蛇足「殿下と話す時間はございません」を神様は見ていた。
――彼女が死ぬまで、あと89日。
『うーん……どうも上手くいきませんわね』
ほんと……こんないい天気の日に、彼女は今日も何をしているんだろう?
学校のお昼休み。グラウンドでわずかな時間でもと剣術の訓練に勤しんでいる男子生徒らを横目に、今日もルルーシェ=エルクアージュという令嬢が剣を振っていた。
もう、かれこれ一週間くらいかな?
あの泥棒猫の毛繕いも続けつつ、忙しい合間を縫って剣を買ったらしい。武器屋に佇む彼女は異質だったね。それなのに、ルルーシェは場違いを意図もせずに大金を厳つい亭主に叩きつけて『わたくしでも扱える素敵な剣を売ってくださらないかしら?』と優美に笑みを浮かべていた。
……本当、彼女の心臓は鋼で出来ているのかな?
そんな強固な心臓を持つ令嬢が同年代の不思議そうな視線を気にするはずもなく、見様見真似でひときわ大きく剣を振り上げた直後だった。彼女は気付いてなかったけど――ゆっくりと近づいてきた少年が腰から剣を抜き、ルルーシェの刀身に己の鞘を合わせる。すると案の定、彼女の手はその反動に耐えきれず。ルルーシェの小剣は弧を描いて弾き飛ばされてしまう。
その際痛めたのだろう。彼女は小さく呻いて手首を押さえていた。
『ルルーシェは、基本的な筋力が足りてないと思うよ。特に握力。このくらいの衝撃を耐えられないようだと、とてもじゃないけど使い物にならないね』
『……ザフィルド殿下?』
ルルーシェに厳しい洗礼を与えたのは、ザフィルド=ルイス=ラピシェンタ王子様。あ~、あのルルーシェの婚約者(笑)の弟くんだね。ルルーシェとは将来姉弟になるわけか。でもどちらかといえば、幼馴染みたいな感じのようだ。
チャラチャラしてそうな……あぁ、実際にチャラついている子みたいだけど。
そんな彼が容赦なくルルーシェに告げる。
『さっき兄上とも喧嘩してたけど……もうやめたら? 運動したいなら、ダンスとかで十分でしょ?』
『嫌ですわ。わたくしは強くなりたいんですの』
……この弟王子くん。なかなかヤバい性癖(適切な言葉じゃないかもしれないけど……ヤンデレって性癖の一種だよね?)の持ち主……ふ~ん、その癖さえ発動させなければ、結構な優良株なんだなぁ。ようは彼の自尊心を保ってあげればいいんだから。限られた時間を過ごす相手としては、申し分ないのかも。
傍から言わせてもらえば、あの兄王子にコンプレックスなんて抱くだけ無駄だと思うけどね。お綺麗だとは思うけど、そんな人生をずっと歩めるわけがない。しかも人の上に立つ予定なんでしょ? あんなお人好しのままじゃ、絶対にどこかで挫折するとか、一番大切なものを失くすとかするから――まぁ、そこからが、彼の人生の本番のようだけど。
だからきみもさ、人のことばっか羨んでないで、もっと自分のことを大切にすればいいと思うよ。良いモノいっぱい持っているんだから。運動神経も抜群だし。良くも悪くも、伝手をたくさん持ってるでしょ。器量も良いから、それを上手く使える手腕もある。一番じゃないとはいえ、第二王子だ。他の人が望んでも、そうそう手に入れられない権力だってある。
もっと自分の持っているモノを大切にできれば幸せになれるのに……。
ま、ごめんね。全部傍から見れるだけのヤツの意見だ。そんな簡単にいったら、誰も悩まないよね……。
ともあれ、そんなこんな僕が考え込んでいる間に、なぜか弟王子がルルーシェの手を取っていた。彼女の擦りむけた手の傷を見ていたみたい。素手で剣を振り続けて出来た傷だね。
『あーあ。手の皮も剥けちゃって……痛くないの?』
『……そりゃあ、痛いですわ』
『あっはっは。でも続けるんだ?』
うわ……さすがチャラ男。上手いね、そういう理由を見つけて好きな女の子に触れるんだ。
僕も覚えておこ……使うタイミングがこの“
だけどさすがは僕の見込んだ(?)ルルーシェ=エルクアージュ。
このくらいの接触では動じないみたい。
『えぇ、勿論ですわ』
『テーピングの仕方、教えようか?』
『え?』
……僕はこれでも神様だからね。人間の子の鼓動や……俗に言う“ときめき”を察することくらいはできるわけで。
『仕方ないから、剣の基礎も教えてあげる。スパルタで良ければだけどね』
『いいんですの?』
…………ねぇ、ルルーシェ。ときめく所、そこ?
そしてその後、弟王子が彼女のポニーテールをひょいっと指先で弾く。
『その代わり、人前で訓練はやめようね。みんな、ルルーシェの白いうなじに欲情しているから』
『なっ⁉』
あ、その他大勢からの邪な視線には可愛い反応するわけね。
そんなことに僕の胸が高鳴ったのは――きっと彼女の年頃の少女らしい部分に安心したのだろう。
――その時の僕は、そう思っておくことにしたんだ。
その夜。……まぁ、黙っていられるわけもないよね。
やっぱり彼女が心配で、真っ白な夢の世界に会いに行くと。ルルーシェは笑顔で言いのけてくれるんだ。
「あら神様。今宵も会いに来てくださるなんて嬉しいですわ」
「……それは、毎日来るなという嫌味かな?」
「まさか。本当に嬉しく思っているのですよ?」
……嫌味言われても仕方ないかもしれない。
だって……もう一週間以上になるのかな。毎晩毎晩こうして会いに来ているからね。
なんだろう……もしかして僕、気持ち悪いのかな⁉ そーだよね、毎晩毎晩恋人でもない男が会いに来るとか……現実的に考えれば気持ち悪いよね! ダメ? ダメか、ダメだよね‼ 夢の世界なんて神様不思議ファンタジーで我ながら規格外で許されるかと考えないようにしていたけど……どこかの世界ではストーカーていうんだっけ。そんな変質者とこれじゃあ一緒だよねゴメンナサイッ‼
なんて僕の脳内暴走をよそに――彼女は「ふふっ」といつものように笑って。「それで」と疑問符を投げかけてくれた。
「今日はどんなお説教をしてくださいますの?」
「お説教って」
「剣の稽古を始めた時は本当に喧しかったですよね」
「喧しい……」
だってさぁ、だってさぁ……。
十代のこんな可愛い女の子が、剣の練習とか。別に戦争とか荒くれた世界でもないのにさ。やる必要もないじゃん。しかも、彼女の余命は残り八十九日。今から始めること?
「ねぇ……本当に稽古を続けるつもりなの?」
「勿論ですわ」
「素人の女性が百日間だけ訓練したって……プロの刺客を退治することなんかできないよ。きみにあの男は守れない」
「そんなこと、やってみないとわからないじゃないですか」
あー……即答しちゃうんだ……。
僕はね、見てるんだよ。きみが手をボロボロにしているところ。テーピングを巻いてもらって多少はラクになったようだけど……人目がない所だと、泣きそうな顔で不器用に剣を振っているよね。痛いんでしょ? 見てる方も充分痛いんだよ……。
僕は……きみにそんな辛い思いをしてもらいたくて、余命を伝えたわけじゃないんだ……。
だから、思わず言ってしまう。
「そんな不毛なことするくらいなら、もっと楽しいことをするべきだろう⁉ もっとやっておきたいことはないのか? 旅行に行きたいとか、美味しいものを食べ尽くしたいとか、遊びたいとか……訓練と教育に明け暮れる最後で、きみは本当にいいのか⁉」
そんな僕相手に強がっても、無駄なのに。
彼女は「勿論」と笑うから。
「そんなことしても、きみが死ぬという未来は変えられないよ」
――言い過ぎだ。
これは、彼女の人生だ。僕はただ見ているだけ。彼女に何もしてあげらない、そんな傍観者。その範疇を超えた愚かな僕に対して、彼女は堂々と胸を張る。
「どんと来やがれですわ」
「……勝手にしろ!」
――最低だ。
本当……何のために神様になったんだか……。神ってなんなんだろうね。何も成長してないじゃん。こんなんじゃ、生きている時とまるで変わらない。どこまで僕は勝手で、わがままなんだか……。
だから、これ以上合わせる顔がなくて。僕は、その場から逃げるように消えるのに。それでも彼女は、言ってくれるから。
「では、また明日」
優しく、そしてさみしげな声音で告げてくれるから。
まったくもう。ズルいよね。
また明日――こんな不甲斐ない僕のことを、それでも彼女が求めてくれるなら。
僕は、明日もきみに会いに行くしかないじゃんか。
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