再来月だっけ? その時に何かあるの?』
それに、彼女がいつもどおり笑って誤魔化す選択肢を選んだようだけど。
……僕は言ってしまってもいいんじゃないかと、ふと思った。
勿論、始めは頭が狂ったかと心配されると思うけど。この王子なら。
ある意味“狂っている”彼女に慣れているようだから、取り合うようで、取り合わない。そんな絶妙な距離感であと五十日を過ごせる――そんな未来が“視えた”。
あ、いいじゃん。これ。
この弟、色々と難ありではあるけど。それは全部、兄に劣るという劣等感ゆえ。本当に欲しい物が手に入らないという諦めがゆえだから。そこで、“好きなひとからの気持ち”という一番欲しかったものが手に入れられたら…………うん。悪くないと思う。
そんな僕の思惑をよそに、ルルーシェはこれ以上口を割らないようだけど。
だから、気の利く弟王子は彼女に嫌われないために、話を逸らす。
『まあいいや。でも、それなら剣の稽古よりそろそろやるべきことがあるんじゃないの? こないだの祝日に、兄上たちは服飾店に行っていたようだよ』
『兄上たち・・?』
あ~言ってたね。父王からの課題という名の公務の一貫で。
レンタルドレス……なかなか悪くないアイデアだと思うよ。それこそ庶民も“ハレの一日”のためなら奮発するだろうし。あの兄王子も、生真面目すぎるところがなければ、発想が軽くていい王子になれると思うんだ。
……兄弟仲良く支え合っていけたら、の話だけど。
生きるのって、難しいね。
『もしルルーシェさえ良かったら……僕がドレスを贈ろうか?』
『え?』
だから、ルルーシェもまた。せっかくの提案を無下にしてしまいそうになるけど。
そこは、女慣れした弟王子の方がウワテみたい。
『とりあえずさ。兄上たちがどんなドレスを頼んだか、見に行ってみようよ。普段王室が使わない店みたいだからさ。多分、兄上からの依頼には真っ先に取り掛かっていると思うんだよね。仮縫いくらい出来ているんじゃないかな?』
『それは……そうかもしれませんが……』
『自分で用意するにしろ、そうでないにしろ。どうせならもっと『上』のドレスを着たいものじゃないの?』
女心的にはさ、と口角をあげた弟王子の顔……男からしたら、無性にムカついたりもするんだけど。
『それとも週末付き合ってくれたら、素振りだけでなく体捌きも教えてあげるよ――て方が、興味がそそられるかな?』
『あら。さっきの不甲斐なさで合格でしたの?』
『辛うじて剣を落とさなかったから……最低限ね。体捌きで避け方や受け身を教えた方が、僕も合法的にルルーシェに触れられるから役得だし?』
『まあっ⁉』
ルルーシェはまんざらでもなかったみたいだから。
『ご一緒してくださる?』
と、嬉しそうにそのやり取りを楽しんでいた。
あーあ。僕も彼女と同じ時を生きていたら。僕が彼女を、こうやって喜ばせられたのかなって。
その考えを、僕は頭を振って掻き消す。
僕は、もう死んだモノ。
彼女に何も望んじゃいけない。彼女から、何かをもらってはいけない。
ただ、僕は傍観するだけ……。
それなのに。彼女の眩しい毎日を見ていると、なぜだろう――僕は悔しくって堪らないんだ。
そして、彼女は弟王子とデートをする。彼女は『敵情視察』と言っていたけど……理由はどうあれ、わざわざ変装してまで男女が二人で休みの日に会うというのは、デートと称していい事柄なんじゃないのかな?
『……ルーナ。あの色以外なら何でもいいよ。好きなドレスを頼むといい』
……まぁ、二人は兄王子が選んだというピンクのけばけばしいドレスを目の当たりにして、目を丸くしているのだけど。それでも、ドレスを贈るってことは告白しているのと同義だよね?
その事実は、ルルーシェ自身もわかっているのだと思う。
『あら。本当に買ってくださるおつもりですの?』
『もちろん。君を口説きたいって言ったろ?』
『ドレスひとつで口説けるほど、安い女と思われるのは心外ですわね』
――え?
思わず今度は僕が目を丸くした時には、彼女はもう変装用の帽子を取っていて。
漆黒の髪をなびかせる彼女は、ただただカッコよかった。
『それでは――真っ赤なドレスを』
『ルル……』
『飾りは何も要りません。ただただ上質な生地で、真っ赤なドレスを仕立ててくださいまし。伝票はルルーシェ=エルクアージュでお願いしますわ』
それは、思わず僕が見惚れてしまうほど。
だけど、さすがに今の僕が、それを伝えるわけにはいかないから。
「きみは本当何をしてるの?」
「充実した祝日を過ごしただけですわよ?」
今日も彼女の夢の世界で、僕は率直な疑問符を投げかけてみる。
すると、彼女は僕の意図としていない返答をくれた。
父親とアルジャーク男爵を引き合わせ、婚約者が他所の泥棒猫に贈ったドレスの偵察をし。その上で、自分のドレスも発注し、アルバン男爵の元へお礼に行ったついでに泥棒猫のお勉強を手伝い、家に帰ってアルジャーク男爵らと母親が直々に作った晩餐を楽しみ――今に至る、だろうだ。
……ほんと、忙しかったね。おつかれさま。
でも、充実の方向性、それで本当にいいの?
そう聞いたところで、どうせ彼女は腹を立ててしまうだけだから。
僕がため息だけで不満を押し留めれば、それでも彼女が苦言を呈してくる。
「ため息を吐く癖は直した方が宜しいのでは? 幸せが逃げてしまいましてよ?」
「誰のせいだ、だ・れ・の⁉」
あーあ。ダメだなぁ。いつも彼女のペースに巻き込まれてしまう。
もっと“神様”らしく、威厳を持って……僕にできることって何だろう?
「第二王子の顔に泥を塗ってよかったのかい?」
「さすがにザフィルド殿下に買ってもらうわけにはいきませんもの。それに――死装束は自分で用意したかったですし」
はぁ……カッコよすぎだろう。ルルーシェ=エルクアージュ。
その心境をきみの両親や、他の人が知ったら……どう思うんだろうね? 娘が死装束を自分で選んだと知ったら……それを想像するだけで、僕は泣きたくなってくるよ。
そんな気高いきみに僕がしてあげられることなんて、本当は何もないのかもしれないけど。
「弟殿下は、きみに惚れているんじゃないの?」
「そうかもしれませんわね」
「きみも嫌いではないのだろう?」
「えぇ」
「誰かに愛される最期じゃなくて、いいの?」
それでも『何か』『何か』と探してしまう僕は、やっぱり残念で哀れな男なのかな?
「本当に……いいのかい?」
「神様もあのドレスはお気に召しませんか? ……あら、もしかして。あのドレスを着たわたくしに惚れてしまいそうだとか?」
「なっ、なんでそうなるんだ⁉」
「あらあら。神様も照れた時はお顔が真っ赤になりますのね?」
どんな姿をしていたって、僕はいつでもきみに惚れているよ。
そんなこと“生きてすらいない”僕じゃ、口が裂けても言えやしない。
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