蛇足「可愛い弟に旅をさせますわ」と神様は見ていた。

 弟の私室の扉を斧でぶち破るお姉ちゃんとは如何に。

 たとえ引きこもりと言えどさ……別に弟ルーファスくん、特に悪いことしてないじゃんか。まぁ、ずっと引きこもっていることに難があるとはいえ……寝食忘れて絵を描いている弟からすれば、別に今日の今どーにかしないとという問題もない。


 完全に、運良く予定がなくなったという彼女の都合のみのタイミングである。


 そして良く言えば奔放な姉ルルーシェ=エルクアージュに引き連れられたルーファスくんは、姉が見つけてきた芸術家のアトリエにいきなり弟子入り志願をしに赴いたんだけど……まぁ、当然上手く行くはずもなく。


 そのままさらに姉の友人(?)の家に泊まることになった彼は、寝れない夜を過ごしていた。


『ほんとにこんなことして……いいのかなぁ……』


 うん、ダメだと思う。

 慣れないベッドの上でモダモダしていた彼は揺れるように起き上がる。そして暗い中で、自身が描いた絵画を掲げた。それは、家族で行った湖畔の情景だという。小さく描かれた四人の人影が家族なのだろう。父と、母と、姉と、自分。それはまだ、彼が引きこもる前のこと。


『親不孝……なんだろうな』


 でもね、弟の部屋を斧でぶち破るきみの姉よりよっぽどマシだ。今頃、教会に夜遅くまで祈りと娘の平穏を祈ってきた両親はきみの部屋の無残な部屋を見て阿鼻叫喚。息子が誘拐されたんじゃないか、使用人らは何をしていたんだ、いやお嬢様が扉を斧で……、なに、そんなわけあるはずが……ルルーシェ⁉ ルルーシェはどこ行った、まさか悪霊に取り憑かれたあげく弟を生贄にとうとう儀式を――なんて阿鼻叫喚の真っ最中だからね。


 そんな実家の様子を一切知らない少年は、その家族絵を抱えて『ごめんなさい……』と涙を零し。


 ……まぁ、その悪霊がある意味『僕』だという捉え方もあるから。

 なんか……僕の方こそ色々ごめんね?


 きみの姉が苦手なことも頑張っちゃうのも、僕という悪霊の仕業なのかな?

 今宵も彼女は悪霊の方が逃げてきそうなほど、僕に対してニタニタと笑っているのだけど。


「あらやだわ。まるで心を読まれたみたい」

「これでも神様だから」

「ふふっ。そうでしたわね」


 弟の押し売りを明日も続けるの?

 そう訊いた僕に対して、今日もルルーシェ=エルクアージュは挑発的に口角を上げていた。そして「そうそう」となお、綺麗なお辞儀カーテシーを披露する。


「教会で両親も世話になったようで。家族ぐるみでお世話になるなんて、感謝してもしきれないですわ。ありがとうございます」

「……それなら、もうちょっと幸せそうな毎日を過ごしてくれないかな?」


 こう言っちゃあれなんだけど。僕も本当に悪霊になりたいわけじゃなくて。

 なんかこう……普通にさ? 何気ない日常を大切に過ごしたりだとか、好きな人とデートしてときめいちゃったりだとか、そうした余生を楽しく過ごしてもらいたかったわけなんだけど。……そういうのを、『彼女』も望んでいたんだと思うんだけど。


 誰がどう考えても『普通』じゃない彼女の日々に苦言を呈してみれば、ルルーシェ=エルクアージュという少女は不服そうに唇を尖らせた。


「あら。先日もお話しましたが、わたくしは毎日楽しいですわよ?」

「押し売り、苦手なんじゃないの?」

「余命あと数十日で初めての経験、新しい発見ができるなんて、幸せ以外なんと言えばいいのかしら?」

「弟の部屋を斧でぶち破るのが?」

「初めての経験に、手が震えっぱなしでしたわ!」

「単純に斧が重かっただけだよねぇ⁉」


 だーめーだ。何言ってもだめそうだこりゃ。

 前世の彼女も結構な頑固者だったけどさ、今世の彼女はもっとだめだ。あれかな、境遇の差かな。貴族社会は、このくらいの気の強さがないとやっていけないのかもしれないけど。


 まぁ、今日のところはこのくらいにしとこ。喧嘩したいわけじゃないし。

 と、ため息で自分の気持を誤魔化して。僕は話を戻す。彼女の弟くんのこと。やっぱり彼女は師匠の身元があの泥棒猫ちゃんの伯父、元アルバン男爵の家督を継ぐ予定だった嫡男だったとわかった上で押し売りをかけていたらしい。世間は狭いというか、彼女も利用できるものはとことん利用するというか。


 それを指摘してみれば、彼女は笑う。


「ふふ、またわたくしの心をお読みになりましたの? 破廉恥ですわ」

「そんなわけないだろう⁉」


 破廉恥って……‼

 そりゃあ無意識にきみの思考を読めたりはしちゃうんだけど……破廉恥なの⁉ 心の奥って……服の下だから破廉恥なの⁉ そんなこと言ったら服の下を透視することだって僕は……しないけどね! しようと思えばできちゃうけど? 僕紳士だから。紳士な神様だから。僕は前世のときから清く正しい好青年を心がけていたから……はあ。そんなこと言ったなら、『言い訳が見苦しいですわよ』と嘲笑われるのがオチだろう。


 どうしたら……どうしたらこの子にもうちょっと威厳というか……そこまでいかなくても『かっこいい』的なこと思ってもらえるか考えて。


 ――まぁ、この線が妥当だよなぁ。


 やっぱり僕は神様のくせに、大したことができないから。

 彼女の前で、ため息を吐くことしかできなくて。


「あーもう。わかった。わかったから……本当にもう、世話がかかるなぁ」

「あら。わたくし、何かご迷惑をおかけしてしまったかしら?」


 ……はいはい。わーかりましたよ、ルルーシェ様。

 僕に取り憑かれた不幸なきみに、少しだけ奇跡を演出してあげましょう。


「それでは、おやすみなさい」

「はいはい。おやすみ」


 どんなときも笑顔が綺麗なきみに。

 親より早く亡くなってしまうという、最大の不幸を背負ったきみに。


 師匠にしたい男の夢を操作するくらいしかできない、きみを根本から助けてあげられない残念な男からの――これは少しばかりの償いだ。 

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