第6話 可愛い弟に旅をさせますわ②

 もう周囲は暗かった。庶民街の街灯は、夜が更ける前に切れてしまう。だから、十代の子らが出歩くのにギリギリの時間。ましてや公爵家の令嬢令息がお供も付けずに二人きり。明かりが消え次第、あっという間に誘拐されてしまうだろう。


 その瀬戸際で、わたくしは声を張る。


「お願いします! この子は絵の天才なんです! 一度でいいから、ちゃんと彼の絵を見てもらえませんか⁉」

「何度来られても、うちにこれ以上弟子をとる余裕はねーんだよ」

「そこをなんとかっ!」

「うるせー!」


 いくら鍛え始めたといえど、大の男に突き飛ばされてしまえばそれまでだ。

 ――年の割のゴージャスなひげのくせに! 似合ってませんわ!

 と罵るのは、胸中に納めなくては……。それなのに、わたくしが尻もち付くやいなや、周囲に比べて少し派手な家の扉が、音を立てて閉められてしまう。

 わたくしが尻もち付くやいなや、周囲に比べて少しだけ小綺麗な家の扉が音を立てて閉められてしまう。


「姉さんっ、怪我は⁉」


 後ろでおどおどしていただけのルーファスが駆け寄って来るわ。大きな鞄を背負っているだけでなく、もう少し本人にもやる気を持ってもらいたいものだけど……いきなり連れて来たんだもの。仕方ないわよね。


「大丈夫よ」


 このくらいの尻もちは、ザフィルド殿下との訓練で日常茶飯事だ。それよりも、わたくしが抱えていたルーファスの絵が破れていないようで何より。さすがに、家出でルーファスの描いた絵を全部は持って来れなかったから。彼が特別上手く描けたという二枚だけを持ってきたのだ。湖畔の風景画と……恥ずかしながら、わたくしの絵。湖畔は五年前に家族旅行で訪れた隣国の風景である。まだ彼が引きこもる前。その家族みんな仲が良かった頃の時のことを思い出して描いた絵画らしい。


 うぅ……、我が弟ながら、なんて家族想いで優しい子なのかしら……!

 姉としては、こんな可愛い弟が路頭に迷った挙げ句に人身売買にかけられる未来なんて、絶対に防がなくてはならないわ! どうせなら、彼が高笑いあげちゃうくらい幸せな未来を掴む礎を……高笑いは言いすぎね。彼は男子ですもの。ふふっ。


 だから、これくらいへっちゃらよ。わたくしは小さく笑いながら、腰を上げる。


「さすがにこれ以上夜分遅くには失礼ね。今日の所はお暇しましょうか」

「……家に帰るの?」

「まさか」


 家出初日に家に帰る根性なしがどこにいる。今頃わたくしたちの書き置きを見た両親が大騒ぎしている頃だから――そんな最中に帰ったら、外出一つ制限されることになってしまうわ。それはルーファスもわかっているみたい。


「それなら宿でもとるの? この時間に予約もなしで泊まれるものなのかなぁ?」


 その点、わたくしたちは世間知らずだ。わたくしも一見さんの宿マナーはさっぱりだわ。

 それでも、わたくしはルーファスの師匠(予定)のご自宅件アトリエを見上げる。煉瓦調の少し派手な家は、師匠(予定)が異国文化を取り入れたこだわりらしい。元は男爵家の嫡男だったようだが、熱い美術への情熱ゆえに家を出て、その腕ひとつでアトリエを持つまでになったのだ。ご実家とも、最近少しだけ交流を持ち始めたとか。こんなルーファス向きの奉公先が、他にある?


「大丈夫よ。ちゃんと宛があるから」


 だからこの程度の困難で、わたくしの笑みを崩せるとは思わないでおいて。お姉ちゃんにどんと任せなさい!




 わたくしが通っている貴族学校は、幸い我がエルクアージュ領地内にある。王都のすぐそばにある伝統ある学校なので両殿下も近くの別邸に居を移し、三年間を過ごしているのだ。近くといっても王城からだと、移動に馬車で四半刻はかかってしまいますからね。領内でない限り通うのは難しいのです。なので学内の寮を利用している生徒も多くいらっしゃいますわ。


 それでも、通いで通学している生徒も少なくないんですの。なぜなら我がエルクアージュ領内は多くの学術機関があるわ。そのため教授職や研究職に就いている爵位持ちの貴族が、別邸を構えているケースが多くあるの。そんな父親や親戚の家に三年間お世話になる令息令嬢も少なくない、というわけね。


 なので、彼女の場合もその例に漏れず――、


「夜分遅くにご迷惑をおかけして申し訳ございません」

「いえいえ、ルルーシェ様にはいつも娘がお世話になっておりますので。お食事はお取りになりましたか?」


 わたくしが和やかに宿主と話している、その奥で。

 見覚えのあるご令嬢がガタガタと震えていた。どうして、どうして私の家に泊まりに来るの――そう言いたいのが丸わかりですわよ? 『顔をつくる』という技術を、もう少し身に着けてもらわないとですね。

 その手本を見せるように、わたくしは彼女に優雅に微笑んでみせた。


「レミーエさんもごめんなさいね。具合が悪いというのに、お泊りのお願いなんかしてしまって」

「はひっ‼ い、いえ……あの……」

「そういえば、わたくしが贈った本は読んでくれまして? もし快復されたのなら、デザートついでに感想を聞かせて――」

「うわーーんっ! ごめんなさ~~いっ!」


 あらあら。泣きながら奥に下がってしまったわ。でもこの分なら、明日までに本を読破してくれそうね。感想はまた朝食をいただきながらお伺いするとしましょう。

 ルーファスがちょいちょいと「あの人に何したの?」と訊いてくるけど、わたくしは何もしてませんわ。ただ毎日お勉強のお手伝いをしているだけですし。


 有り難く今日も御夕飯をご相伴いただこうとしていると、宿主改め、経済学者の称号も持つアルバン男爵がゴージャスな眉毛を寄せてきた。


「ところでご両親……エルクアージュ公爵らには、本当に使いを送らなくて宜しいので?」


 友達の家に泊まるだけとて、双方の親御に許可をとるのは当然の習わしだ。その当たり前の親切を無碍にするのは申し訳ないけれど。

 わたくしはぎゅっと目を閉じてから、ひとしずく涙を零す。


「ご迷惑おかけしてしまい、申し訳ございません……でも、今は両親とは……」


 その涙に、アルバン男爵は大慌て。


「あ、だ、大丈夫ですよ! お心が休まるまで、我が家で休養されてくださいね!」

「お心遣い、痛み入りますわ」


 あぁ、ぜひレミーエ嬢に見てもらいたかったわ。女の涙には、使い所というものがありますのよ。


 再び後ろからルーファスが服を引っ張ってくるけど知らんふり。あなたはどうか、こんな女の涙に騙されない紳士になってくださいね。あの世から期待しておりますわ。

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