第15話 恋愛とはなんですか?②

 お昼休み。今日も剣術部が練習しているグラウンドの隅で、わたくしは運動着姿のザフィルド殿下に剣術の訓練を見てもらっている。


「先程はありがとうございました。でもあのくらい自分で振り払えないなど、わたくしはまだまだですわね」

「あーいうのは完璧に護身術の分野だからね……ねぇ、今からでもいいから、剣術やめてそっちに変更しない? その方がよっぽど有益だと思うんだけど」


 それは有り難いけど……そんなことを話しながらも、きっちりわたくしに足を掛けてくる殿下はなかなかに鬼畜だと思いますの。


 受け身の訓練を始めて今日で十日。今日も今日とて、わたしくは華麗に転ばされ、制服を泥で汚します。


「……でも、護身術だと襲ってきた暗殺者を迎撃はできないでしょう?」


 わたくしがすぐさま立ち上がってスカートの泥を払っていれば、殿下の普段おちゃらけている顔がますます渋る。


「令嬢が迎え撃ってどうするかな。そこは逃げようよ」

「嫌ですわ。刺客を捕らえられれば百点。それがダメでも、わたくしたちが逃げるんじゃなく、刺客の方に逃げてもらわないと」


 どうせあと三十回も着ない制服ですが……こんなに汚して保つかしら? ザフィルド殿下に注意されて、スカートの下にズボンは履くようになりましたのよ。着替えるよりは早いですからね。女性がズボンを履くという文化はこのラピシェンタ王国にはないので、スカートを脱ぐわけにもいかない。それでも、どうせ着なくなるとわかっているものを買い換えるなど……今まではあまりお金を気にしたことありませんけど、やっぱり躊躇ってしまうものですわね。


 話しながらも、心の隅でそんなことを考えていると――殿下の筋張った腕が伸びてくる。そして、掴まれた腕はとても痛い。


「い、痛いですわ!」

「だろうね。ねぇ――そんな細腕で誰を守ろうとしてるの?」

「え?」


 わたくしは顔をしかめながらも、殿下を見上げる。笑っているわけでもない。だけど怒っているわけでもない。少しだけ眉間にしわを寄せて、ブルーサファイアの瞳がいつもより深い色に見える。

 心地よい風が、この時だけは気持ち悪かった。


「わたくしもこれでも王太子妃候補ですから。誰かに僻まれたり恨まれるのは、日常茶飯事ですわ」

「ルルーシェ、下手に頭がいいのが命取りだったね。誰かと一緒に逃げる、なんて選択肢を取ろうものなら、それこそ二人して死ぬのがいい所だろう。おそらく、君自身は死んでもいいと思っているんじゃないかな? だから、いざという時に相手を『撃退』するという手段を取りたいんだろう?」


 す……鋭いですわ……。

 受け身に気を取られて、わたくしの発言がおざなりだったことも原因だとは思いますが……それでも、ここまで当てられてしまうと、平然を装うのも苦しいですわね。


 だから、あえて認めましょう。わたくしは肩にかかった髪の房を払い、口角をあげる。


「いつ如何なる場合でも、愛しい婚約者を守りたい――ただそれだけですわよ?」

「馬鹿じゃないのかっ‼」


 あら、そんな大声で怒鳴らなくても。グラウンドの皆様の注目を集めてしまいましたわよ? 手を離してくれたのはありがたいですが。


 それなのに、ザフィルド殿下はまわりを気にすることなく、今度はわたくしの肩を掴んでくる。


「なぁ。本気で言っているわけじゃないよな? あいつは、おまえを裏切っているんだぞ。他所の女にうつつを抜かし……知ってるだろう? 今度のダンスパーティーで婚約破棄を目論んでいる。そんな男のために、おまえは命を張ろうというのか⁉」

「まぁ殿下。兄上殿下に対して『あいつ』だとか、わたくしに対しても『おまえ』だとか……少々口が過ぎましてよ?」


 扇はないから、代わりに手で口元を隠し。令嬢のご指摘スタイルを取るも、殿下からは謝罪も嫌味も返ってこない。

 だけど、肩に置かれた殿下の手に力がこもった。


「僕はルルーシェのことが好きだ」

「……わたくしも末永く義兄弟として仲良くしていただければと思いますわ」

「そんな意味じゃないことくらい、わかるだろう?」


 えぇ。さきほど褒めてもらえた通り、わたくしも馬鹿ではありませんから。

 でも。だからこそ。わたくしは優美に小首を傾げてみせる。


「わかりませんわ。わたくしはサザンジール殿下の婚約者ですもの」


 すると殿下は肩から手を離し、背中を向ける。兄上殿下よりも鍛えているし、背も同じくらいのはず。なのに、やっぱりどこか小さく見えるのは、年齢だけのせい?


「……受け身はよくできるようになったね」

「え?」

「明日からは本当に体捌きを教えてあげる。主に避け方だけど……暗殺者は基本的に一撃必殺を狙ってくるから。そこで致命傷を避けるだけでも、君の可能性を広げられると思うから」


 そして、始業準備の鐘が鳴る。

 わたくしの転ばされ続けた身体は、彼に掴まれた腕と肩以外、どこも痛くない。腕には赤い指の跡が残っている。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る