閑話 元婚約者の独白③

 ――そうは言われてもなぁ……。


 女の世界に足を踏み入れるなと言われても、心配なものは心配なもので。

 ルルーシェに確認してみるも、彼女は毅然と言いのけた。


「そうですわね。殿方……というより、部外者が入ってきたら面倒なような気はします――が、それよりも殿下。王妃殿下がわたくしをいじめているですって? そんなことあるわけないじゃないですか」


 その当時、彼女は十三歳目前。最近は芸術分野についての知識や歴史を深めているようだが、母上からすれば覚えが悪いらしい。その日も扱かれて落ち込んでいたから、やっぱり苦しいのかと、何か俺にできることはないのかと訊いたのに。


 社交界デビュー目前の彼女は、ここ三年間見てきた誰よりも令嬢然とした美しさでお辞儀カーテシーをする。


「御心配ありがとうございます、サザンジール殿下。ですが、わたくしは大丈夫ですから。王妃殿下に叱られるのだって、全てわたくしの不出来が原因ですわ。それを指摘していただけるなんて、有難い限りです」



 ――と、慎ましく微笑んでいた彼女だが。


 その夜、城の寝室で寝ていると廊下から歌声が聴こえてきた。


 ……え? お化けか?

 そういう類は本の中の妄想だとばかりだと信じていたが……いや、誰かが妄想するということは、それに基づくきっかけがあったはずだ。ならば、妄想するきっかけとなって出来事がこのような怪奇現象であり、本の中の事象が周りに回って妄想に見せかけた現実であるという可能性も無きしもあらずであるが、だけどやっぱりそんな――。


「トイレに行きたい」


 どんなに恐怖を紛らわそうと論じていたとしても、ふと目覚めた時に感じてしまった尿意を忘れることは出来ず。漏らすか、怪奇現象と対面するか――その究極の二択を選ぶなら、社交界デビューもとっくに済ませた次期国王候補なら後者しか選択肢がとれず。


「うぅ、冷えるな……」


 寝間着にストールをかけながら、俺は恐る恐る暗い廊下を歩く。目的地に近づくたびに、どんどん歌声は大きくなっていって――俺は、見てしまった。


「あぁ~♪ 兜が曇っておりますわ~♪ お父様ぁ~譲りの~てってか頭が~♪」


 彼女はメイド服を着ていた。その白と黒を基調としたエプロン姿を、出来るなら明るい場所で見たかった。きっと黒髪の彼女なら、誰よりも似合うだろうから。


 そんな慎み深い特徴を持つばずの彼女は、飾りの甲冑模型をダンスするかのように絡みながら……とても楽しそうにその頭頂部を布巾で磨いている。そして、歌は佳境に入った。


「素敵なぁぁぁぁ~♪ チャ~ムポ~イン……」

「…………」


 そんな彼女――ルルーシェ=エルクアージュと目が合って。ひたっと、その陽気な歌声が止まって。なぜか俺は、彼女に拍手を贈っていた。


「よ、良い歌だったぞ」

「それならば――もう一度歌っても宜しいでしょうか?」

「え?」


 なぜか、彼女の掃除をしながらの歌唱会は便器に抱きついて眠るまで止まらず。



 ちょうど、ルルーシェは王城に二泊三日で泊まる予定だったのだ。日中夜通じて王城で生活し、王族としての心意気や嗜みを身に着けようという妃教育の一貫とのこと。


 なので、その翌日もルルーシェは城にいるわけで。

 昨夜の寝不足も相まって、俺は少し寝坊してしまった。急いで食堂に向かわないと。ルルーシェがいるから特別にと、家族みんなで食べる約束をしていたのだ。


 その途中で、中庭をを眺めているザフィルドに会った。


「ザフィルド! 急がないと母上に叱られてしまうぞ!」

「あ、兄上……」


 呆然と指した先には……、


「ル、ルルーシェ⁉」


 彼女は中庭で転げ回っていた。しかも「うふふふふ」「あははは」と笑い転げながら、自らもドレスを草と泥まみれにしてコロコロと転がっている。

 俺が慌てて駆け寄り、彼女を助け起こすと――彼女はいつも通り、完璧な笑みで挨拶してきた。


「あら。おはようございます、サザンジール殿下。今日もいい天気ですわね」

「ル、ルルーシェは一体何をしているんだ⁉」

「何と仰られましても……見ればお分かりでしょう? 側転の練習をしていたんですの」

「しょ、しょしゅてんっ⁉︎」

「ふふ。まだ寝ぼけておりますのね」


 思わず噛んでしまったが……。ね、寝ぼけているから、聞き間違えたのか? 側転なんてルルーシェに必要ないよな? パーティで側転している令嬢なんていないもんな?


 思わずザフィルドを見やると、彼は慌てて踵を返した。誰かを呼びに行ったのだろう。ならば、俺がやるべきことはニコニコと微笑むルルーシェを落ち着かせることだ。


「あ、あぁ……だから今ひとつ頭が働かないんだが……なぜ、そのようなことを?」

「それは勿論、曲芸を極めたいからですわ!」

「ひょっ、ひょふげえ⁉︎」

「えぇ。先日、父とサーカスという遊戯団の演目を拝見しまして。それに感銘を受けましたの」


 確かに、先週末はエルクアージュ領にてサーカスが催されていたな。俺も誘われたが公務で外せない用があり……そうか。そんなに楽しかったのか。彼女が楽しめたのなら何よりだが――。


「なので、わたくしも火の輪を潜ってみたいと!」

「なしてそーなるっ⁉︎」

「あら、殿下もわたくしが猛獣を調教できたらいいと思いますでしょう?」


 ……猛獣とは、何かの比喩だろうか。だが話の流れからしてどう考えても本物の獣を想定しているような気がして他ならない。さて、どうする。こんなに黒い瞳をキラキラとさせているルルーシェを見たのは久しぶりだ。それはとても嬉しいことだが……俺が猛獣に跨り火の輪を潜ってみせれば、ルルーシェも納得するのでは……などと、思考が迷走し始めた時だった。


「兄上! ルルーシェ! 父様方を呼んできたよ!」

「ざふぃふどおおおおおお!」


 来た! さすがザフィルド、我が弟。よく出来た弟を持って兄は涙ぐむほど嬉しいぞ!

 ザフィルドがきちんと両親を連れてきてくれたことにより、いつになく二人が優しくルルーシェを諭してくれたことにより、彼女はもう一度ベッドに戻ることになって。




「……はい?」

「だから、あのくらい何も問題ありません。思春期の女子にはよくあることよ?」


 ――やはり母上の教育が厳しすぎるのではないか⁉

 そう進言するや否や、母上にあっさりと一蹴されてしまった。


「まぁ、あなたがあまりにうるさいから医師は呼びましたけど……まったく心配ないと思いますわよ? たまに鬱憤を晴らせば満足するものですから。わたくしだって、未だたまに陛下を――」

「それは息子に話すことでは」


 父上の咳払いに、母上の気晴らしが何なのかは聞けずじまいだが。

 止めた父上も、嘆息と共に「大丈夫だろう」と続ける。


「無論、自他ともに怪我をする前に止めるべきだが……彼女も成長すれば、奇行も落ち着いてくるだろう。それまで、暖かく見守ってやるといい」




 ――そう両親に唆された俺は、それでもルルーシェが心配で。

 医師からも「問題ない」と診断を貰ったルルーシェに「何か俺にできることはないのか?」と訊いてみた所、いつになく厳しい視線を投げかけられた。

 

「殿下……お言葉ですが」

「あぁ、何でも俺に言ってくれ!」

「少々自惚れがすぎませんか?」


 自惚れ……? 俺がか?

 年上の俺が、三つ年下の婚約者を心配したらいけなかったのか?

 きみはもう十二歳だけど……俺の中では、まだあの頃の面影があるんだ。

 俺の背中に乗って喜び、ぬいぐるみが上手く作れなくて悲しんでいた……あの頃の思い出が。


 だから、俺は――……。


「ご心配くださるのは有り難く存じますが、わたくしは殿下のお力など借りなくても、ひとりでやり抜けますので」

「だ、だが、俺らは夫婦に――」

「ならばわたくしの心配をする前に、ご自身の心配をするべきでは? 殿下も帝王学の勉強がありますでしょう? それに学校での成績も中途半端だというお噂を聞いておりますが」

「なっ⁉」


 た、確かに今年入学した学校の成績は平均以上だが、学年トップには及ばずで――正直、公務を学生寮に持ち込めないから、頻繁に王城に戻って(ついでにルルーシェに会って)いるから、その分勉学が手薄になっているとも言えるのだが。だけど、それよりも俺はきみと共に――。


「各々、まずは自分のことをしっかりしましょう。わたくしはひとりで大丈夫ですので。必ずや、あなた様に相応しい王妃になってみせますわ」


 だけど、それを彼女が望むなら。

 俺は固唾を呑んで彼女を見守ろう。そして、彼女に相応しい国王になるべく尽力しよう。

 だけど、どうしても女同士の苦しい世界で、きみの心が折れてしまった時、その時は……。


 俺が必ずきみの支えになろう。どんなに発狂してもいい。どんなに泣いたっていい。

 たとえどんなきみだろうと、俺はきみの望む男になってやる。


 それを――あの不器用なぬいぐるみに誓って。


 実際、彼女の奇行も歳を重ねるにつれて段々と減ってきたが、ゼロになることはなく。

 だから彼女が学校に入学して。色々とトラブルや不運が重なり――最初は、またいつもの発作が起きたんだと思っていたんだ。

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