閑話 元婚約者の独白④

 入学してから少しして、俺はまともにルルーシェと会うことが出来なかった。だって彼女の入学の際、毎朝ルルーシェを迎えに行こうと色々手配していたら、ザフィルドが言ったんだ。


「学校でくらいさ、王族や妃云々忘れさせてやったら? 兄上の顔を見たら、嫌でも思い出しちゃうでしょう?」


 なるほどな。確かに学校では友人らと羽を伸ばす良い機会だろう。ザフィルドは同じクラスだから否応がなくルルーシェと会ってしまうが、俺の見る限りでは良き友人関係であると思う。何かあってもザフィルドがフォローするだろう。昔からあいつは気配り屋だからな。


 それに、母上も『女の世界に男は口を出すな』と何度も言っていた。だから俺は二人の助言通り遠くで見守るだけに努めていたのだが……学年は違えどよく彼女の噂は耳にする。


 ルルーシェ=エルクアージュは紛れもない『高嶺の花』。誰よりも気高く、美しく。彼女が次期王妃になることを誰もが疑わない。


「本当にルルーシェ様はお美しいですね! あんな女性と結婚できるなんて殿下が羨ましい」


 そんな世辞を毎日聞かされるが、俺もまんざらではなかった。

 そうだ、みんな見てくれ――あれがルルーシェ=エルクアージュだ! 俺の自慢の婚約者だ!


 だけど、俺しか知らない。彼女が苦労の末にあの美しさを手に入れたんだと。そんな彼女にも幼い頃があって、苦手なことがあることを。俺だけが知っている。俺はそんな彼女の帰る場所でいなくてはならないんだ。


 その誓いを立てたはずのぬいぐるみを、俺は壊してしまった。彼女の童心を。彼女の努力を。彼女が何回も飲み込んできた涙を――壊してしまったような気がして。あれがなければ、公爵令嬢でも、次期王妃候補でもない『ただのルルーシェ』が消えてしまうような気がして。


 ルルーシェに直してもらうか? いや、彼女はこれを捨てられたと思ったままなんだ。トラウマになっているかもしれない……彼女に頼むのは筋違いだろう。


「わ、私が直しましょうか……?」


 ちょうどその時、たまたま壊れたきっかけに出くわしてしまった女子生徒が自分が直すと提案してきてくれた。


 好意に甘えるか? 裁縫が得意という。一見邪な感情を抱いているようにも見えないし、悪い選択肢ではないと思うが……。


「是非に頼む――」


 ――いや違う。最近より確固たる令嬢となってしまった彼女に寄り添うためには、彼女の苦手なものに触れてみるべきなのではないか? これを乗り越えたら、もっと彼女に寄り添えるような男になれるのではないのか?


「――いや、きみさえ良ければ、俺に裁縫を教えてくれないだろうか⁉」

「ふえっ⁉」

 



 それから、俺たちの戦いは始まった。

 ルルーシェ……きみはすごいな。こんな難しいことを年端もいかないことから頑張っていたのか……。次に会う時は、このぬいぐるみが直った時。その時『俺が頑張って直したんだぞ!』と見せるのもいいかもしれない。こんな大変なことを小さい頃から頑張ってたんだな……そう労ったら――彼女は昔のように、無邪気な顔で「殿下変なの」と笑ってくれるだろうか。


 だがそんな夢を見ているうちに、月日はあっという間に経ってしまって。さすがに時間が経ちすぎていたから、途中で何度もルルーシェに話に行こうとした。


 だけど、学校では会えず。休日もその頃から途端に公務が増えて時間を作れず。ザフィルドにルルーシェに会えそうな時間を聞いても上手くいかず……手紙を渡してもらったこともあったんだけどな。一向に返事が来ることはなく。


 さすがにザフィルドに相談したことがある。


「一度無理矢理にでもルルーシェと話した方がいいだろうか? 巷では俺が愛人を作ったなどというおかしな噂もあるのだろう? ルルーシェが勘違いしてないといいのだが……」


 すると俺の杞憂を、ザフィルドは軽く笑い飛ばしていた。


「噂は噂だってルルーシェ笑い飛ばしてたよ。異国と戦争がしたいのかって。手紙だって僕が渡してるんだから大丈夫だよ。ルルーシェも学生生活を満喫してるんだからさ、邪魔しちゃ悪いって」

「そう……だよな?」

「なに? 僕が信用できない?」

「んな訳あるか! たとえ世界中の誰もがおまえを見限ったとしても、俺はおまえを信じるぞ! ただ一人の兄弟じゃないか‼︎」


 思わず、俺は熱弁してしまう。


 世の中は厳しい。女の世界だけじゃない、俺も社交界に出て、父の公務に同行したりして――いかに世の中か汚い物で出来ているか、その片鱗を見てきた。令嬢やマダム達の蹴落とし合いはもちろん、大臣らの利益争い、責任の押し付け合いなど、胸の詰まるようなものばかりだ。


 だけど……だからこそ、絶対に信用できるものが必要だと、俺は痛感した。それが俺にとって家族であり、ルルーシェだ。レミーエも悪くない。あの子も足りないものが多いのは確かだし、人並みにずる賢い気はあるが……弱い者の気持ちもわかっている。自ら嫌がらせをするような輩より何倍もマシだ。 


 ひとしきり聞いた後、ザフィルドは苦笑していたけど。


「まったく……僕は兄上が大好きだよ」

「ん? あぁ、俺もだ‼︎」


 俺は、ザフィルドが弟で本当に良かったと思う。



 ようやくぬいぐるみが直り、これで大見得切ってルルーシェに会えると喜んだのもつかの間。時既に遅し。疲れでも溜まっていたのだろうか、階段から転落し――そして、ルルーシェがとうとう発狂した。


「殿下――レミーエさんをお借りして宜しくて?」


 俺の新しく出来た友人ことレミーエを、彼女は名指しで呼び出した。

 嫌な予感は的中した。なぜ……なぜ彼女に教育を施し始めたんだ⁉




「もうやだ~~!」


 その翌日、レミーエから聞いた話を聞けば聞くほど……思い返すのは母上の妃教育。幼きルルーシェが半泣きで耐えてきたそれを思い出して――ふと思う。今隣に座る令嬢は、もう十五、六だ。五歳のルルーシェが耐えられたんだから、大したことないんじゃないのか? むしろ、奔放なレミーエを見かねたゆえの行動なら……親切とも言えるのではないだろうか。


 レミーエがいじめられているという話は、同学年であるルルーシェならば否応がなく耳にしているだろう。男の俺が出しゃばるものではないと盾になるだけに留まっているが、ルルーシェなら同じ女同士。王妃譲りの女の戦いとやらに熟知したルルーシェが、その解決に乗り出した結果が、この妃教育だとしたら?


 ……今は大人しく様子を見るのが、双方のためなのかもしれない。



 だけど一週間以上毎日レミーエが泣くので強く注意したこともあったが、やはりルルーシェの行動は治まらず。そしてそれ以上に、ルルーシェの俺への態度が冷たい。


「なぁ、ザフィルド。ルルーシェの俺への態度が冷たすぎるような気がするのでは?」

「久々だから緊張してるんじゃないの?」

「ルルーシェが緊張している所など見たことないが?」

「じゃああれじゃない? 兄上が優しすぎるから舐められちゃったとか。たまには威厳的なのを見せてみたら?」

「威厳か……」


 ――ということで男らしく振る舞ってみたが、ルルーシェにはさらに冷たい視線で注意されただけ。挙げ句にザフィルドに剣術まで習いだしてどういうことだ? 聞こうにも、俺が追うほど逃げてしまう。顔は鉄壁の笑みを浮かべているけれど、まるで何かに追い詰められているような頑なで。


 そこまで追い詰めたのは――やはりしばらく俺が距離を置いていたからだろうか。それとも……それすらも、俺の自惚れなのだろうか。


 早く、彼女と話さなければ。彼女が悩んでいるかもしれない。母上、助言を守らずに申し訳ございません。だけど……やっぱり俺はあんなルルーシェを見ていられません!


 だけど焦れば焦るほど、ルルーシェとの距離は広がるばかり。そして……あまり喜ばれたタイミングではないが、彼女が風邪を引いてようやく話す機会ができた時、それは宣告された。


「他に好きなひとができましたの」


 夕暮れが、とても綺麗な日だった。

 まるで――最後の灯火として力尽きようとしているようで。彼女の屋敷から出て、夕陽に出迎えてもらって。俺の目からは止めどなく涙が溢れる。


 ただただ、彼女の言葉が耳から離れない。


『わたくしとの婚約を破棄をしてください』


 ◇ ◇ ◇

 

 謝ってもどうにもならないことがある。

 あの時こうしていたら。ああしていたら。少しの格好付けが、虚勢が、意地が、全てを壊してしまう時とある。


 あぁ、神よ。もしも叶うならば、もう一度時を戻してくれないか? 

 せめて、あの瞬間……ルルーシェから婚約破棄を告げられたあの時だけでいいんだ。


 あの時、彼女はあんなにも泣きたそうな顔をしていたのに。あんなに、目に涙を浮かべていたのに。


 俺は、泣かせてやれなかったから。

 もっと彼女の愚痴を、恨みを、弱音も、嫌味も、全部俺は聞かなきゃいけなかったのに。吐き出させてあげなきゃいけなかったのに……あの頃の俺は逃げてしまったから。


 だけど、俺は知っている。そんな願いが叶うほど、この世界に奇跡はないのだと。


 だから俺は歩くだけ。俺たちを望む喝采を聞きながら、マントを羽織り、王冠を被って。彼女の忘れ形見のような女性と共に――俺はバルコニーから民草を見下ろして、笑って手を振るんだ。


 俺は一度も失敗したことがないんだぞ。俺についてくれば、誰もが皆幸せになれるんだ。そんな偽りの自信に満ちた顔で。


 ――なぁ、ルルーシェ。きみは今頃、心から楽しく笑っているだろうか?

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