第3話 殿下と話す時間はございません①

 ――あと89日。


「どういうことなんだ、ルルーシェ!」


 それは、お昼休みの鐘が鳴った直後だった。学年違いの殿下が、わたくしの教室に飛び込んでくる。

 どんなに残りの人生が少なかろうと、授業をサボるわけにはいかない。サボるだなんて……ちょっと心躍る単語なのだけどね。それでも、公爵家の名に恥を塗るわけにはいかないわ。未成年の貴族が教育を受けるのは国から与えられし義務。与えられた義務は最後まできちんとこなさなければ。


 だけど、休み時間は自由よね? なんたって休み時間なんだもの。

 なので来訪は嬉しいのですが、あなたを相手する暇はございません。


「ごめんなさい、サザンジール殿下。わたくし、このあと用事がありますの」


 なので要件は手短にお願いします、と首を傾げれば、殿下はより一層、わたくしに唾を飛ばしてくる。


「聞いているぞ! 毎日レミーエを泣かせているそうじゃないかっ! 休みの日まで押しかけているそうだな⁉」

「あら……しっかりとアルバン男爵の許可はいただいておりますわ。むしろ昨日は男爵の前で一緒にお勉強しておりました」


 感謝の印と夕飯までご相伴いただきましたと話しても、殿下の怒りの閾値は下がらない。


「何が目的なんだ⁉ そんなにレミーエをいじめて楽しいのか⁉」

「いじめるなんてとても……本当にお勉強をしているだけですのよ?」

「だが、実際にレミーエは毎日泣いているじゃないか!」

「とても涙腺が弱い方ですのね? そこも儚げで素敵だと思いますわ」

「貴様っ⁉」

「あら殿下、人前ですわよ?」


 淑女に対して『貴様』は口が悪すぎると思います。ましてや手を出そうとするなんて――と暗に示し、上がった殿下の御手をそっと下ろす。まわりを見渡す殿下は不服そうだけど、そこは我慢してくださいまし。皆が怯えておりますわ。


 ……本当、殿下は彼女を想っておりますのね……。


 少し胸が痛むけど、それでもわたくしは笑顔を崩さない。わたくしにも誇りがありますので。


「それでは、わたくしにも予定がありますので。失礼しますわ」


 軽く会釈をして、わたくしは歩きながら髪を括る。当然端たない行為だが、本当に時間が足りないのだ。自分で髪をまとめたことなんてなかったから、結んだ根本はぐちゃぐちゃ。それでも、結ばないよりいくらもマシ――。


「ま、待ってくれ! きみも最近何をしているんだ⁉︎」

「はい?」


 思わず振り返る。あら、まだわたくしなどに興味がありますのね?


「何と仰られましても……ただ剣の稽古をしているだけですよ」

「剣の稽古⁉」


 驚かれるのも無理はないかもしれない。男子ならともかく、百年単位で平和なラピシェンタ王国の令嬢に剣の嗜みが必要など、わたくしも聞いたことがない。無論、剣を握ったのは九日前が初めてだ。それでも、握る必要があるのだから仕方がない。


 ……その必要性を殿下に話すつもりは一切ございませんけど。


「始めてみると以外と楽しいですわよ? 宜しければ、殿下も一緒にいかがですか?」

「い、いや、俺は……」


 えぇ、当然存じておりますわ。殿下、運動は苦手ですものね? その代わり、常に勉学に勤しみ、学園でもトップの成績を維持している――その勤勉な所は、とても尊敬しておりましたのよ? 勉強しすぎて女性の見る目は養えなかったようですが。


「ふふっ」

「な、何がおかしい⁉」


 思わず笑ってしまい、殿下の機嫌を損ねてしまった。わたくしは口元を隠し「ごめんなさい」と謝る。


「殿下のことを笑ったわけではございませんのよ?」


 そう――本当に、嫉妬している自分がおかしくて笑っただけ。殿下にいくら女性免疫がなかろうとも、それ以上にわたくしに魅力があればよかっただけのことなのに。女の嫉妬が醜いとは、まさにこのことね。これ以上醜態を晒す前に、今度こそお暇するとしましょう。


「では殿下。失礼しますわ」


 学園内で似つかわしくないお辞儀カーテシーをして、わたくしは踵を返す。

 殿下はそんなわたくしに、まだ目くじらを立てていたのかしら? 少しだけ悲しくて、そのお顔を拝見することができなかった。




 そんなわけで、今日も学園のグラウンドの端をお借りして訓練に勤しむわけだけど。


「うーん……どうも上手くいきませんわね」


 いくらわたくしとて、この一朝一夕に手を貸してくれる人員を手配するのは難しかった。なんせ婚約者の王太子殿下は勿論、学園長もわたくしのお父様ですらも「危ない」と反対されていますからね。


 それでも金にモノを言わせて小剣を手に入れたわたくしは、グラウンドで訓練をしている男子学生たちの見様見真似を続けているわけです。彼らは剣術部のメンバーで、もうじき全国大会に出場するとのこと。チラチラとわたくしのことを気にしているようですが……邪魔はしていませんので、勘弁してください――と、その時だった。


 勢いが足りないのかしら、と思いっきり振りかぶった剣がカキンと音を鳴らす。


「痛っ」


 跳ねた小剣はくるくると弧を描き、地面に落ちる。その反動に耐えきれなかった手首を押さえていると、視界に影が出来た。くつくつとした笑い声が聞こえる。


「ルルーシェは、基本的な筋力が足りてないと思うよ。特に握力。このくらいの衝撃を耐えられないようだと、とてもじゃないけど使い物にならないね」

「……ザフィルド殿下?」

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