とてもまぶしい三日間でしたわ②
アルバン家の客間でおやつを頂いていると、レミーエ嬢が言ってきた。
「そういえばルルーシェ様。三日後のダンスパーティ……サザンジール殿下との入場を断ったって本当ですか?」
でもわたくしはそんなことより、お皿に乗せられたドーナツというものを注視しておりました。なに、この円形の食べ物は……どうして真ん中が空いているの? しかも粉砂糖がたくさん。こんなの、こんなの……美味しいに決まっているじゃない⁉
まぁ、庶民のおやつでこのようなものがあると耳にはしていたわよ? 学校のクラスメイトたちも放課後に食べに行ってたとか。そりゃあ、わたくしも興味はありましたけど……でも、甘いものを食べすぎると後が大変じゃないですか。当然、体型維持も淑女の嗜みです。しかもこんなに粉砂糖がたくさんだと……否応がなく口のまわりが真っ白になりますわ。あぁ、こんな罪深いものをわたくしが食べていいの? 神様は許して――くださるわね‼ だって、あの神様ですもの! むしろ今晩のティータイムに差し入れてあげましょう。夢の中ならいくら食べても体重は増えませんわ!
今は席を外してくれましたが、どうやらアルバン男爵手ずから買ってきてくださったとのこと。御暇する前の挨拶の時に、お礼と称してさり気なくお店の場所を聞いてみましょう。
「あの……ルルーシェ様?」
さて、フォークもナイフもありませんわ。となれば、手掴みで食べるのよね……レミーエさんは慣れた様子で紙ナプキンで挟んで食べてますわ。わたくしも……ドーナツの下に置かれた紙ナプキンで挟んで、一口。
「んんっ⁉」
はわああああああ。なんですの、この口の中に広がる甘さの爆弾は‼ 噛み締めるたびにぎゅっと広がる油の甘さと相まって、とても罪深い味がします。罪深さしかありませんわ! だって複雑な味など一切なく、ただ油の旨味と砂糖の甘さしかないんだもの。……あぁ、幸せ。わたくし、もういつ死んでも構いません! どのみちあと三日で死ぬのですが。あぁ、もっと早くに出会っておけばよかった。『もっと美味しい物食べたりしなくていいの?』という神様からの助言はもっと聞いておくべきでしたわね!
「ルルーシェ様ぁ~?」
「だからレミーエさん。語尾は伸ばさないようにと何度言えばわかるの?」
でもそれはそれ、これはこれ。表情を引き締めてきちんと注意すべきことを注意すると、レミーエ嬢は反省の色なく苦笑していた。
「ドーナツお気に召しましたか?」
「えぇ……あとで男爵にお礼を言わせてくださいね」
「それは父も喜ぶと思います――ということで、私の話も聞いてもらってよろしいでしょうか?」
「勿論。なんでしょう?」
「どうして・サザンジール殿下と・ご入場・されないんですか?」
一節ずつ区切って強調してくるレミーエ嬢。あら、そんなこと?
わたくしは甘くない紅茶で口の中をリセットしてから、話す。
「そういえば以前ご紹介していただいたアルジャーク男爵とわたくしの従姉妹が今度お見合いすることはご存知?」
「ル・ルーシェ・様ぁ⁉」
……もうっ、わたくしが怒られてしまったわ。いいじゃないの。そんな話題よりこちらのほうが楽しいでしょう? もしかしたら、わたくしたちが親戚になるのかもしれないのよ? ――その頃に、もうわたくしはいないのだけど。でも、もしもこの縁談が上手くいったら、エルクアージュ家があなたの後ろ盾になってくれるかもしれないでしょう?
だけど、あまりにレミーエ嬢が目くじら立て始めているから……仕方ないわね。わたくしは簡潔に諭す。
「だって、それは婚約者とか恋人同士がする
今度のダンスパーティのみならず、パーティの基本。
事情がない限りは入場の際、大抵の令嬢は懇意にしている殿方にエスコートされて入場するのが定石である。しかもダンスパーティの場合はそのまま一曲目を踊るから尚更ね。こないだのレメル伯爵家の晩餐会では、レミーエ嬢のエスコートをわたくしが務めたわ。
つまり――もう練習は終わったのよ。
「あなたがサザンジール殿下と入場しなさい、レミーエさん。殿下にも伝えてありますから」
「おかしいでしょう⁉ なんで私が⁉」
「だってわたくし、婚約破棄を申し出ましたし」
……厳密に言えば、書面で国王陛下の調印をいただいていないので。婚約は破棄されていないのですが。だって、どうせあと三日で死ぬのに。わざわざ無駄な手続きをする必要はないわ。両親含め大勢を動揺させる必要もない。わたくしがいなくなれば、自然とこの婚約はなかったことになるのだから。
だから殿下に破棄の旨を伝えたのは……ただのわたくしのわがままね。
そんなわがままを、レミーエ嬢は認めてくださらないようだけど。
「で、でも……それはお風邪引いてしまったときの気の迷いというか……こないだも殿下と仲良く泥遊びしていたじゃないですかぁ!」
「それはそれです。それに――あなただって三日後のために、殿下から贈られたドレスがあるのでしょう?」
「ドレス…………あっ!」
ただでさえ大きな目をさらに見開いたレミーエ嬢は、慌ててドーナツを口に詰め込む。そのままゴクンと飲み込んで紅茶で流し込む姿は――とても王妃様に見せられるものではありませんわ。だけど流れるようにパンパンッと白い粉を叩いてから机をバンッと叩くものだから、わたくしは口を挟む暇がありませんでした。
「ルルーシェ様、勘違いですっ‼」
「何がですか。殿方が女にドレスを贈る意味なんて考えるまでもなく――」
「だから・それが・勘違いなんです! 私はドレスを贈られていないんですっ‼」
そんなこと言われましても。だってザフィルド殿下と件のお店までわざわざ赴き、あの珊瑚色の髪のあなたにピッタリすぎる桃色のドレスを拝見してきたのですよ?
それでも、彼女の瞳は真剣そのものだったから。
わたくしは食べかけのドーナツをお皿に戻して、眉根を寄せた。
「どういうことですの?」
その後、わたくしはレミーエ嬢に連れられて、無理やり例の服飾店に赴くことになった(なおドーナツは最後まで食べられませんでした……)。
入店する早々、「いらっしゃいま……」と気軽に挨拶しようとしていた店員さんたちが固まる。無論、わたくしの顔を見たからだ。「店長……店長⁉」とひとりが裏へ駆け込めば、すぐさま飛び出してくるのは前にも接客してくれた店長の方。
「これはこれはエルクアージュ様。先日お頼みいただいたドレスはお送りしたはずですが……何か手違いでもございましたか?」
「あ、いえ……あのドレスは素晴らしい出来だったわ」
「これはこれは。恐悦至極でございます」
わたくしの言葉にほっと安堵の息を吐く店長さん。そうよね、こないだ商品を頼んだばかりの公爵家の令嬢が急に現れたんだもの。何かその商品に問題があったかと心配になるわよね。
気を取り直した店長は訊いてくる。
「ならば……今日はどのようなご用件でしょう?」
「それが……」
わたくしが言葉に詰まっていると、後ろからレミーエ嬢がずいっと顔を出した。
「私のこと・覚えて・いてくれてますか?」
もうっ、その話し方はどこかの流行りなの? 聞いていてあまり気持ちいいものではありませんわ。それでも、店長は気まずそうにわたくしを見やる。
「それは……えぇーと……」
「結構よ。彼女がサザンジール殿下と懇意にしていることはわたくしも知っております。ただ……その時彼女たちが選んだドレスが
そう――レミーエ嬢が言うことが真実ならば。
サザンジール殿下は公務の一貫として、何か新規事業を手掛けるように国王陛下から命令されていたらしい。そこで殿下が目を付けたのは、パーティ時の令嬢たちのドレス。もうこれは風習のようなものではあるが、裕福な貴族ほど同じドレスに袖を通ることは少ない。よほど思い入れがない限り、一度着たドレスはバラされ、生地として再度売られる――それを勿体ないと思ったのだろう。それなら、一晩限りドレスを貸し出し、再度
実際、貴族といえど裕福な家ばかりではない。なのでこのドレス文化に頭を悩ませている者も多いという。アルバン家もその中の筆頭……というほどではないが、痛い出費だったのは事実らしい。そこで、殿下の新規事業の手伝い、もとい意見出しをしていたという。
わたくしの問いかけに、店長は「どうかご内密に」と言いながら小さく頷いた。
「私共も完成したドレスを確認していただいた時に改めて協力を頼まれまして……驚いたのですが」
「そう……ありがとうございます」
わたくし達が見に来た時は、まだ仮縫い段階だったから……。これ以上の詮索はダメね。まだ公にできる段階ではないのでしょう。それを無理やり問いただしてしまい申し訳ないくらいだわ。
お詫びの印にブレスレットを二つ買わせていただいた。白い貝が変色する可愛らしいブレスレットだ。そんな高いものではないけれど……一つをレミーエ嬢に贈ると、彼女は「嬉しいです」と言いながらも気まずそうな顔。あら、残念。せっかくのお揃いなのだから、喜んで貰いたかったわ。
そして、わたくしたちは店を後にして。馬車に乗り込んだ時、レミーエ嬢が口を開く。
「その時選んだドレスは、私と同じクラスの子爵家の子が着ることになってます。あーいうのが好きな子がいたので……私が紹介したんです。私は……こないだルルーシェ様から貰ったドレスがあるから……」
あら、あのドレスを着てくれるのね! とても嬉しいわ!
そう両手を打ち合わせたいところなのに、レミーエ嬢の顔は暗い。
「あの……だから、ルルーシェ様。どうか殿下と仲直りしてもらえませんか? でないと……私も悲しいですよぉ……」
「わたくしを気遣ってくれるのなら――」
あーあ。少しだけ罪悪感だわ。わたくしはこんな友達の気遣いを無碍にしないといけないのね。……甘いものでも食べないとやってられないわ。
「このあと、例のドーナツ屋さんを案内してくださらない?」
わたくしは彼女の涙に気が付かないふりをして、にっこりと笑ってみせる。
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