素敵な連休を満喫しますわ⑤
だけど、その馬の尻尾は思わぬ人物に掴まれた。
「待って、ルルーシェ」
屋敷から出て、馬車が来るまで中庭で待たせてもらおうとして。
先程激辛クッキーを食べた王子にそっくりの同級生がわたくしの腕を掴んでいた。
「どうしたんですの? ザフィルド殿下」
「どうしたもこうしたも……こんな場所でひとりなんて危ないだろう?」
「大丈夫ですよ。衛兵さんもいらっしゃいますし」
そりゃあ夜だし、灯りも星明かりと屋敷から漏れるものだけだけど。それでもこの噴水近くまで視界は十分保たれているわ。多いとは言えないけど、警備のひとも端々にいますし。……それに今日は『死ぬ日』ではありませんので、そんなおかしなことも起きないでしょう。
だけど、ザフィルド殿下は腕を離してはくれないから。
わたくしは無理やり口角をあげる。
「殿下は先程のわたくしの体捌きを見てらして? レミーエさんを華麗に守りましたよ。殿下のご指導の賜物ですわ!」
「……それじゃあ、もう免許皆伝ってことで訓練やめる?」
「そこはもう少し弟子でいさせていただければと」
わたくしが即座に頭を下げれば、殿下はようやく腕を離してくれた。代わりに自身の頭を掻いている。
「諦めが悪いなぁ。そこまでして兄上を守りたいの?」
「その返答は控えさせていただきますわ」
まぁ、剣術も絶対に必要とは限らないのですけど。
そもそも神様から未来を聞いてから、わたくしはかなり突拍子もないことを続けています。自分のタイムリミットがわからないままならば、そもそもこんな男装なんて真似もしてないでしょう。一歩間違えたら家名に泥を塗りかねませんわ。まあ、この噂が広がろうものなら、レメル伯爵令嬢らの王太子殿下への愚行も広まることになりますので。レメル伯爵らが箝口令を敷いてくれることを祈りましょう。ホルス君には申し訳ないことになりましたわね。あとでこっそり、おすすめの令嬢リストでもお送りしときましょうか。
まあ、それはさておき。殿下はチラチラとわたくしを見下ろしながらも、自身のジャケットに手をかけながら何かを迷っているご様子。何でしょう? 馬車を待つまで暇ですし、聞いてみましょうか。
「殿下はわたくしに何の御用ですか?」
「……ドレスなら迷うことなくジャケットを掛けてあげたい所なんだけど、その服だとどうしたもんかと思ってね」
……あぁ、濡れたからか。確かに少し冷たい感じがしますが、胸元くらいですわ。さすがにジャケットの下には滲みてませんし。
なので、わたくしはにこりと微笑む。
「お心遣い痛み入りますわ。ですが、お気持ちだけで。殿下の服が汚れてしまいます」
「そんなのはどうでもいいんだけどさ」
ため息を吐いて、殿下は手近なベンチに。隣を叩かれては――座らないわけにもいかないわね。「失礼します」と腰をかければ、ザフィルド殿下は再び嘆息をする。
なので、わたくしは提案した。
「お暇でしたら、ここで訓練つけていただいても宜しいんですよ?」
「……馬鹿か?」
「真顔で罵倒してないくださいまし。さすがのわたくしとて、少々傷つきます」
他所のお宅ですし、こちらもさすがに本気でお願いしてません。もしかしてワンチャンあるかと思っただけです。ワンチャン……ふふっ。これもまた若者らしい言葉ですわね。
調子に乗って、およよっとわざとらしく泣き真似してみせれば、三度殿下は嘆息して。
……さすがに、少々気まずいですわね。
おとなしく空を見上げてながら、世間話をもちかける。
「兄上殿下に挨拶は宜しいのですか?」
「……別に。兄上に会いにきたわけじゃないから」
「ならば、ホルス君にお祝いの言葉はいいまして? せっかくの主役なのに蔑ろにされてばかりではお可哀そうですわ」
その蔑ろの一助に自分が関与しているのが申し訳ないけれど、そこはあとでフォローするとして。
ザフィルド殿下は言う。
「僕も、ルルーシェに会いたくてきたんだよ」
「あら、わたくしモテモテですわね?」
真面目な殿下に、わたくしは軽口を返して。
だけど、殿下は頬を緩めてくださらない。
「僕はきみのことが好きだ」
……そのようなことは、先日も仰っていただきましたわね。
ですが、わたくしはあなたの兄上であるサザンジール殿下の婚約者ですから。わたくしは視線も合わせず、聞かないふりをする。
それなのに、殿下はわたくしの肩を掴んで無理やり向き合わせた。
「本気だよ。ずっと昔から……僕はルルーシェのことが好きだったんだ」
そんな殿下は、泣きそうな顔で。
「だからどうか、僕と結婚してくれないか? そのためなら……何だってするから」
「御冗談を」
その懇願を、わたくしは鼻で笑い飛ばす。それが殿下の癪に障ったみたい。
「だから本気だ! 父上に、不貞を繰り返す兄上のことを進言しよう! そうすれば……僕が王位を継ぐことになるかもしれない。そうなったら、きみも次期王妃の座から降りずに済むだろう⁉」
「ふふっ、本当に面白い冗談ですわね。どこの誰に聞かれているかもしれない……もしも反逆を疑われたらどうしますの?」
笑いながらも静かに忠告すれば、さすがの殿下も押し黙る。一見近くに誰もいないし、噴水の音が大きいけれど――もしもの万が一でも、そんな疑いは許されないことだから。
ふと、神様の忠告を思い出した。
――節度を持って甘える分には問題ないんじゃない?
国王陛下に告げ口など、もってのほかだけど。
それでも『お友達』や『義兄弟』という範疇で甘えさせていただくのなら。
どうせ、そんな付き合いもあと三十日もないのだから。
彼の好意に甘えるのも、悪い選択肢ではないのかもしれない。
今までしてこなかった経験を。普通の少女たちが体験するような甘い感情を。
わたくしが最期に手に入れても、誰も責めないのかもしれない。
だけど、わたくしは――、
「ねぇ、ザフィルド殿下」
サザンジール殿下に。レミーエ嬢に。そして、あの親しみある神様に。
誰に見せて恥ずかしくない美しい生き様を、最期まで晒してみせましょう。
「この筆跡に、覚えはございませんか?」
わたくしが取り出し見せるのは、レミーエ嬢への脅迫状。跳ねの強い癖は、比較的男性に多いんですの。令嬢ほど文字の訓練はしませんし、その方が男らしいと好む場合もありますからね。
ザフィルド殿下は一瞬目を細めてから、静かに首を振る。
「……さあ、知らないな」
「では、もう一つ――六十一日のほど前に、わたくしと階段ですれ違ったことは?」
「やけに具体的だね」
そうですわね。伊達に朝に、昼に、夜に、寝る前に、指折り数えていませんから。
だけど、それも殿下は首を横に。
「悪いが、覚えがないな」
「そうですか」
わたくしが視線を下げた時、「エルクアージュ様」と本物の執事から声がかかる。どうやら馬車が来たようだ。わたくしは腰をあげ、優美に微笑む。
「それでは、お先に失礼しますね。……また明日からも昼の訓練、どうぞお願いいたしますわ」
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