閑話 元ペテン師の独白④
そして僕の思惑……とはだいぶ逸れた気がするけど、兄上はルルーシェから婚約破棄を提案されたらしい。
「俺のルルーシェに何をしたっ‼」
屋敷に戻って来る早々、兄上はへなちょこな拳で殴りかかってきたから――いい機会だと思って一発殴らせて貰った。あ、吹っ飛んだ。そこまで力を入れてないつもりだったんだけど……まぁ、仕方ないよね。僕は「ごめん……」て戸惑うふりをして、そのままシラを切らせてもらうよ。
――だって僕の嘘の通りに、何かしたのは全部兄上だろう?
「でも、どうして? 僕は僕なりの善意で助言していただけなのに……」
「それは…………そうだったな。すまない。思わず気が動転してしまった」
「いや、それはいいんだけどさ。それよりも、ルルーシェから婚約破棄を申し入れられたとか、本当なの? どうして⁉」
「それが――」
もちろん、心優しい弟は倒れた兄上に手を差し出すよ。
でもさ……ほら。兄上も薄っすら思っているんじゃない。全ての元凶が僕なんだって。実際、徐々に僕に助言を聞くことも減って、自分で行動していたよね? 全てはもう遅かったようだけど。それを見て見ぬふりをし続けるのは、いい加減醜いと思うよ。
それなのに、兄上は僕の差し出した手を取るんだ。あぁ……腹が立つ。
それでも、さすがに自分が唯一贈ったドレスを他所の令嬢に譲られてしまったのは同情してしまったのだけど。兄上は珍しく茫然自失。さすがにそのまま自殺でもされたら困るから(ルルーシェが気にしてしまうよね)、屋敷まで送り届けようとしたんだけど。
僕が兄上の肩を抱こうとすると、振り払われてしまった。
「えっ?」
「あぁ、すまない……だが、俺は大丈夫だ。婚約破棄を言い出されたんだからな。そりゃあ、俺からの贈り物なんか邪魔に決まっている」
「兄上……」
そんな物分りが良いってことは、もうルルーシェのことは諦めるのかな?
一瞬、そう考えた僕が馬鹿だった。
「ザフィルド。俺はルルーシェを諦めんぞ」
「……ますます彼女に嫌われるかもしれないよ?」
「そうだとしても、だ。それと……俺はおまえのことも諦めてやらん」
……何? 言っている意味がわからない。
僕が目を細めても、振り返った兄上はまっすぐに僕を見てくるだけだった。
「おまえがどんなに俺のことを嫌おうと、どんな嫌がらせをしようと――俺はおまえを信じるぞ。俺は永遠におまえの兄だ。ゆめゆめ、そのことを肝に銘じておけ」
そう言いのけて、兄上はひとりで屋敷に戻っていく。
本当……何を言っているのかわからない。なんで、あいつは僕と同じ色の目をしているんだよ。
あんな屈辱にあっているというのに……どうして同じ目のはずなのに、あんな強い色を放てるんだ?
僕は屋敷に戻り、鏡に手を当てる。あぁ――この世で一番、瑠璃色が嫌いだ。
そんなこんなで――今、僕は泥だらけの兄上とルルーシェが教師に叱られている現場を見ているのだけど。本当何なんだろうね、この状況は。一学年『アン』クラスのほぼ全員がさ、みんな泥だらけで。校門の近くの所で正座させられているの。教師の言うことは真っ当だよ。
「国民を代表する令息令嬢たちが、授業そっちのけで泥遊びをしてはいけませんっ!」
そりゃそうだ。始業の鐘が鳴ってもみんな止めないんだもん。まぁ、主犯である高貴なる二人が高笑いしながら泥を投げ続けていたんだから、逃げるに逃げられなかったのかも知れないけど。
教師の説教は、とうとう主犯に向けられたようだ。
「そもそもルルーシェ=エルクアージュさん! どうしてこんなことを始めたんですか⁉」
「……今のわたくしたちに必要なことだったからです」
「……どういうことですか?」
石畳の上に正座させられてもなお凛としている令嬢に毅然と言われて、教師がたじろぎ始める。当然、その隙を逃すルルーシェではない。
「先生は知らなかったかも知れませんが……わたくしたちには確執がありました。公爵家だから。伯爵家だから。男爵家だから。親から引き継がれし肩書で、わたくしたちはどうしても上下関係ができてしまいます。勿論、学校内ではそんな生まれ持っただけの肩書などでひとを判断しないよう教育しようとしてくださっていることは重々承知ですわ。それでも、先生もわかっていたはず。そんなことは、建前でしかないのだと――でも、それじゃあ寂しいじゃないですか。わたくしたちは縁あって同じ学び舎で青春を過ごしているんです。そんな爵位など……こうして泥に塗れてしまえば、全てくだらないものになりますわ。わたくしたちはみんな泥だらけ。これでようやく、わたくしたちは真に平等となれたのです!」
その圧倒的な迫力をもってした詭弁にも甚だしい屁理屈に、教師は反論できない――と思いきや、さすがの先生も「そうだとしてもやりすぎです!」と言い返す。うん、頑張れ先生。多分いくら言ってもルルーシェは反省しないと思うけど。
だって、兄上もルルーシェもすごく満足そうな顔してるんだもん。なんでそんなスッキリしているの? 全身泥だらけなのにさ。先生の説教が続く中、クスクス笑ってたらダメだって。反省の色ゼロ。あーあ、知らない。あとで二人して母上に怒られればいいんだ。
――あぁ、本当に腹が立つ。
なんでこんなことで、二人は仲直りしているんだよ。せっかく僕がぐちゃぐちゃにしてやったというのに。
その時、泥で汚れた荷車の傍で傍観を決めていた僕の隣に、そっとひとりの令嬢が近づいてくる。珊瑚色の髪が可愛らしい小柄の令嬢――レミーエ=アルバン男爵令嬢だ。……変な顔しちゃってたかな? 彼女は小さく声をかけてくる。
「あの……ザフィルド殿下」
「ん? 君は早く教室へ向かったら? こんなことに付き合う必要はないんじゃない? 兄上たちへの体面を気にしてのことなら、あとで僕から言っておくから」
彼女は僕を除いて唯一泥に汚れていない。ルルーシェにノリノリでお玉を渡したけど、それ以降は離れた場所で見ていただけだった。だから普通に授業に出れるはずだし――そもそも彼女は『トロア』クラス。今も『トロア』クラスは普通に授業をしているはずである。
教室に行っても授業どころかクラスメイトがここで泥だらけになっている僕と違い、堂々とサボっている彼女は小さく舌を出した。
「だって興味ありますし」
「……そんなんじゃ、こわ〜いルルーシェ様に怒られちゃうよ?」
「むしろだからこそ、ルルーシェ様がこの難関を如何に切り抜けるのか勉強させていただかないと」
――ようはルルーシェが説教されているシーンが面白すぎるから観察したいってことだろう?
平然と建前を言ってのける彼女に、幼い頃のルルーシェと既視感を覚えずにはいられなくて。思わず吹き出すと、レミーエ嬢は目を丸くする。……うん、本当に昔のルルーシェそっくりだね。
「どうしたんですか?」
「いや……君は間違いなくルルーシェの弟子だなって思っただけだよ」
そんなことを話していると、僕らにまでとばっちりが飛んでくる。
「そこぉ! 無駄口叩いている暇があれば先に教室に戻ってなさぁーいっ‼︎」
一向に引く気のないルルーシェとの問答による完全なる八つ当たりだ。それなら……僕も少しだけ参戦しようかな。
僕は片手を上げて、白々しく質問してやる。
「せんせーい。今はクラスのみんなで青空教室しているんじゃないですかぁ?」
「そうですわよ! 今日はこの青空の下で西洋の泥の性質について肌で学んでいるのですわ! ほら、宜しければ先生もご一緒にいかがですか? 最近小皺が気になると仰って――」
「ルルーシェ=エルクアージュっ‼︎」
「ふふっ。なんですか、先生?」
あーあ。これは当分ルルーシェの独壇場だな。
終始楽しそうなルルーシェの隣で、兄上はくーすか気持ちよさそうに鼻提灯を膨らませている。よく眠れたもの……だけど、僕は知ってるよ。
ルルーシェの追試対策の教材作りのため、連日徹夜してたもんね。挙句にさすがの昨日は寝るのかと思いきや、直前対策暗記帳まで作っていて……今朝一番に届けようとエルクアージュ家に早馬で向かえば「アルバン男爵の家に友達とお泊まりしていたのでは?」と言われて。その話を当然兄上は知らなかったから、レミーエ嬢とアルバン男爵に確認してみればそのことを知らず。エルクアージュ家に連絡を入れたというファブル令嬢傘下の子爵令嬢を問い詰めて――。
さすが兄上。とっさの行動力はさすがだったね。その上で全力で泥遊びまでしたんだ。さすがにうたた寝しても仕方ないと思うよ。
そんな兄上の苦労を知ってか知らずか。
ルルーシェはとうとう頭を掻きむしり出した先生にさらに詭弁を並べ立て、ケラケラと楽しそうに笑っている。
ねぇ、ルルーシェ。それは自分が楽しみたいからだけ? それとも、寝不足だった兄上に少しでも睡眠時間を確保させるため?
あぁ――僕は空を見上げる。青い空が、嫌味なまでに美しい。
結局その日はみんな現地解散となった。……あんな泥だらけで教室に入ったら、掃除夫が可哀想なことになるからね。
その翌日。今日は休日だ。そんながらんとした教室で、登校を強いられてしまったルルーシェと兄上は、先生に命じられた反省文を書いていた(あまりに先生の怒りが埒あかなかったから、それで妥協してもらうよう僕が促したんだけど)。
次期国王と次期王妃が休日に反省文って。恥晒しにもほどがあるよね。それなのに二人はまったく反省したそぶりもなく、作文用紙を前に楽しそうに談笑なんてしているものだから――。
あーあ。僕のしてきたことって、何なのだろう?
僕はやっぱり、ひとり廊下から彼女たちを見ていることしかできない。
◇ ◇ ◇
あーあ。僕はクソほど最低だね。でもさ、こういうのって――やめ時がわからないんだよね。ねぇ、ルルーシェ。僕はどこで諦めれば良かったんだろう? 未だにわからないや。
もっと早くに訊いていたら……君は答えを教えてくれたのかな?
◇ ◇ ◇
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