第5話 可愛い弟に旅をさせますわ①
――あと65日。
「ほら、ルルーシェ様ですわ」
「また今日も汚らしい御姿で……未来の王太子妃も形なしですわね」
「そりゃ、婚約者に逃げられるくらいですから」
「それでも、格下いじめに余念はないらしいですわよ」
くすくすと。くすくすと。
校内を歩くたびに、厭らしい視線と小話に晒されない日はない。
まぁ、それも仕方ないですわ。
毎日の剣術の訓練で肌も焼けてきてますし、手には無骨なテーピングが常に巻かれています。黒髪を結う時間も惜しいから、朝から低い位置で三編みにしてもらってますし。化粧もすぐに汗で溶けてしまうから、何も塗っておりません。
元から、彼女たちにとってわたくしは目障りだったのでしょう。
エクルアージュ家は昔からの由緒ある公爵家ですが、その分金回りも派手だったりします。特にお父様がお母様を娶ってからは、『異国の美姫』であったお母様に惨めな想いをさせないため、裁かれない程度にお金と権力を振りかざしているご様子。
お母様譲りの黒髪も、この国では珍しいものだから嫉妬の対象のようね。さらに異国との良好な関係維持のために、その娘であるわたくしを王妃に祀り上げるのだから……そりゃあ面白くないと思う人もいるでしょう。
取り巻き? 元からそういう媚売りの方々は信用しないと決めておりますので、こちらからお断りしております。
――そんなわたくしが女を捨てているのだから。声を掛けてくるなんて……よほどの変わり者くらいでしょう。
「ルルーシェ。悩みがあるのなら聞くぞ」
登校一番に会うということは、わたくしを待っていてくれたのでしょうか。校門を潜った途端、金髪のまばゆいサザンジール殿下が声を掛けてきます。見渡すも、レミーエ嬢の姿はありません。
「今日はレミーエさんはいらっしゃらないのですか?」
「今日は休みだ。熱を出したらしい」
「あら。では放課後に課題を届けないと」
レミーエ嬢はよく頑張っていると思いますわ。こないだの小テストでも満点だったとか。わたくしとの授業の時は常に頭に本を乗せているのですが、だいぶ落とすことも減りました。相変わらず毎日泣いているため、すっかり奥二重なってしまいましたが……時が来れば、すぐに愛らしい二重に戻るでしょう。
なので、知恵熱が出ていても頭に入りやすい本でも見繕わなければ――と算段を付けていると、目の前の殿方……及び、サザンジール殿下が深い溜め息を吐く。あらうっかり。すっかりお話の途中なことを失念してしまいましたわ。
「お見舞いの品は『各国有名絵画辞典』と『ナナシの独白経典』のどちらが良いと思います? わたくしとしては、後者で自国信教の歴史を深めた方が、今度他国の方との会話が弾むと思うのですけど」
「……いや、すまん。俺が無理を言って休んでもらった。どうしても、きみと二人で話さなければと思ったんだ。放課後、時間をもらえないか?」
あら、レミーエ嬢はお元気ですのね? それなら、お昼には両方届くように手配しなければ。一日あれば、計五百ページくらい軽いものでしょう。
それはそうとて、だとしても。殿下の申し出に応える時間を捻出……は難しいですわね。せっかくの申し出ですが、頭を下げさせてもらいましょう。
「申し訳ございません。今日の放課後は予定がありますの」
「そ、それは俺よりも大事なことなのか⁉」
「えぇ。わたくしの死活問題に値しますわ」
殿下はうろたえていますが、本当に猶予はないのです。まだまだ肝心の問題が何も解決していない――どころか、取りかかれてもいませんので。
わたくしがまっすぐ殿下を見つめていると、殿下の喉仏が大きく動いた。
「そうか……なら、また今度誘おう」
「いえ、その時はわたくしからお誘いしますわ」
その時は……本当に最後の時でしょうけど。
でも、お約束しますわ。必ず、わたくしからお話したいと申し上げますから。
その時は、お互い笑顔でお話したいですわね。
後任の王太子妃の教育も進んでいる。いざという時の訓練も軌道に乗り始めた。
ならば、そろそろ次の『万が一』に備えた準備に取り掛かる必要がある。
レミーエ嬢が休みなら都合がいい。その空いた時間を有効活用すべく、わたくしは授業が終わり次第、即座に帰宅した。
「ルーファス、いる?」
わたくしは弟の自室の扉をノックする。返事はない。だけど、いないわけがないんですの。だって弟であり我がエルクアージュ家の跡取り、ルーファス=エルクアージュは引きこもり令息なんですもの。
なので、これは完全なる居留守。つまり、無視された姉上はご立腹しても問題ないですよね?
わたくしは用意していた斧を振りかぶる。どこで用意したか? そんなのお金に物を言わせて……それ以上は乙女の秘密ですわ。
「せいやっ!」
掛け声と共に振り下ろす。そいやっ。ほいやっ。ばすっ。ぼすっ。家屋や家具は基本木製ですから、扉も例外ではありません。非力な令嬢とて、最近は剣術も嗜んでおりますので。武器に体重を乗せたりなど、多少は身の振り方も身に付いてきましたわ。ぶすっ。ぶすっ。と穴が開いていく様は、少しだけ爽快。
なのに、中から悲鳴にも似た可愛い弟の声が聞こえる。
「姉さん……⁉」
ルーファスに当たったら危ないわ。わたくしが手を止め、しばらくするとゆっくりと扉が開いた。
現れたのは、わたくしと同じ黒髪の少年。わたくしの三つ下の十三歳。寝癖も付いている。あらやだ。まだパジャマのまま筆を持っているのね? 絹のパジャマが無駄にカラフルになってますわ。
そんな弟が、半泣きで詰め寄ってきた。
「本当……最近、姉さんどうしたの⁉ 朝晩無心に剣なんか振っちゃって……怖いんだけど⁉ 父さんも母さんも、姉さんが悪魔に取り憑かれたんじゃないかって、教会に相談しに言っているよ?」
ふふっ、なんて奇遇。わたくし、毎晩神様とお話しているのよ。神様にお世話になりっぱなしだわ。今度お礼に何か贈らないと。何がいいのかしら?
まぁ、そんなことルーファスに相談したら、本当にキチガイと間違われそうなのでしませんけど。あらやだ。キチガイもはしたない言葉ね。口に出す前に笑顔でこの場をやり過ごさないと。
「大丈夫です。わたくしは人生で一番やる気に満ちた毎日を過ごしておりますわ」
「そのやる気が怖いって言ってるんだよ⁉」
そう言われましても……今やる気を見せないで、いつ見せればいいんですの?
あと六十数日しか、わたくしには残されていませんのに。
「それはそうとて……失礼しますわね」
ルーファスの許可を得るよりも先に、わたくしは彼の部屋に入る。
その雑多な部屋は、わたくしの予想通りだった。至る所に、絵画。絵画。絵画。風景画や人物画、その種類はさまざま。でも、全部油絵ね。その臭いで噎せてしまいそう。ベッドまで絵の具塗れだわ。さすがに病気しないか、心配になってしまう。
だから窓を開けて――わたくしは振り返った。
「ねぇ、ルーファス。絵を描くの、好き?」
「え? そりゃあ……」
ルーファスは答えに淀むけど……愚問でしたわね。この部屋を見れば、聞かずとも答えはわかるもの。
彼が即答しないのには訳がある。両親が絵を描くのを反対しているから。小さい頃は、ルーファスの描いた絵に両親ともメロメロでしたのよ? でも大きくなってからも、彼は絵を描くことに夢中だった。公爵家の男子たるもの、それじゃあ困るわ。もっと勉強しろ。身体を鍛えろ。社交性を身に付けろ。そう強要すればするほど、ルーファスは絵に夢中になって――あっという間に引きこもり令息が完成した。
その鬱憤を晴らすように、両親は社交界で着飾り、散財し……名声だけが立派なエルクアージュ家の出来上がり。その名声も、長女が『未来の王太子妃』ということで成り立ってたりいなかったり。
そんなエルクアージュ家に、弟なりに罪悪感もあるのだろう。
そんな彼に、わたくしは改めて聞くの。残酷ね? でも、彼の今後一生に関わるのだから。
わたくしの愛情が通じるかなんて知ったこっちゃないわ。
見返りを求めたとて、受ける時間がないんだもの。
「それならルーファス。家出しましょうよ!」
「え?」
「何から何まで、わたくしが手配してあげますわ!」
わたくしは斧を両手で持ったまま、にっこりと提案する。可愛い子には旅をさせよ。そんな格言を、今から実行するのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます