第2話 泥棒猫が泣いてしまいましたわ
――あと99日。
目覚めると、そこは見覚えのある部屋だった。
屋敷にあるわたくしの自室。ただおかしな点があるとすれば、王国一の美青年の顔が目の前にあるということだ。
まばゆい金髪。深い海のような瑠璃色の瞳。通称『金王子』と呼ばれる彼の形の良い唇がほっと隙間を作る。……あら、顎に擦り傷の跡がありますわね。どうしたのでしょう?
「サザンジール殿下……? 顎はどうしたのですか……?」
「そ、そんなことはどうでもいいんだ‼」
どうでもいいとはひどいですわ。心配していますのに……。
そんなことを仰るのなら……サザンジール殿下は、わたくしより三つ上の殿方です。そんな齢十八歳の婚約者が、どうしてわたくしの自室にいらっしゃるの?
ひとまず横になったままでは不敬だわ。起きあがろうとするも……目眩がして身体に力が入らない。ベッドから落ちそうになったところを、支えてくれたのは女性の手だった。
「無理しないで!」
……あぁ、なるほど。
その顔を見て、合点がいったわ。
レミーエ=アルバン嬢。黒髪のわたくしとは真反対の珊瑚色の髪。腰までのストレートロングと反対の鎖骨までのふんわりヘア。切れ長ではなく、まんまるとした目。長身細身ではなく、小柄でふっくらした体型。
わたくしと同級生とはいえ、わたくしはクラスは最上級の『アン』。間の『ドゥ』を飛ばして、あなたはクラス『トロア』。そんなあなたは相変わらず、学力と爵位で決まるクラス分けでも明確に差が出ている公爵家の令嬢に対して、男爵家のあなたはタメ口なのですね?
そんな彼女に何の意も唱えないわたくしの婚約者様は、彼女と一緒にわたくしを心配してくださっている。
そう……二人して『お見舞い』という名のデートですの。有難いかぎりだわ。
「心配は不要ですわよ。レミーエさん」
「え……?」
絶句するレミーエ嬢の肩を抱くのは、当然サザンジール殿下だ。
「ルルーシェ! 心優しいレミーエにその言い方はないだろう⁉」
「……本当に体調が悪くないので、そう言ったまでですが」
「だとしても、もっと言い方があるはずだっ!」
ねぇ、殿下。私の些細な言い回しを叱咤する前に、己の行動を鑑みていただけないでしょうか? 婚約者の前で……しかも婚約者の私室で、他の女に触れるというのが紳士のマナーなの?
だけど、ここで論じても無駄なことは、ひと目でわかる。
こちらを睨む殿下と、今にも泣きそうなレミーエ嬢。……そう。それがお二人の幸せなら、それでもいいわ。
どのみち、わたくしはあと百日で死ぬ存在なのだから。
どんなに『自分の方があなたに相応しい!』と訴えたとて……そばでお支えできないのなら、それまでの存在。
だから、消えゆくわたくしができるのは――あなたの進む道を、少しでも整えて差しあげるだけ。
「あのね。放課後に時間を貰えるかしら?」
「で、でも……ルルーシェ様はお身体が……」
「本当に大丈夫よ、明日は必ず登校するわ。殿下、レミーエさんをお借りしても宜しくて?」
「あ……あぁ。ただ、無理をさせるなよ?」
ねぇ、殿下。そこは無理を“するな”の間違いではなくて?
「勿論ですわ」
嫌味を返さず、わたくしは優雅に微笑む。
そんなくだらない事に、目くじらを立てる暇はない。わたくしに残された時間は、少ないのだから。
――あと98日。
翌日の放課後。レミーエ嬢を呼び出したのは空き教室だった。先生に頼んで、一室貸してもらったのだ。公爵家の長女であり、品行方正な将来の王太子妃であるわたくしには、こんな手配は簡単なこと。
だけど、教壇に立つ機会はそうそうないから、少しだけ浮足立つわ。
しかも、眼下に肩を竦めたどら猫がいれば、より一層。……どら猫なんて失礼かしら? でも泥棒猫よりマシだと思うの。まぁ、口に出すわけでないから、どちらでも構わないのだけど。
「ルルーシェ様……今日は何をするんですか?」
てっきりカフェテリアでお茶でもすると思っていたのだろう。彼女の座る机にどっさり置かれた教科書と、わたくしの持つ指示棒にすっかり怖気づいている。
わたくしはにっこり微笑んだ。
「わたくしが勉強を教えて差し上げますわ」
「え?」
「ついでに一般教養に礼儀作法……わたくしの知りうる限りを全て叩き込んであげます」
「あの……えーと……?」
「あなた、あまり成績が芳しくないでしょう? 殿下の隣に立つには、些か足りないものが多いのではないかしら?」
「気持ちさえ通じ合っていれば、そんなもの些細な障害でしかないわっ!」
……えぇ。市井の民なら、それでいいのかもしれないけれど。
勝ち誇った顔をしていらっしゃいますが、あなたはお相手が次期国王陛下第一候補であること、本当にご存知なのでしょうか? 無礼と無知を鼻で笑う者が、上に立つに値すると本気で思って?
……まぁ、だからこそわたくしが教鞭をとるのですけれど。
「あなたの帰りが遅くなること、お家の方に連絡してあるんですけどね」
「え?」
「父親であるアルバン男爵からも頼まれましたわ。『宜しくお願い致します』と。そして伝言です。わたくしに失礼のないようにしろよ、とのことですわ。まさか、お父様からの激励を無下になさるの?」
わたくしの手回しの良さのせいか、絶句するレミーエ嬢。だから、このくらいの手回しは朝飯前だってば……あら嫌だわ。朝“メシ”なんて、はしたないですわね。
彼女の父親であるアルバン男爵は、ゴージャスな眉毛に関わらず物腰柔らかい人物だ。一人娘のレミーエ嬢にも甘いという。でも、さすがにそんな優しい父親に恥をかかせる気概はないらしい。さらにわたくしが「勿論、帰りはうちの馬車でお送りしますからご安心ください」と申せば、諦めたように肩を落とす。
「それでは、まず立ち方から始めましょうか」
そして夜も更けた頃、「もうやだ~~」とぼろぼろ泣き出した彼女を約束通り送り届けた。勿論、しっかりと「また明日」と挨拶に出てきたアルバン男爵の前で微笑んで。
まだ頭にたったの五冊しか乗せてないのだけど……あと百日足らずで、王妃様に認められるくらいの立ち振舞を仕込めるかしら?
そんな不安を抱えつつも……わたくしも疲れが溜まっているのだろう。馬車の心地よい揺れに、少しだけ瞼を下ろした時だった。
真白な世界に、見目麗しい神様がいた。
『きみは何をしているの?』
わたくしはまばたきを三回。また神様に呼ばれたことに驚いたのは勿論、その質問の意図がすぐに理解できなかったのだ。
あぁ、レミーエ嬢の教育の件かしら? そう検討をつけて、わたくしは質問に答える。
『後継者に教育を施すのは、先達の義務ではなくて?』
わたくしは当たり前を説いたつもりだが、神様は整った眉根を思いっきり寄せた。
『あと、きみは百日しか生きられない……て、話したよね?』
『えぇ。正確にいえば、残りは九十七日ですわね』
『その貴重な半日を、嫌いな子に費やして本当にいいの?』
嫌いな子……該当するのは、当然レミーエ嬢ね。だってわたくしの婚約者を奪おうとしている泥棒猫ですもの。好きか嫌いかでいえば、間違いなく後者だわ。
だけど……それはそれ。わたくしの個人的な感情なんて、為政のためには無益だわ。
『未来の王と妃が想い合っていることに、越したことはありませんから』
この際、爵位なんて額縁を気にしている時間はない。本当に殿下とレミーエ嬢が仲睦まじいのなら、それでいいのだ。だけど、あまりに彼女が『人の上に立つ』意識が足りないから――わたくしはそれを補っているだけのこと。
『本当に……それで悔いは残らないの?』
『えぇ』
『それなら、いいけど……』
即答したわたくしに対して、神様の歯切れは悪いけど……わたくしは夢から覚めるまで、笑みを崩さなかった。だって、これがわたくしが選んだ人生だから。
わたくしはルルーシェ=エルクアージュ。公爵家の令嬢であり、サザンジール王太子殿下の婚約者。
ねぇ、レミーエ嬢。これでも、最後までは殿下を譲るつもりはないの。だから覚悟していてちょうだいね――たった九十七日の辛抱なのだから。
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