第3話 信号

 その後、俺と先輩は電車に乗っていた。腰を落ち着けて話すために、俺の家がある駅へと戻るためだ。


「じゃ、先にお前から話せよ。あの娘がどんな嘘吐いてたって?」

「先輩も彼女が嘘吐いてるって言ってたじゃないですか。いいんですか? 俺より先に推理を披露しなくて」

「俺の華麗な推理は最後を飾るから、先にお前が話すんだよ」


 つり革に掴まりながら、先輩は高らかに言い切った。

 二人だけしかいないのに、最後を飾るもなにもないのでは。なんてことを思っても、相手は先輩。古代から続く年功序列の仕組みに、わざわざ逆らう労力がもったいない。俺は先輩に促されるまま、推理とカッコつけて言うには恥ずかしいよな、稚拙な推測について話しだした。


「まず、風邪ひいたって言ってたじゃないですか」

「おー」

「あれ、多分嘘です」

「仮病だって言いたいのかよ。なんで」


 先輩の問いかけに、俺は先程あった林堂さんの姿を頭の中に浮かべた。


「彼女の風邪についての発言をまとめると、風邪ひいたけど、病院に行くほどじゃないから一日中寝てた、ってことですけど……。その発言全部嘘じゃないなら、彼女は今日、外にでてない」

「まあ、そうだな」

「その割には、ばっちりメイクして、フリフリの女の子って感じのワンピース着てました。どうみてもよそ行きの恰好です。風邪ひいて、一日中寝てた人間の服装じゃない。調子も良さそうでしたし、風邪自体嘘で、ズル休みなんでしょう」

「え、そんなかわいい恰好してたの? 見たかった」

「そういう話してないです」


 俗物な先輩が意外な点にくいつくが、俺は軽く流して次の論点へと行く。


「あと、物音がしたとき、彼女、犬飼ってるって言ってたじゃないですか」

「おー。大学生の一人暮らしで犬飼うとか、大変そうだよな」

「それ、俺も思いました」

「……あー、それも嘘か」

「はい」


 俺はそう言うと、携帯の画面を先輩に見せた。


「……彼女のマンションの賃貸情報?」


 画面には、俺が林道さん宅に突撃する前に見ていた、物件情報が載っている。

 俺は画面の中の一か所を指差した。


「はい。そこ、見てください」

「……『ペット禁止』?」

「そうです。あのマンション、ペット禁止です。犬、飼えないんですよ」


 そう。林堂さんが住む賃貸マンションはペット禁止。本来、犬など飼えないのである。


「こっそり飼ってるって線は……」

「それもなくはないですけど。……ちょっと考えてほしいんですよ。先輩、俺んち遊びに来たことあるじゃないですか」

「あー、お前んち。そういえば犬飼ってたな」


 俺と鈴木は先輩や林堂さんと違い、実家暮らしだ。そして、俺の実家では犬を飼っている。


「俺が生まれてからで考えると、今の犬は三代目です」


 ちなみに、俺が生まれる前にも父と母は犬を飼っているので、うちの親としては五代目だったりする。


「そんな犬を見てきた俺からすると、『見知らぬ来客があっても、全然興味も示さずに部屋の奥でひとりボール遊びしている犬』なんて、基本的にいないんですよ」

「え……、あ。あー、思い出した。お前んちに言ったとき、めっちゃじゃれつかれた」


 先輩は俺の言葉を聞くと、宙を見ながらぼんやりとした声を出した。


 そう。俺の家の犬は来客があると、愛想よく尻尾を振って、来客の足元をピョンピョン飛び跳ねる。ちなみに、今はもういないが、先代の犬は臆病な子で、来客が来ようものなら、警戒心むき出しで吠えていた。


 犬にも性格はあるが、自分のテリトリーに知らない人間がやってくるのだ。好意的なものにしろ、そうでないにしろ、なにかしらの興味を示すのは人間も犬も同じである。

 だというのに、採光部がある廊下の扉から玄関の様子が見えるにも関わらず、先程の状況で吠えることも姿を見せることもしないのが、先輩の飼っている子犬らしい。そんなもの少数派だ。

 端的に言えば、そんなことはのである。


「まあ、彼女の家が2LDKとかなら別の部屋にいる可能性ありますけど、賃貸情報からあのマンションが全部1Kなのわかってますし。ゲージとかサークルに入ってるなら、その中で暴れてることも考えられなくないですけど、彼女、って言っちゃいましたもんね。多分、俺に訊かれたゲージとサークルの違いがとっさにわからなくて焦ったんでしょう。だから、俺が出したわかりやすい言葉に食いついた。犬種も言わずに誤魔化してるし、飼ってるってのは嘘です」

「お前、そんなこと考えながら会話してたの? こわ。誘導尋問かよ」


 俺のことをちょっと引いた様子で見る先輩。失礼な人だな。

 こんなもの、嘘を吐いておきながら、杜撰な彼女が悪いのだ。俺が犬好きだと知らなかったのも致命的だろう。


「ちなみに、ゲージとサークルの違いってなに?」

「床天井があるかどうかの違いですよ。別にどっち言ったってよかったのに、いきなり聞かれて戸惑ったんでしょう。英語の意味を冷静に考えれば、わかったかもしれないですけど」


 俺の答えに、先輩は「へー」と感心した様子だ。その言葉に合わせて、電車ががたりと揺れる。

 俺の家の最寄り駅に着いたのだ。


「とりあえず、俺の家に行き前にバイト先に寄って、林堂さんが明日来るって伝えておきましょう」

「意外と律儀な奴だな、お前。彼女からの伝言、わざわざ直で伝えるのか?」

「別に律儀なわけじゃないですよ。ただ、逃げ場をなくしたいだけです」


 俺は足を駅のホームにつけながら、そう言った。



 *



 駅を降りてから、バイト先にも寄りつつ、俺は先輩と共に家に帰った。

 まだ両親は帰っておらず、リビングのソファでくつろぐ先輩に、俺は手ずから麦茶をコップに注いでやった。


「はい、どうぞ、先輩。粗茶ですが」

「おー、ご苦労、ご苦労」


 先輩が麦茶を飲む姿を見ながら、俺は先輩の隣に腰を下ろす。


「で、これからどうすんだよ。彼女が嘘吐いてるのはほぼ確実にしても……」

「問題は、それが鈴木と連絡がつかないことに直結しているか、ですよね」


 現在判明している彼女の嘘は、風邪を引いた、というのと、犬を飼っているというものだけ。前者はただのズル休み、後者はカワイ子ぶっただけ。そう言われてしまえば、そこまでである。


「彼女がなんで嘘を吐いたか、考えてみましょう」

「風邪はまあ、バイト休むための仮病を、バイト先の奴に言うことはないよな。そこは嘘吐いて当然」

「はい。問題は犬の方です。飼ってない犬を、どうしてわざわざ飼ってるなんて言ったのか」


 そう。普通に考えれば、犬を飼っているかどうかなんて嘘、吐く必要は彼女にはないはずなのだ。それでも吐く必要ができてしまったのであるとすれば、その原因はその前後の出来事にある。


 ここに、鈴木との関係が隠れているかもしれない。


「そういえばなんか物音してたから、犬飼ってる、なんて言い出したんだっけか。彼女は」

「はい。なんか、ドタンバタンって……。あの物音を、犬が出したと俺に思ってほしかった。考えられる理由は、犬以外のなにかがいて、その存在を知られたくなかったから」

「あやしいよなぁ。ま、そう考えると、その『なにか』ってのは人だろ。だいたい、動物飼ってるどうこう以前に、あの音は犬じゃねぇよなぁ。咄嗟のこととはいえ、彼女も墓穴掘ったな」

「……? どういうことですか?」


 俺がそう尋ねると、先輩はにやっと笑った。


「そう、これが俺の推理の肝! 彼女が嘘を吐いていると見抜いた切っ掛け。音だ。なにせ、俺の位置からじゃ互いに姿が見えないからな。それ以外に手がかりはない」


 したり顔を披露しながら、先輩は手を叩いた。どこか小気味よい音が部屋の壁に反射して、やけに大きく響いたように思える。


「部屋の奥から聞こえた音、完全手叩いた音だったじゃん。パンッて」

「……そうでしたっけ?」


 正直、俺からすると、なにかぶつかるような音だったように思うが。


「それにリズミカルだったし」

「えっと、そうでしたか?」

「そうそう。こー、ドン、パンッ。ちょっと開いて、ドン、ドン、ドン、パン、ドンッ、って。手叩く以外に、床になにか叩きつけた、みたいな音もしたな」


 先輩は「ドン」のタイミングで膝を叩き、パンのタイミングで手を叩く。

 よくもまあ、すでに二十分以上前に聞いた物音の再現などできるものである。


「よく覚えてますね……。いや、それ以前に、よく聞こえましたね。距離的には俺よりも離れてたのに」

「俺もびっくり。俺って耳良かったんだな」


 先輩は呑気にそう言って、お茶を一気飲みした。


 そういえば、この先輩はピアノ教室の先生をやっていた、じっちゃんの名にかけて事件を解決する、とかなんとか言っていた。

 詳しく話を聞いたことはないが、もしかすると、この人もなにか音楽的なセンスがあるのかもしれない。

 たとえば、人よりも耳がいい、とか。


「誰かが彼女の家の中で、わざと音を立てて……。彼女は家に誰かいると俺に知られたくなくて、とっさに犬が立てた音だと嘘を吐いた。問題はそれが誰かですけど――」

「いや、そりゃ鈴木以外にいねぇだろ」

「ここまで彼女が嘘吐いてると主張した俺が言うのもなんですが……。決めつけるのは早計じゃないですか。もう新しい男連れ込んでた、なんて真相かもしれませんよ。

 彼女は鈴木に振られたなんて言っていたが、本当に振ったのは彼女の方だった。そして新しい男を連れ込んでいた。その場合、振った男の友人で、かつ自身の同僚である俺には隠したいでしょう?」

「んー。まあ、確かに、それだと筋は通るか。だとすると、とんでもない男好きみたいにならないか、あの美人。俺もおこぼれにあずかりたいくらいだ」


 そう言って、先輩は神妙な面持ちを浮かべる。


 「それだと、先輩は五番目くらいの男になるんじゃないんですかね?」などという本音が口から漏れかけたが、寸でのところで固く口を閉ざす。ここで先輩の機嫌を損なるのは得策ではない。


「でもさ、彼女の部屋の中にいる男が鈴木でないなら、お前が玄関に現れている状況で、あんな派手な音をわざと立てる必要なんてないんじゃないか? 鈴木だからこそ、お前の声に気がついてアクションを起こした」

「いや、でも――」

「いやいや、絶対鈴木だって!」


 俺は心の中で彼女を疑いつつも、念のため、異なる可能性を提示した。しかし先輩はそれを笑い飛ばした。


「だって、ほら。あいつ犬っぽいし!」

「………………は」


 がつんと、頭を殴られた気分だった。


 そうだ。鈴木は犬っぽい。声でかいし、いざという時は臆病だし。雪降ったら駆けずり回ってるし。少なくとも、あいつを見て猫っぽいと思う奴はいないだろう。それくらい、あいつは犬っぽい。


 で、もし、あの物音を意図的に立てたのが鈴木だとして。

 あの状況で、鈴木が声をあげない理由が、もしくは、声をあげられない理由があったのだとして。

 そんな鈴木が自身の部屋の中にいることを、林堂さんが隠そうとしたのだとして。

 とっさに嘘を吐かなければならない彼女が、家の中にいる鈴木を思い浮かべたからこそ、「犬を飼っている」なんて嘘が出てきたのだとすれば。


「あの、いや、これ、俺の妄言なんですけど……」

「まあ、探偵の推理なんて大体妄言みたいなものだ。言ってみろ」


 先輩はそんなミステリ小説ファンを敵に回すような失礼なことを言って、俺の言葉の続きを促した。


「……林堂さんの言ってた『犬』が『鈴木』って意味だとすると」

「おう」

「林堂さん、『君の友達の鈴木君なら、私が飼ってますよ』って遠まわしに俺に言ったことになるんですかね」

「……なにそれ、なんかこわい」


 「とんだヤンデレじゃねーか」と、先輩は女の子っぽく自身の身を抱いた。


「やっぱり鈴木は騙されて捕まったんだな。あいつは今、マグロ漁船に連れ込まれる寸前なんだよ。バイト休んでいるのも、その準備で忙しいからなんだ」


 まだ言うのか、それ。

 今どき、どんな借金を背負わされても、マグロ漁船に乗せられる、なんてことはまずないとネットの記事で見たことがある。

 なにせマグロ釣りというのは下手な素人がいても邪魔なだけなのだ。鈴木なんて要領の悪い男を船に乗せようものなら、その船はどこかの岩盤にでもぶつかって、海の藻屑となるだろう。そんなこと、いくら美人局をやる(と先輩に妄想されている)林堂さんでも、無駄なことだと理解できるはずだ。


 しかし、鈴木が林堂さんの家に捉えられているのではないか、という妄想については、現実味を帯びてきてしまっている。

 鈴木がいなくなって二日。大袈裟かもしれないと考えることから逃げていたが、あいつの身になにかあったのだと、もう受け入れてもいいのかもしれない。


「……わかりました。ここまできたら、鈴木が彼女の部屋に捕らわれている、という仮定を前提にしましょう。それなりに状況証拠は揃ってるわけですし」

「だろだろ。やっぱり俺のマグロ漁船推理は当たって――」

「そこまでは信じてませんが」

「おい。ここは『さっすが先輩! お見事です』っていうところだろ? ……まあ、いいや。で、次の問題は鈴木がなんであんな音を出したのか、だな。なにかの意味があるんだろ?」

「まあ、飼われてる状態で、ご主人様の意思にそぐわない音を出すんです。そういうことになるでしょうね」

「うーん、鈴木はなにが言いたかったんだ?」


 ドン、パンッ。ドン、ドン、ドン、パン、ドンッ。先輩は先程のように膝を叩いて、両手を叩いてを繰り返す。


 正直、このような音に意味など見出せない。人間がなんのために言葉を発明したと思っている。こんな音で……。


「……ん?」


 なにか引っ掛かる。


 そうだ。こんな、こんな音で、意思を伝える。


 そんな魔法の伝達方法が、この世にはなかっただろうか。



「……モールス信号」

「え?」


 俺は携帯で「モールス信号」と検索。一番頭にでてくるページを開いた。



 モールス信号とは、モールスというアメリカ人が考えた、長短二つの組み合わせで文字を表す信号法だ。俺たち一般人が使うことなどないものだが、どっかの鈴木とかいう馬鹿は、これを覚えたいのだとほざいていた。


 もし、俺が知らなかっただけで、あいつが諦めた後、もう一度だけ奮起し、覚えたのだとすれば。

 鈴木は俺にモールス信号でなにかを伝えようとしたのかもしれない。


 俺はネットに出てきたモールス符号表を眺めた。

 先輩がいうところのドンと、パンという音。もし俺の仮定が正しければ、どちらかが長音で、そうでない方が短音のはずだ。


「………………」

「え、なんでさっきから黙ってんの? 怖いんだけど」

「先輩。ドン、パンッって音の後、次の音がするまで少し間があったんですよね?」

「おー、あった、あった。その後の四つの音は続けざまだったけど」


 ならば、


「いす……?」

「椅子?」

「それ以外、考えられなくて……」

「いや、だからなんの話?」

「モールス信号です。ほら」


 そう言って、俺は怪訝そうにしている先輩に、携帯の画面を見せた。


「まず、音の連続の中に間がひとつあったことから、表現したかった音は二文字。二文字となると、アルファベットである可能性は限りなく低い。あの状況で文字数余分に使う必要はないはずですし。と、なると、和文モールスで二文字の言葉だと考える。数字はひとまず除外します」

「お、おお?」

「そうすると、ドンを長音、パンを短音とした場合、最初の文字は『タ』。後の文字は……、なさそうですね。逆の場合だと、最初の文字は『イ』、後の文字は『ス』」

「……椅子?」

「……ですね」


 自分で示しておいてなんだが、この結果は少々受け入れずらい。なにかのヒントになるかと思ったが、「椅子」の一言ではなにもしようがないのだ。


「……すみません、早とちりだったかもしれません。もし本当に鈴木が林堂さんに掴まってるなら、わざわざ危険を犯して、こんな単語残すわけ――」

「え? なんでだよ」


 俺が先輩へ、渋々自分の間違いについて謝っていると、先輩は不思議そうな顔をした。


「椅子調べてみればいいじゃん」

「椅子って……、どこのですか」

「そりゃ、鈴木の家の椅子」


 あいつがなにかメッセージ残せるとしたら、あいつの部屋だろ、と先輩。


 のちのち、俺はこの先輩の考えがどれだけ荒唐無稽なもので、どれだけ有難い発想だったのか知ることとなる。


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