第91話 本人確認

 母セイラと思われる女性とその仲間を乗せた馬車は、領都郊外の高い壁に覆われた敷地の中に入っていった。


 門は棘のある鉄柵でそう易々と乗り越えられないようになっており、壁の上部も同じ作りになっている。


 どうやらここが、母セイラや犯罪奴隷剣闘士達の家らしい。


 確かこの領都には剣闘士ギルドがいくつもあって、各ギルドが剣闘士を育成して剣闘場に送り出しているシステムだったはずだ。


 カズマが出入り口の看板に、『犯罪奴隷剣闘士専門ギルド「ギャン」』と書いてある。


「場所を確認できたでござるが、やはり、母上の顔を確認するまでは戻れないでござるな……」


 カズマは『霊体化』した状態でそうつぶやくと敷地内に入っていく。


 中は、高い壁に仕切られた庭がいくつかあり、その中で、剣闘士の訓練を行っていた。


 母セイラ達の乗った輸送車のような馬車は大きな建物の前に付けられ、扉が開けられる。


「今日も生きて戻れたぞ」


「飯だ、飯」


「その前に武器の手入れしないと、今日の試合は激しかったからな」


 犯罪奴隷剣闘士達は馬車から降りるとそう漏らして建物に入っていく。


 母セイラと思われる女性仮面剣闘士アンは最後に降りると無言で別の入り口に向かう。


 どうやら、女性剣闘士は建物が別らしい。


 手枷をされたまま、女性仮面剣闘士アンは別の玄関から入ると、そこには十代から四十代くらいまでの女性達が二十名程いた。


「お帰りなさい、アンさん」


「どうでした? みんな生きて戻れましたか?」


「姉さんお帰り」


 女性仮面剣闘士アンはやはり、仲間の間でも信頼されているのかすぐに周囲に人だかりができた。


「今日はシンダが、駄目だったよ……」


 女性仮面剣闘士アンはそう口にすると、沈黙する。


「……そうかい。……剣闘士をやっている以上、仕方ないさね」


「そうだよ、アンさん。ここは生存率が低い犯罪奴隷剣闘士専門ギルド。死に別れるのはいつもの事よ」


「明日は我が身。そうならない為に私たちも必死になるしかないよ」


 女性達は女性仮面剣闘士アンを慰めるように、口々に仕方ないと励ます。


「……ありがとう、みんな。勝って自由を手に入れよう」


 女性仮面剣闘士アンがそう口にすると、みんなも「「「おう!」」」と口を揃えて応じる。


 どうやらそれが、犯罪奴隷剣闘士の間での口癖のようだ。


「姉さんはすでに合計勝利が五十戦に達しているから、自由の身じゃないの?」


 十代の若い女性がアンに対する疑問を素直に口にした。


「新米、アンさんは私達の為に買い主との契約を延長しているのよ」


「この人があんた達を指導してくれているから、生き残れる確率が上がっているの、感謝しなさい」


「そうよ。アンさんは同郷のみんなを助けようと残ってくれているの。──でも……、アンさん。いつでも自由の身になってくださいね。私達の事は気にしないでください。アンさんの指導のお陰で私達だけでもなんとかなりますから」


 女性達もイヒトーダ領から連れてこられた人達のようだ。


 そして、みんなアンにとても大きな恩を感じているようであった。


「ありがとう。私も目的があるから残っているの。それまではみんなと一緒よ」


 女性仮面剣闘士アンはそう応じると、アン専用に特別に用意された個室に入っていく。


 カズマは『霊体化』したままそこに付いていった。


 女性仮面剣闘士アンは部屋の内側から鍵を掛けると、一息ついて仮面を外す。


 その素顔は思っていた通り、母セイラのものであった。


 顔には以前にはなかった傷が頬にあるが、母だ。


 髪の色は黒髪だが、染めているに違いない。


 元の銀髪は目立つし、それに元王国騎士団団長のセイラ・ナイツラウンドと知られたら、剣闘士どころの騒ぎではなく、帝都で引き回されて、処分されるのがオチだろう。


 それくらい母セイラは有名人なのだ。


 だから帝国に連れてこられた時に名前を偽ったに違いない。


「……シンダは死んだけど……。残りのみんなは生かして故郷に戻すのよ、私……」


 母セイラは古い鏡に映る自分にそう言い聞かせる。


 そこで、カズマはこの狭い個室で、『霊体化』を解いた。


 これ以上、黙ってみているのは辛かったし、何より母に自分達の無事を知らせたかったのだ。


「! ……カズマ?」


 母セイラは驚きと共に、いつもの幻を見ているのではないかと、疑いで小さい声で確認する。


「……うん。やっと会えた……。お母さん……」


 カズマはこの部屋の壁が薄いのを理解していたので、小さい声で応じる。


 母セイラは一瞬で目に涙をいっぱい浮かべると、右手で嗚咽しそうな口を押え、左手でカズマを強く抱きしめた。


「無事でよかった……!」


 母セイラはその一言だけを絞り出すように言うと、静かに涙を流すのであった。


 二人はしばらく抱きしめ合っていたが、母セイラの方から離れると涙をぬぐい、カズマを両手で確認する。


「……痩せたのね。ここに来るまでに苦労したのがわかるわ。みんなは? みんなは無事なの?」


 母セイラはカズマを労わりながら小声で確認した。


「お父さんはわからないけど、多分無事だと思う。アンは一緒にここまで来ているんだ」


「やっぱりお昼に剣闘場の観客席で見かけたのは、二人だったのね……。無事で良かったわ。二人は早くこの帝国領内から脱出しなさい。お母さんはイヒトーダ領から帝国に連れて来られたみんなと一緒に戻る予定だから」


 母セイラはそう言うと、カズマに行くように促す。


「……予定って?」


 カズマは小声で聞き返す。


 当然ながら心配だからだ。


「イヒトーダ領民関係者みんなに戦う術を教えた後、一斉蜂起して王国領に逃げ帰るのよ」


「!?」


 カズマは母セイラの大胆な作戦に驚いた。


「……カズマはその事をお父さんに伝えて頂戴。その時が来たら、助けてくれるようにね」


 母セイラはそう言うと、カズマに『霊体化』を促す。


 コンコン。


「アンさん? 何か言いました?」


 薄い扉の向こうからノックする音と共に声が聞こえる。


「ただの独り言よ、ごめんなさい」


 母セイラは同僚に答える。


 そして、振り返るとカズマはすでにいなくなっているのであった。

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