第16話 恋愛とはなんですか?③
今宵の神様の様子はおかしかった。
『もう……わたくしの顔に何か付いてますか?』
じーっと。じーっと。神様がわたくしのことを見つめてくるんですの。
そんなまじまじ見られると……わたくしも緊張してしまいますのよ?
だって、あなた異常に整ったお顔立ちしているんですもの。そりゃあ、あの兄弟殿下など綺麗な殿方には慣れている方だと思いますが、それでも神様は別格の美しさです。背景効果もあるのかもしれませんが……それでも、綺麗なことは違いありませんわ。
わたくしが視線を逸らすと、神様は言う。
『きみ、本当に馬鹿じゃないの?』
『……昼も同じ暴言を吐かれましたわ』
『そりゃ言いたくなるよね。ほんと馬鹿。どうしてもっと自分の幸せを考えないの? いいじゃん。弟王子。兄王子に不貞されたから、弟に鞍替えしました。結婚はできなかったけど、最期に本当の愛を見つけて幸せに看取られて逝きました――どう? なかなかに幸せな最期じゃない?』
どこがですの?
それこそ指摘するのも馬鹿らしいので、わたくしは嘆息のみで返します。いつものお返しですわ。
それなのに、神様は察してくださらない。
『まぁ、きみのことだから。それこそ不貞だ貴族の矜持がとか言うのかもしれないけど。でも、気晴らしとか傷心を癒やしたいからとか理由を付けてさ、色々な所に連れてってもらいなよ。節度を持って甘える分には問題ないんじゃない?』
『まったく心惹かれませんわね』
『……きみは、そんなに兄王子が好きなの?』
勿論、昼間にザフィルド殿下にも話した通り、サザンジール殿下の真面目で努力家の所は尊敬しております。だけど……神様が聞いていることも、そうではないですわね。
さすがに……神様に嘘は吐けませんわ。正直に申しましょう。
『俗にいう恋愛というものについて、考えたことがありませんわ』
『誰に対しても?』
『えぇ』
だって、そんなものは無縁でしょう? 生まれた時には、もう結婚相手が決まっていたんだもの。男性なら妾を持つ方もいらっしゃいますけれど、女性で情夫を抱えるなど……しかも、わたくしの嫁ぎ先は王家ですから。世継ぎの問題もあり、そんなこと論外ですわ。
なら……恋愛なんて不必要でしょう。わたくしは生涯サザンジール殿下だけを愛することを運命づけられていたのですから。
そんなわたくしに神様は言う。
『ふーん……可哀想なひとだね』
……一瞬、何を言われたのか理解ができなかった。
可哀想? 誰が? わたくしは生まれながらにして王太子妃になることが決められていた伝統的な公爵令嬢ですのよ?
それに――そんな運命を決めたのは、あなたではなくて?
だから、わたくしはわからないフリをしてやりますの。
『それは誰のことを言っているんですの?』
『怒らないでよ。僕はきみに、幸せな末路を迎えてほしいだけなんだから』
わたくしの中で、何かが切れた。
『余計なお世話ですわっ!』
あぁ、どうして今何も持ち合わせていないの? グラスでも扇でも、何でもいい。目の前の口だけの男に、何でもいいから投げつけてやりたい気分なのに。
わたくしの何がいけなかったんですの?
『ねぇ、神様』
わたくしは優美に微笑んでみせる。
今も、昔も……与えられた公爵令嬢、王太子妃候補として、真摯に生きていたじゃありませんか。何か足りませんでしたか? 何か不出来がございましたか?
『あと三十六日で死ぬわたくしに……これ以上何を求めるんですの……?』
震える唇は、これ以上動かせなかった。これ以上喋ったら、わたくしがわたくしでいられなくなる、そんな気がするから。最期まで自分の足で立てなくなる――そんな気がするから。
そんなわたくしを神様がどんな顔で見ているのか、視界が歪んでいくから、わからないけれど……。
『……遅かれ早かれ、『死』は誰もが必ず通る道なんだ。好きにすればいいさ』
言葉のわりに、声音がとても優しくて。
わたくしはますます、己が惨めに思えたの。
――あと36日。
だけどそんな喧嘩をした、翌日の晩。
『ねえ、神様。今日はお会いできないと思っていたのですが』
『……きみは僕の顔を見たくなかったって?』
あら珍しい。こちらを見てくれないんですのね?
そっちがその気なら、わたくしだって拗ねてしまいますわ。
『そんなことは言ってませんわ』
『ふーん』
わたくしが顔を背けた途端にチラチラと視線を感じるのは、おそらく気のせいではなさそうだ。
――あと35日。
横に避ける練習で激しくすっ転んだその夜。
『……ねぇ。今日も何もお喋りしてくれませんの?』
『昨日もこうやって無視はしてないと思うけど?』
『それはそうですけど……何をそんなに拗ねているんですの?』
『別に、何も拗ねてないさ』
嘘ですわよ⁉ 絶対、絶対に拗ねております!
それでも、神様は頑なに『ツーン』とした態度を崩しませんから。
わたくしはやれやれとため息を吐く。
『お子様ですわね……』
すると、神様は鼻で笑った。
『神に年齢という概念はないからね。きみが子供だと思えば子供だし、老人だと思えば老人でいいんじゃないかな』
『まあ、屁理屈』
実際その通りなのかもしれませんが……それでも意地悪ではありませんか⁉
――あと34日。
だから、レミーエ嬢と今週末の連休のお約束をして、涙するほど喜んでもらえたその晩。
わたくしは考えましたの。
『……ねぇ』
『…………』
『ねぇってば』
『…………』
神様に話しかけられても、わたくしはだんまりを決め込みます。
お返しですわ。ずっと『ツーン』『ツーン』と右を向いたり、左を向いたり。
そんなことを繰り返していたら――とうとう神様は地団駄を踏んできた。
『性格わっる! こっちは無視しなかったのに、きみは無視するんだ⁉』
『…………神様は意地悪なことしか言ってくださらないんですもの』
あまりに幼い行動に思わず言葉を返してしまうと。
動きを止めた神様が真顔で訊いてくる。
『心配されたいの?』
『…………』
『余計なお世話だと言ってたのはきみだよね?』
『…………嫌だとは申しておりません』
『余計なのに?』
『助言はまったく参考にする気はございませんが、それでも心配してくださることはそれなりに好ましく思っておりましたのよ?』
『うっわ。わがまま』
……我ながら勝手だと思いますわ。
でも、それが心地よかったのだから、仕方がないではありませんか。
わたくしがまた『ツーン』とすれば、神様がやたら優しい声で訊いてくる。
『きみはやっぱり、兄王子のことが好きなの?』
『……基本的には努力家の方ですし、次期国王として好ましい方だと思ってましたわ』
『そういうんじゃなくってさ……異性として恋慕は抱いていたのかって話』
それには、一呼吸置いて。
『……そういう感情、不要じゃないですか』
また可哀想と言われるのかしら……。
その虚しさに、思わず零れそうになる。
『でも、もしそんな感情を抱いてよいのなら……』
でもやっぱり、その先を言うのをやめた。言っても仕方ないこと――あれ、ちょっと待ってくださいまし?
『ねぇ、神様。始めの約束は覚えていてくれてますか?』
『始めの? きみの死に様が美しければ……という賭け事のこと?』
『そうです。しっかり有効ですよね?』
思いつきを確認すれば、神様はきょとんとした顔ながらも「もちろん」と頷いてくれて。
わたくしの死に様次第で、わたくしは次の人生で欲しい物を手に入れられる。
とても良いことを思いついてしまいましたから――わたくしは再び笑えましたの。
『ふふっ』
『え、何。その笑み。怖いんですけど』
『あら神様。淑女に対して怖いとか、失礼ですわよ?』
半歩引いている神様に軽口を返して、わたくしは大きく伸びをする。
決めた。決めましたわ――ふふっ。今から三十一日後が、とても楽しみです!
でもその前に、まだやることがありましたわね。
『さあ、今週末は楽しい三連休ですわ!』
『……本当にあんな予定でいいの?』
神様はやっぱり半眼で訊いてきますが、わたくしは即答してみせます。
『勿論ですわ!』
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