閑話 元泥棒猫の独白③

 ルルーシェ様が倒れたという話を聞いて、私は慌ててサザンジール様の元へ会いに行った。

 どうやら階段から落ちそうになった所をサザンジール様が助けようとして――失敗したらしい。顎に傷を作った彼はとても落ち込んでいた。


「もしもこのままルルーシェが……」


 ――死んじゃったら、私が次の婚約者になれる?

 その考えを慌てて掻き消す。最低だ。いくらなんでも……そんなこと考えちゃいけないよね。


 私はそっとサザンジール様の肩に手を乗せてみた。その肩が小刻みに震えていて……私はまた『ルルーシェ=エルクアージュ』という人が羨ましくなった。そんな人と、きちんと会ってみたくなった。


 だから、私は提案してみた。


「私もお見舞いに連れて行ってもらえないかな?」



 ――どうしてこうなった⁉︎

 天罰としか思えなかった。目覚めたルルーシェ様にいきなり二人きりで話したいと提案されて。……これは女の戦いだ、と口での喧嘩を覚悟して赴くやいなや、どうして私は椅子に座らされ、教壇の上の彼女から淑女の嗜みを説教されているのだろう。


「殿下の隣に立つには見た目は勿論、それなりの教養が必要です! わたくし程度黙らせられないようでは、到底王妃様には会わせられませんっ‼︎」


 ……えーと、ルルーシェ様? あなたはサザンジール様の婚約者なんだよね? なんで小姑みたいなこと言っているのかな? そもそも、あなたが私をいじめてた諸悪の根源じゃないの⁉︎


 ルルーシェ=エルクアージュという人は、とても綺麗な人だった。艷やかな黒髪。切れ長だけどぱっちりとした瞳。華美な化粧はしていないのに、唇も綺麗な桜色だし、白い肌も陶器みたい。スラッと手足も長くて……全部、私とは正反対だ。しかも自分に自信があるのだろう。立ち振る舞い、言葉の一つ一つに信念みたいなものが感じられる。


 そんな人が、私の頭に何かを乗せた。えっ、重い。思わず上を向くと、それらはドサッと落ちる――えっ、本?


 ルルーシェ様は言う。


「はい。まずはそれを頭に乗せて三十分座っていてください。その間に私が色々と質問しますから、過不足なく答えてくださいね。それではまず……お互いのことを知ることから始めましょうか。始めまして。わたくしはルルーシェ=エルクアージュと申します。あなたのお名前は?」


 知ってるし! それに、あなたも私の名前くらい調査済みなのでは⁉

 だけど、細められた黒い瞳は容赦なく「答えろ」と命じてくるから。


「レミーエ=アルバ……」


 最後まで答えるよりも前に、頭の本が再びドサッと落ちて。

 彼女はにっこりと笑った。


「もう一回」




「もうやだ~~っ‼」


 次の日の朝。私は開口一番サザンジール様に訴えた。断じて弱い女を演出して甘えよう――とかではない。本当に嫌だった。もう限界だった。

 だって、本当に厳しいんだもん! 今まで色々な家庭教師やマナーの先生に会ったことはあるけど、あんな厳しい人はいなかった! 怒鳴られるならまだいいよ。あんなに笑顔が怖いと思ったのは初めてだった!


 有無を言わさず頭に本を乗せられたとか。滑舌が悪いと永遠に自己紹介させられたとか。お辞儀カーテシーを百回以上させられたとか。今までのテストの点数を全部答えさせられたとか。少しでも姿勢が悪いと容赦なく指示棒で背中を打たれただとか。


 サザンジール様は私の愚痴すべてを真面目な顔で聞いてくれた後、言った。


「全然優しいじゃないか」

「…………え?」


 今、この王子様はなんて言ったのかな……?

 私の頭は真っ白になるものの、サザンジール様は何かを思い出すように腕を組んだ。


「女性教育というのは、それこそルルーシェが受けているのを見学したことしかないが……母上はもっと厳しかったぞ?」

「母上って……サザンジール様のお母さん?」

「あぁ、現王妃を務めている」


 そーだよねー。王子様のお母さんはお妃様だよねー。そりゃあ、ルルーシェ様も第一王子の婚約者なんだし、将来のお妃様候補だ。現王妃様から直々に指導を受けたりする機会があってもおかしくないよねー、多分。


 サザンジール様は続ける。


「同じような内容なら、ルルーシェは五歳の時に受けていたはずだ。子供と同じ内容ならさして問題があるとは思えんが……」


 五歳ですか……。五歳で、あの扱きを耐えなきゃいけないんですか……。

 やだ……私無理だ。昨日思わず『気持ちさえ通じ合っていれば、そんなもの些細な障害でしかないわっ!』なんて啖呵切っちゃったけど、私に次期お妃様とか絶対に無理……。


 青ざめる私は、殿下の横目と視線が合う。


「まあ……レミーエがそんなに辛いなら、折を見て俺からも一言言っておこう。……彼女が聞いてくれるとは思えんが」


 そこは弱気にならないでサザンジール様! 頑張って! そこは男らしく頑張って‼

 だけど何処と無く当てにならない雰囲気を醸しているから……思わず私も愚痴を吐く。


「しかしなんで……ルルーシェ様が私なんかに教育を……」

「すまないな。彼女は昔から……ストレスが溜まると突拍子もないことを始めるんだ」

「そうなの?」


 私が首を傾げると、サザンジール様が何処か遠くを見る。


「そうだな……いきなり花を全部毟るくらいなら可愛いものだ。斧で薪割りがしたいと言い出したこともあったし、一人で馬に乗って遠乗りに行きたいということもあった。湖畔の浮島まで一人で行くために手づからイカダを作ろうとしたこともあれば、兵士の訓練に甲冑を着て混ざろうとしたことも。夜中にメイドに扮して普通に王城内を掃除していた時は、心臓が止まるかと思った」

「好奇心が……旺盛な方なんですね……」


 どうにか穏やかな言葉を探して口にすれば、サザンジール様はくつくつと嬉しそうに笑う。


「本当にな。そんなに辛いなら、もっと早くに話してくれればいいのに……本当に昔から、自分の愚痴は絶対に吐いてくれないんだよなぁ」


 ――あぁ、本当に好きなんだな。

 ひと目でわかる。彼はルルーシェ様が大好きだ。べた惚れだ。


 絶対に邪魔なのは私なんだろうな。


「それなら……やっぱりサザンジール様おひとりでルルーシェ様とお話してみたらどうですか? その方が案外話がすんなり進むかもしれませんよ」

「だがザフィルドが……」

「ザフィルド様?」


 えーと……確かサザンジール様の弟さんだっけ? ちょっと女癖が悪いって噂がある人だよね。

 サザンジール様は言う。


「痴情がもつれそうになった際は、しっかりその相手を大事な人に見てもらうことが大事なんだそうだ。それに今回は特にきみへの嫌がらせ疑惑の件もあるから、はっきりとルルーシェの口から『違う』ということをきみに聞いてもらいたいという理由もある。悪魔の証明は難しいが、まずは彼女という人柄をきみに信用してもらうのが一番かと思ってな」


 悪魔の証明って、悪魔がいることを証明するには悪魔を連れてくればいいけど、いないことを証明するのは難しいよってことだっけ? つまり、ルルーシェ様が嫌がらせしないよって証明は難しいってことか。

 こないだ世間話の勉強時間にルルーシェ様が雑談で話していてくれてた気がする。……教わってなかったら、今のお話さっぱりわからなかっただろうな。


 でも……ただそれ、ルルーシェ様は当然違うと嘘つくと思うんだけど。そんなにサザンジール様はあの人を盲信しているのかなぁ。いるんだろうなぁ。

 私が直接ルルーシェ様に聞くという手も……いやいや、怖いから絶対無理! 『あら。ようやく気がつきましたの?』とにんまりされたらめっちゃ怖いっ!


 脳内の悪役然したルルーシェ様に一人恐れ慄いていると、


「こういった女性間の問題は正直俺には難しいが、多くの女友達と懇意にしているザフィルドの言うことなら間違いないだろう」

 

 と、サザンジール様は付け足していて。

 うーん? そうなのかなあ?

 私も異性の友達とか……それ以前に同性の友達もいないからわからないけど。王子様が二人がそう言うのなら、そうなのかも。


 でも……これが許されるのなら、あと少しだけ。もうちょっとだけ夢見ていたいなぁ、なんて。その代償があの厳しい教育なのだとしたら……もうちょっとだけ頑張ってみようかなって。その芸術品の人間味溢れるゆるい横顔を見て、私はそんなことを思った。もしかしたらサザンジール様の忠告を聞いて、ルルーシェ様も甘くなってくれるかもしれないしね。




 ――まぁ、そんなサザンジール様の必死の忠告など、ルルーシェ様が聞く耳持ってくれるわけもなかったんだけど。毎日私が泣きついていたから、サザンジール様もさすがにルルーシェ様が非があるのかと強めに言ってくれたんだけど……無駄だったなぁ。とほほ。


 そんなこんなで強制的に行われる謎教育に、嫌々ながら慣れてき始めてしまった頃。私は違和感を覚える。


「レミーエ=アルバン。最近はよく頑張っているな!」


 先週の小テストが返却された。いつも渋い顔で無言で渡してくるはずの先生が、温かい顔で答案を渡してくれる。思わず、その答案に付けられた赤い数字を二度見した。


「えっ、九十六点……?」

「ちなみに、アルバンが『トロア』クラスでトップだ。クラス平均は六十三点。『アン』クラスでも平均九十届かなかったな。みんなも彼女を見習ってがんばれよ!」


 クラスのみんながざわめいている。そりゃ戸惑うよね。下位の『トロア』クラスでも底辺争い筆頭だったのが私だもん。それが『アン』クラスの平均点より上だっけ? 私が一番びっくりだよ。


 私は席に戻り、もう一度答案を見る。

 こんなに赤い丸が付いた華やかな答案は、初めてだった。

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