【書籍全2巻発売中】100日後に死ぬ悪役令嬢は毎日がとても楽しい。【コミックス1巻発売中】

ゆいレギナ

第1話 神様と賭けをしましょう

『あなたは百日後に死にます』


 学園の階段から落ちた。

 すれ違いざまに誰かに押されたような……気のせいかしら? そのくらい無意識に、わたくしルルーシェ=エルクアージュは階段から足を滑らせた。


 その直後、真白な世界で神は言ったのだ。


『ごめんなさい。本当はあなたと話すことは規約で禁じられているのです。だから、あなたは何も知らずに死ねるはずだったのに……無駄に恐怖を与えてしまって申し訳ありません』


 その神様はとても白く、そして美しい青年だった。長身痩躯。裾だけ長い白い髪。白い肌。白い礼服。その中で瞳だけ鬱金色。敬虔な神教徒であり、稀代の芸術家アンドレ=オスカーが最後に描いたとされる『ナナシの落日』に描かれた神の御姿に、その青年はそっくりだった。


 正に神がかった美を持つ青年に、わたくしは問う。


『なぜわたくしに教えてくださったのですか?』

『……私の傲慢です』

『なぜ、それがあなた様の傲慢になるの?』

『とても……可哀想だと思ったので』


 ……なるほど。わたくしの末路に同情したのね? 

 何様のつもりなのかしら? 神様のようだけど。でも初対面の方からの同情なんて、たしかに傲慢だわ。


『つまり、あなた様はわたくしが婚約者である王太子殿下に捨てられる予定であることを知っているのね?』


 そう――わたくしは許嫁であるサザンジール=ルキノ=ラピシェンタ王太子殿下が浮気をなさっていることを知っている。男爵令嬢であるレミーエ=アルバンと友好の域を超えて仲が良いことは、学園の皆にとって周知の事実。


『それで? わたくしはどのような末路を迎える予定なのかしら?』

『今のところ……あらぬ罪で断罪され、逆上した貴女から懇意の娘を守ろうと、婚約者の手ずから……』

『まあ。なら、わたくしがレミーエ嬢の暗殺を目論んでいるという噂を鵜呑みにされてしまっておりますのね』


 正直、わたくしが逆上するのかしら……という疑念はあるのだけど。でも公の場で貶められようものなら、頰を叩くくらいのことはしてしまうかもしれない……わね。百日後だと、国王陛下を招いたダンスパーティーがある時期かしら。まさか、いくら恋に浮かれている殿下だとしても、人前で婚約破棄など……ありえるの?


 それだけでも笑いたくなってしまうのに、この神様はさらに言葉を続ける。


『あとこれは余談ですが……あなたのエルクアージュ家はあなたの逆罪により家督の剥奪。家族全員路頭に迷った結果、人身売買に掛けられます。さらにあなたに手を掛けた婚約者も、近いうちに暗殺者に命を狙われる。死ぬことはないにしろ、半身不随を余儀なくされるみたいだ』

『まあ、本当に暗殺者に狙われておりますのね⁉』


 あまりに壮大なお話に、どこから追求させていただけば良いのやら……。

 このラピシェンタ王国で人身売買が表向きに行われていたのなんて、百年以上昔の話のはず。それにサザンジール殿下も暗殺者の手にかかってしまうなんて……護衛はどうなされたの?


『ふふっ』


 思わず、笑ってしまうわ。


『信じてもらえないですか?』

『いいえ、違うわ』


 おずおずと眉根を寄せる神様に、私は即座に首を振る。


『自分のことながら、わたくしがあまりに惨めで』


 わざわざ口に出して言うことではないけれど……これでも、それなりの努力はしてきたのだ。


 公爵家、そして王太子妃として相応しい自分になるために。己を磨き、マナーや教養も欠かさない。常に王国のため。民の憧れとなるために。誰よりも美しくあるために。品と規律と秩序を重んじ、己を律して生きてきたのだ。

 この十六年、たくさんのことを我慢してきた。遊びも知らない。勿論、年頃の少女がうつつを抜かすという恋だって知らないわ。


 その末路が、神様にすら同情されるこれである。

 これを笑わずにして、何を笑えばいいの?


 でも、この目先真っ暗な中に差し込んだ光を、利用しない手もない。


『それを教えてくれたということは、その未来は回避出来るのかしら?』


 わたくしの問いに、ひとまず神様はゆっくりと頷いた。


『出来ます――が、死は免れません。世界には因果があります。人間の死も、その因果から逃れられない。それまでの過程は変えられますが、命の輪廻からは、たとえどんなに努力しようとも……』

『あら? なら、なおさらどうして、貴女様はわたくしに助言くださっているのかしら?』


 それに神様は答えない。

 もう、本当に何様の……まあ、神様だったわね……本当に傲慢だわ。あなたは死ぬけど、頑張ればちょっとはまともに死ねるかもしれないよって?


 本当……馬鹿にするのも大概にして欲しいわ。


『なら神様。わたくしがあなた様から見て、最高に美しい死を遂げることができたら……何か褒美をくださらないかしら?』

『褒美?』


 神様のキョトンと目を見開くお顔があまりにも可愛くて、思わず口角が緩んでしまう。


『何でもいいの。どうせなら、傲慢なあなた様にもぎゃふんと言ってもらおうかと思って』


 ぎゃふんなんてはしたない言葉、初めて口にしたわ。でもいいわよね? どうせあと百日で死んでしまうのですもの。一度言ってみたかったのよ。なかなか面白い言葉じゃない。本当に『ぎゃふん』と鳴くわけでもないのにね。


 すると、神様も小さく笑う。


『あぁ、いいよ。その時は、次の人生できみが望むモノを何でも与えよう』

『約束ですわよ?』


 わたくしは小指を差し出した。指切りだ。それは東洋から伝わった子供だましの呪いの一種で、互いに小指を結ぶと約束が叶うという。約束を反故した方には最悪が降りかかるとか?


 そんなわたくしに、神様今一度小さく驚いて。だけどたしかに、その白く節ばった指を絡めてくれた。


 指切りを結ぶと、たちまち世界は光に包まれる。


 そして――わたくし、ルルーシェ=エルクアージュは現世に戻った。百日後に、最上に美しい死を遂げるために。

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