とてもまぶしい三日間でしたわ①

 ――あと3日。


 さすがに先生に歯向かいすぎましたわね。まさか休みを反省文なんかで潰されるとは思いませんでしたの。もうっ、そんなんだから一向に小皺が減りませんのよ? 来週にでも先生の御自宅にお母様愛用の美容クリームでも贈っておくことにしましょう。


 そんなわけで……今日は人生最期の休日となります。勿論、わたくしが伺う場所は決まっておりますわ。


「では、レミーエさん。明後日のダンスパーティーの開催理由は覚えてまして?」

「はい。我が学園の先輩でもある名匠画家アンドレ=オスカーの大作『ナナシの落日』の年一回の披露の場として開催されます。名匠アンドレ=オスカーは生前ダンスが好きだったということです」


 たった百日……初めはどうなることかと思ったけど、顎を引いて答える姿は随分と様になりましたわね。正直、知識なんて最低限でいいのよ。ただ、自分自身に自信が持てること。そして常に背筋を伸ばしていられること――それに、あなたには愛嬌があるもの。きっと、どんな場所だって上手く渡っていけるわ。


 本当はもう少し人前を共にして、自信を付けさせてあげたかったけど……それは我儘というものね。


 もうすっかり慣れてしまったアルバン男爵家の書斎。その紙の香りを胸にいっぱい吸い込んで、わたくしは「宜しい」と次の質問を重ねる。


「では……わたくしは以前『ナナシの独白』という写本をあなたに差し上げたわね? それを読んだ上で、あなたは『ナナシ』という方はどのような人物だと思う?」

「え……ナナシですか……」


 あら、言葉に詰まってしまいますの? レミーエ嬢がお風邪をひかれてしまった時(嘘でしたけど)の一冊ですわ。……もうけっこう前になるのかしらね。


「もしかして、本の内容を忘れた?」

「あ、いえ。覚えてはいるんですけど……なんか変な人だった……いえ、特殊な思想の方だったなぁ、と」

「今は言葉遣いを気にしなくていいわ。思う通りに話してちょうだい」


 わたくしが促せば、彼女は「うーん」と顎に人差し指を乗せながら視線を逸らす。その考える癖は直した方がいいわね。でもきっと、それは王妃様がいち早く指摘してくれるだろうから。

 あとわたくしがすることは、三日後のダンスパーティーで彼女に恥をかかせないことだけ。


 彼女は話す。


「ナナシさんって、千五百年くらい前の人ですよね? たしか戦争の真っ只中で、大嘘を吐いたとか。『ぼくが王子だー』て。当然恰好の標的にされて、おびただしい量の火矢が飛んでくる中、先頭に立って大勢の国民を守ったと。そして奇跡的に助かり、英雄として崇められる一方……追放された人」


 その勇敢なる姿勢が人々に勇気を与え、無事戦争には勝利した。だけど如何に英雄だとしても、当時の王国は今よりも柔軟さはなく、王家の名を騙ることは大罪。その男は自身の名前を剥奪されて『名無しナナシ』となり、残りの生涯ずっと教会で神に懺悔をし続けたという。


 その教会の懺悔室での語り草を纏めた物が『ナナシの独白』だ。

 その一節に、こうあった。


 ――僕は魔女を守りたかっただけだ。だからこうなったこと、まるで後悔していない……だけど、一つだけ懸念があるとするならば……彼女は今、笑ってくれているだろうか?


「結局、ナナシさんが守りたかったという『魔女』て、誰だったんですかねぇ?」

「そうね。当時の王女だったとも言われているし、本当に魔女だった、とも言われているわ。なんせ千五百年も昔の話。今では絵本の中でしかない魔法があったって何もおかしくないでしょう」


 一般論を語っているつもりなのに……どうしてレミーエ嬢はくすくす笑っているの?


 わたくしが眉根を寄せると、レミーエ嬢は「ごめんなさい」と涙を拭う。


「魔法とか、ルルーシェ様も案外夢見がちなんだなって」

「……悪かったわね」


 わたくしがプイッと顔を背けると、レミーエ嬢はさらに声をあげて笑う。もうっ、失礼しちゃうわ!

 そんなわたくしにレミーエ嬢は言った。


「でも、もし本当にナナシさんが魔女を守ったのだとしたら……すごいですね」

「すごい?」

「だって、魔女ってやっぱり強そうじゃないですか。ナナシさんって特別な力も何もない人なんでしょう? むしろ守られる立場だったんじゃないかなぁって。奇跡的に火矢の中助かったのも、魔女が助けてくれたのかもしれませんね」


 たしかに、本当に彼の守りたい女性に不思議な力があったとするならば。彼のしたことなんて無駄だったのかも知れない。彼が命を賭けた行動なんかしなくても、その女性は自分で己の身を守れたのかもしれない。むしろレミーエ嬢の憶測通り、逆に魔女に命を救われたのかもしれない。


「……これは、あなたにまだ読んでもらってない史実書に記載されていたのだけど」


 これは本当に古くて、それこそよほど史実が好きな者でないと調べないような本に書かれていたこと。


「ナナシが敵兵士集団を引きつけていた際、その魔女はその近くの場所で魔女狩りに遭おうとしていたみたいでね。ナナシは戦争なんかそっちのけで、ただ魔女を逃すために立ち上がっただけとも言われているわ。当時、黒髪は異端な物とされており、本当に不思議な力があるかどうかは定かではないけど……」


 黒髪がこのラピシェンタで異端とされていたというのは、いくつもの書物に残されている。お母様の祖国も未だ『異国』と呼ばれている始末。だけど……だからと言って今のラピシェンタでは髪の色で差別されることはない。わたくしにとっては有り難い限りの話ね。当時生まれていたら、わたくしはきっともっと大変な人生を歩んでいたことだろう。


 だから、というわけではないけれど――わたくしは、その『魔女』を守ろうとしたナナシという人物に、昔から思い入れがあったの。


「もしもナナシという英雄が人々の為ではなく、ただ一人の女の人のために英雄となるような行動をしたのなら……誰よりも自分勝手で、誰よりも素敵だと思わない?」


 わたくしの何気ない問いかけに、レミーエ嬢は首を傾げる。


「……素敵ですかぁ? 私はちょっと独り善がりがすぎるかなぁって気がしちゃいますけど」

「ふふっ。同意できないならそれでいいのよ。こういうのは各々の解釈を好き勝手話しながら妄想するのが楽しいんだから」


 ふふっ。やっぱり同意は得られませんでしたわね。昔、王妃様にそれを話したら『そんな馬鹿な男のどこがいいの? 女を守りたいだけならもっと上手い方法があったでしょうに。だからそれとこれは違う話――そんな色恋の話ではなく、ただの英雄譚でいいのよ』と一蹴されてしまいましたの。当時は結構ショックで……でも、今では懐かしい大切な思い出ですわ。


 だって、たとえ王妃様に認めて貰えなかったとしても……この英雄譚が恋物語であることに、ときめきが止まらないんだもの。


「たとえ誰もが異を唱えようとも……わたくしは素敵だと思いますわ」


 たとえ、傍からしてみたら独り善がりだったとしても。それが愚かな選択だったとしても。

 ただ一人のために全てを犠牲にしてもらえるなんて、そんな女冥利に尽きた話はないと思うの。それが一人の命だろうと。持っている名誉や栄誉と引き換えにした愚行だとしても。馬鹿であればあるほど、わたくしはそれが愛おしい……。


 わたくしは自然と閉じていた目を見開く。ちょっと閃いてしまいましたの。だって、今の話の流れはまさに……。だから、わたくしは喜々と両手を打ち合わせる。


「ねぇ、レミーエさん! 今これはまさに“恋バナ”というものをしているんじゃないかしら⁉」

「え? 恋バナですか……」

「えぇ! わたくし恋バナをするのは初めてでしてよ!」


 レミーエさんはわたくしの興奮に一瞬付いてこれなかったみたい。だけど、彼女もすぐににっこりと笑ってくださった。


「そうですね! ルルーシェ様と恋バナできるなんて光栄です!」

「ふふっ。わたくしもレミーエさんとこんな話ができるなんて嬉しいわ!」


 きゃっきゃと騒いでいると、さすがに煩すぎたのでしょう。アルバン男爵がそっと扉をノックされる。


「休憩ならお茶でもどうかね? ちょうど美味しいお菓子も取り寄せてあるんだ」

「ぜひ頂戴したいですわ!」


 間を入れずにわたくしが応えてしまうも、レミーエさんはくすくすと笑いながらも席を立って。


「それではルルーシェ様、客間に行きましょう!」


 彼女は両手でわたくしの手を引いてくださる。

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