立場が代わりましたわね②

 ――あと18日。


 それは雨の日も。

「ルルーシェ=エルクアージュ! 改めて俺のプロポーズを――」



 ――あと17日。


 木枯らしの強い日も。

「ルルーシェ=エクルアージュ殿! せめて話だけでも――」



 ――あと16日。


 当然、紅葉が綺麗な晴れた日も。

「ルルーシェ=エルクアージュ様‼ 後生ですから俺の話を――」



 ――あと15日。


「頼むから俺を見捨てないでくれ~~‼」


 その日もスタスタとサザンジール殿下の横を通り過ぎ、待っていてくれたレミーエ嬢と教室へ向かった時だった。


「エルクアージュ君。少々話をしたいんだけどいいかい?」

「はい?」


 声を掛けてきたのは、担任の教師である。レミーエ嬢に目配せしてから、案内された職員室に入り――それを見せられた。




「ルルーシェが赤点って本当なの?」

「えぇ、うっかり二教科……わたくしもびっくりでしたわ」


 お昼休み。今日も今日とてザフィルド殿下にお声掛けして、剣術の訓練をしてもらおうとした時でした。いつものグラウンドの隅で二人きりになった途端、壁に寄り添った殿下が腕を組んでいる。


「まぁ、そんなことより今日も訓練をお願いします。たしか腹部を狙われた時の対処法でしたわね?」

「いやいやいや。それどころじゃないでしょ。勉強しなきゃ」

「必要ありませんわ」


 わたくしは小剣をぶんぶん振りながら即答する。

 だって赤点だろうが落第だろうが、あと十数日で死ぬ者からしたらどーでもいいことですからね。両親はびっくりだろうが……娘が死んだら、成績どころじゃないでしょうし。まぁ、あと十数日は教師に賄賂でも握らせて、親への報告を遅らせてもらうことにしましょう。


 それよりも剣術です。体捌きです。正直、サザンジール殿下の暗殺の件ははっきりしておりませんので……。


「あ、ザフィルド殿下。サザンジール殿下に暗殺者を仕向けるご予定は?」

「なにそれ。そんな気安く訊くこと?」

「重々しく訊いた方が答えてくれるんですの?」


 わたくしが小首を傾げれば、ザフィルド殿下は苦笑する。


「毎朝あんなに惨めな兄上を、わざわざ殺す理由は見当たらないな」

「惨め……ですかね?」

「その点でいえば、とてもルルーシェに感謝しているよ。明日の朝も楽しみだ」

「まあ、お役に立てているようなら何よりですわ」


 そうか。とりあえず殿下が暗殺者に狙われる件も杞憂で終わりそうなのね。

 なら、わたくしが剣術を極める必要もなくなったのですけど――。


「せっかく始めたことを途中で終わらせるのは気持ち悪いですわ。さあ、早く続きを教えてくださいませ‼」

「いや、それはそうとて勉強をね⁉」


 あらあら。話を戻されてしまいましたわ。

 結構ザフィルド殿下も頑固ですわね……と、わたくしは剣を下ろす。

 殿下はまるで子供に説教するようでした。


「……で? 今回はどうしてこんな低い点数を? 直前まで風邪で休んでたとはいえ……案外元気そうだったし。そもそもルルーシェなら直前に勉强しなくても、平均点くらい軽く取れそうだと思うけど?」

「平均点といっても、うちのクラスは八割軽く超えているじゃないですか。試験問題が同じなのに赤点の基準が違うなんて狡いですわ」

「それはそう……いや、誤魔化されないよ! 『アン』クラスの者が赤点なんて前代未聞だからね⁉︎」


 ……えぇ。たしかに、本来なら常に成績上位をキープしてましたので。そう思われるのも当然かもしれませんが、案外隠れて猛勉強した上での成績でしたのよ? 王妃様から習うマナーや歴史などの教養と学校で教わる算術や経営学といった学問はまた別ですから。後者もそれなりに努力をしていたのです。

 しかも休んでた一週間のみならずここ百日、その労力を常に他に向けていましたからね。授業には出ていたといえ、とても集中していたとは言い難いですし。自己学習の一切を行っていなければ……そんなものですよ。わたくしなんて。


 適当に過ごしてしまいましたが、定期試験は復帰後すぐにありました。殿下からの求婚をスルーし始めた日ですわ。……殿下は試験大丈夫でしたのでしょうか?


「サザンジール殿下の成績はどうでしたの?」

「……さあ? でも兄上のことだから、そこは抜かりないんじゃないかな。『成績が下がりでもしたらルルーシェに顔向けできなくなる‼』て、深夜に絶叫が響き渡っていたから」


 屋敷で働く皆様、わたくしのせいで申し訳ございません。それはホラーでしたわね。

 まあ、過ぎてしまったことは仕方ありませんわ! わたくしは己の為すべきことをやるしかないのですから‼


「それなら、安心して訓練を開始しましょう‼」

「いや、だからルルーシェは勉強をね⁉」


 ……とても不本意ですが。今日のお昼休みは勉強をするよう説かれて終わってしまいました。




「あの……ルルーシェ様が追試って、本当ですか?」


 その日の放課後。さて本日もレミーエ嬢へ妃教育を施しましょう、と空き教室へ赴くやいなや、待っていたレミーエ嬢に聞かれてしまいました。

『次期国王陛下を尻に敷く悪女ルルーシェ=エルクアージュがまさかの赤点⁉』という噂は、レミーエ嬢の『トロア』クラスにも知れ渡っているようですね。


 ……あら。いつの間に『悪女』になりましたの? 

 それを聞いた時、わたくしはおかしくて仕方ありませんでしたわ。憐れな婚約者令嬢からの転身ですもの。でも、レミーエ嬢はそれどころではない様子。


「も、もしかして……私に時間を割きすぎて、ご自身の勉強が――」

「あら。レミーエさんは、わたくしをそんな間抜けだと思ってたの?」

「ま、まさかそんな⁉」


 大慌てで否定してくださるけど……あなたの言う通り、わたくし間抜けですの。

 人生初の追試に補講。しかも、多分補講はサボりますわ。なんだか最近、貴族としての義務とかどうとかも、どうでも良くなってきましたの。余命が残り少ないからですかね?


 とにかくたしかなのは、決してレミーエ嬢のせいではないということ。全て、わたくしの自業自得。

 半泣きの彼女に、どうにかそれを理解してもらわねば……と言葉を考えていた時だ。


「今こそ、俺の出番だなっ‼」

「お呼びしておりませんのでさようなら」


 ドンッと扉を開いて登場した人物に、わたくしは即座にお帰りをお願いする。だけど残念ながら、相手はサザンジール第一王子殿下。いち公爵令嬢のお願いを無条件で聞く道理はない。


「だが断る! 在学三年間のほとんどをトップの成績で維持し続けてきた先輩が、今こそ役立つ時だろう⁉」

「……そうですかね? むしろ赤点や追試の対策など、無縁の長物だったのではなくて?」

「そこは抜かりない! しかと対策済みだ‼」


 なにやら殿下はパラパラと両手に抱えたたくさんのノートを解説してくるが――それに適当に応えながら、わたくしはレミーエ嬢に視線を向けた。「あなたが呼んだの?」そう問いかければ、彼女は頷く。まったく余計なことを。しかも彼女はわたくしに耳打ちしてくるではないか。


「当分、私の面倒は大丈夫ですから。早く仲直りしてくださいね」

「その間に、あなたはサボろうという魂胆ですか?」

「まさか。今回も自力でクラストップになれたんですよ。来年はルルーシェ様と同じクラスになってみせます!」


 進級時のクラスは、過去一年間の成績や生活態度を加味して見直される。試験内容はどのクラスでも同一。たしかに今回のレミーエ嬢の成績は『トロア』クラスのトップ……どころか、『ドウ』クラスを超えて『アン』クラスの平均値よりも上回っているらしい。つまり、赤点のわたくしよりも遥かに良い点数だったということね。今までは『トロア』クラスでも平均点以下だったから……わたくしが風邪を引いている間、本当にひとりで頑張っていたということだろう。

 

「私、ルルーシェ様のお友達になりたいんです!」


 少し恥ずかしそうに告げてくる元泥棒猫に、わたくしは苦笑した。


「もう友達のつもりだったんだけど?」

「え?」


 仕方ない。わたくしは殿下に「ぜひご教授お願いします」と頭を下げる。

 だって自らの教え子にここまで言われちゃ……最期まで格好悪い所、見せられないじゃない。


 それに――わたくしの言葉一つでこんなにきゃあきゃあ騒ぐんだもの。やっぱり令嬢としてはまだまだね。自分のことはさっさと片付けないと……まだまだ教えたいことがやまほどございましてよ。最期まで、きっちり付き合ってもらいますからね?

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