第4話 妄想
俺の実家から斜向かい。そこが鈴木宅の場所であった。
俺が先輩を連れて家の呼び鈴を鳴らすと、誰も出ない。おそらく、奴の父親は仕事。母親は買い出し、もしくは警察へ相談中かもしれない。
「誰もいないんじゃ、どうすっか」
「事後承諾で許可取ります」
無人の家の前で途方に暮れる先輩の言葉に、俺は淡々と答えた。
「事後承諾ってどうやって――」
「鈴木んちはポストの中に予備の鍵入れてあるので」
「不用心! 昭和のお宅か?」
そう言ってやらないでほしい。これは鈴木が家に鍵を忘れることが多いが故にできた、鈴木母の優しさである。
ポストに手を突っ込んで上部を探れば、そこにはセロテープで留められた鍵がある。俺はそれをセロテープごとむしり取った。
なお、この家が泥棒に入られたことは一度もない。
「よし、開けます」
「よく知ってたな、こんなこと」
「そりゃ、本人に自慢げに言われたことがあるので」
あれは小学三年生の冬こと。これはあの時が最初で最後であるが、共にかぎっ子である俺と鈴木が、同じ日に家の鍵を忘れたことがある。
俺は家に入れなかったので、庭にでも佇んでおこうかと思っていた。しかしポストに手を突っ込んだ鈴木に誘われたので、その日は親が帰ってくるまで鈴木宅で遊んだのだ。
寒い外で親を何時間も待つ、という苦行をせずにすんだので、そのときの鈴木の誘いはありがたかった。しかし、「おれのおかげで、しょんべん行けるじゃん! 感謝しろよ!」と言ってきた奴のどや顔に死ぬほど腹が立ったので、決していい思い出ではない。
俺が昔のことに少々苛立ちを覚えながら鍵穴に鍵を挿し込んで回せば、ガチャリと開錠音が鳴る。
「よし、入りましょう」
「おじゃましまーす」
俺と先輩は家の中に入ると、真っ先に鈴木の部屋に進んだ。
鈴木の部屋は二階の四畳半の部屋だ。お世辞に広いとは言えないこの空間で、椅子と呼べるのは、奴が小学生の頃から使っている勉強机の椅子だけだ。
部屋に入ったと同時に、俺たちは互いの顔を見合わせ、頷いた。
そして椅子に手をかけた先輩が見つけたのは――、
「……キーケース?」
「鈴木のですね」
それは椅子の座板に乗っている、鈴木のキーケースだった。
「あいつ、鍵持ってなかったのか」
「あー、よく鍵忘れるんで。なんとなくここに置いて、そのまま鞄に入れるの忘れたんでしょうね」
「だな。で、あいつはこれでなにを伝えたかったんだ?」
先輩がキーケースを開くと、そこには三つの鍵が付いていた。
「……ひとつは家の鍵だよな」
「はい。予備の鍵と形状が一致してます」
そう言って、俺は先程使った予備の鍵を見せた。
「真ん中にぶら下がってるのは……」
「バイクの鍵ですね」
「……じゃあ、もう一個は? お前んちの鍵?」
「んなわけないでしょ。知らないですよ。んー……」
鈴木が椅子、と俺たちにメッセージを残したのは、椅子に置いてあるこのキーケースになにか意味があるのか。それとも椅子そのものになにかメモでも張り付けたのか。
俺と先輩は椅子をひっくり返して、メッセージの類がないか探したが、なにも見つからなかった。
「……やはり、モールス信号というのは考えすぎだったのかもしれませんね」
俺は自身の推理が的外れであったことを恥じながら、部屋を見渡す。
床には散らばったゲームソフトと、大学で配られたプリント。壁にはグラビアアイドルのポスターにカレンダー。机の上にはノートパソコン一台。
いつもの奴の部屋である。なにもおかしな点はない。
「でも、絶対意味あると思うんだよなぁ。この鍵、見覚えないのかよ」
「さすがの俺でも、人んちの鍵の形状とかいちいちわからないですよ。なんなら、自分ちの鍵の形状もよく覚えてないです。キーホルダーとかで区別します」
「まあ、そうだけどよ」
「でも、そうですね。この状況で意味がないとも思えないんです。だとすると、林堂さんの家の鍵、とか」
一度そう考えると、そうだとしか思えなくなってきた。
そうだ。彼氏彼女の関係だ。合鍵を持っていてもおかしくないのではないか。
「合鍵!? この前初デートしてたあいつが、合鍵!? 早すぎるだろ! そんなことが許されるわけない!!」
一体誰が許して、誰が許さないのだろう? 俺にはよくわからない。
「でも、この状況で彼女と関係がないとは思えないなら、それ以外ないでしょう?」
「じゃあ、その鍵が彼女の家の鍵だったとして、鈴木はそれを俺たちにどうしろっていうんだよ」
「そりゃあ……、使えってことじゃないですか?」
自分で言っていて、冗談がキツイと思った。バイト先の同僚の家の鍵を勝手に使う。そんなもの、犯罪だ。さすがに俺も躊躇う。
しかし、
「よし、わかった。じゃあ使おう」
ここに愚かにも勇敢な
「いやいやいやいや、不法侵入不法侵入」
「今、俺たち不法侵入してんじゃん」
「そ、そうですけど……。いいですか、俺は断言しますよ。鈴木も鈴木の親も事情話せばわかってくれます。俺らが何年家族ぐるみの付き合いしてると思ってるんですか。事後承諾は絶対に取れます。でも、林堂さんは別でしょ。俺たちの犯罪を見逃す理由がない。慎重にならないといけないんです」
「いやでも、そんなこと言ったら、バイト先で彼女の住所勝手に見たのもやべぇんじゃねーの。思い付きでやったろ、あれ。慎重じゃねぇじゃん」
「ぐう」
先輩の言うことが正論すぎて、ぐうの音しかでない。いやしかし、それと不法侵入では罪の重さとリスクが違うような。
「しょーがねぇって。緊急事態だし。ほら、こんなストーリーが考えられるだろう?」
そう言って、先輩は自分の
「鈴木の奴は初デートの日、それはもうとても浮かれていたんだ。そう、とても。わかる。俺だって、かわいい子とデートがしたい」
願望が漏れている。
「そんなデートでテンション爆上げの奴は、彼女が一人暮らしであることをいいことに、彼女の家に半ば押し入る形で入り込んだ。奴も男だ、狼だ。そういうこともある。
で、彼女は嫌がった。ちょっとなんとなくで付き合った鈴木に、彼女はまだ心を許してなかったんだ」
勝手に、なんとなくで付き合ったことにされている。
「抵抗する彼女。押し通ろうとする鈴木。押し問答が続く中、ついにその時は来た! 彼女が勢いよく鈴木を腕で押したんだ。退けようと思ってな。
すると、鈴木はバランスを崩して転んだ。ひっくり返った奴の頭に玄関の
その音大丈夫ですか? 鈴木の奴、死んでませんか?
「彼女は鈴木を殺してしまったと焦り、ことの露顕を恐れた。だから、彼女は鈴木の死体をなんとかバレないように隠さなくては。そう思ったわけだ。だがしかし! ゴキブリ並みの生命力で鈴木は生きていた。
彼女の部屋の中で目を覚ました鈴木は、彼女が自分を殺したと勘違いした上で、その罪を隠蔽しようとしていたことを知る。同時に、彼女は鈴木が生きていたことで、余計に自分の立場の危うさを理解したんだ。
このまま鈴木を解放して、警察にでも行かれてみろ。過失傷害に、それを隠蔽しようとする反省のなさ! これが判明しちまうわけだ」
「そこで、彼女は鈴木を捕らえ、どう口封じしようか考えている、と。そう言いたいんですか?」
「そう! どうだ? 名推理だろ?」
名推理かどうかは知らないが、妄想にしては筋が通っている。
「このままだと、鈴木の奴は彼女によって、今度こそ本当に殺されるかもしれない。その前に、俺たちが救出すべし! 鈴木が彼女の鍵の位置を俺たちに知らせたのは、そういうことだ。警察より先に事件を解決する探偵は、ちょっと無理を押し通してでも事件を解決するもんだ。違うか?」
「……」
確かに、鈴木がキーケースの位置をわざわざ俺たちの教えたのであれば、先輩の言っていることは間違いとも言い切れない。
ちょうど、明日林堂さんはバイトに行かなくてはならない。そう、俺と約束をしてしまった。その約束をバイト先にも知られていると、彼女はちゃんとわかってる。
なら、明日、彼女は留守だ。確かめるなら、明日しかない。
そこまで考えても踏ん切りがつかないのは、バレたときのリスクが大きすぎるからだ。
「鈴木の奴、今日は生きてても明日には死んでるかもしんねぇぞ。いいのかよ」
そんなの、いいわけがない。
うざいけど、うるさいけど、うっとおしいけど。
ずっと一緒にいる、親友なわけで。
「なら、やろうぜ。人生一度きりの犯罪探偵。彼女が留守の間だったら、バレねぇって。それに、もし全部勘違いだったら、素直に土下座すればいいんだよ!」
先輩は好奇心に胸を躍らせながら、満開の笑顔でそう言った。
*
俺が鈴木みたいな馬鹿と仲がいいのは、結局、俺も馬鹿だからだ。
その晩、鈴木母から警察がすぐに動いてくれない旨を聞き、俺は林堂さん宅へ行くことを決めた。
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