第90話 犯罪奴隷剣闘士達の現状

 カズマはすぐにアンへ知らせるべくトイレに戻り、『霊体化』を解く。


 そして、扉を開けて外で待っているアンに一つ深呼吸を入れてから、報告した。


「アン……。落ち着いて聞いてね? 多分だけど……、アンという女性仮面剣闘士はお母さんの可能性が高いと思う」


 カズマにはほぼ確信があったのだが、顔を確認していない以上、間違いの可能性もある事から、アンにぬか喜びをさせたくなくて控えめに告げた。


「……」


 アンはカズマの報告を聞いて、何も言わず、ただ一筋の涙を右目から流す。


「まだ、はっきりしない……。でも、声がそっくりだったし、顔以外は全てお母さんのそれなんだよね……。──アン、多分お母さんは生きてるよ……」


 カズマはアンの涙を見てさらに慎重に、説明する。


 アンはその言葉に何度も頷くと、今度は両目からぼろぼろと涙を流した。


 そして、


「……良かった。……本当に良かった……」


 とカズマに抱き着いてそう漏らす。


 アンは赤の他人である自分を助けようと母セイラが死に物狂いで戦ってくれたから、ここに生きている事を強く自覚していた。


 逆に言えば、あの時、自分さえいなければ、負傷する事なく、その場から単身脱出できたはずだと負い目も感じていたのだ。


 それだけに一緒にいてくれる息子のカズマには申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 あの状況では、母セイラは助からないかもしれないと思っていたし、カズマも母セイラからの言いつけとはいえ、身を犠牲にして自分を守ってくれた。


 そして、鉱山で死にかける思いまでさせていたから、望みは薄くてもセイラが生きていればという思いは強い。


 それは罪悪感からでもあったし、強い感謝の気持ちの表れでもあった。


 自分の家族はみんな死んでしまったが、カズマの家族もアンにとっては大切な家族だったから、そんなカズマの悲しい姿を見たくはなかった。


 それだけに、カズマから朗報を聞いて、今までのいろんな感情が涙となって噴き出すのであった。


「ひぐっ……。カズマ……、これからどうする……の? もちろん、セイラおばさんを助けるよね」


 アンは泣きながら冷静さを保とうと必死になって頭の中を整理しつつ、カズマに聞く。


「うん。まずは、お母さんに接触して本人か確認を取ってから、考えよう」


 カズマは代わりにアンが泣いてくれた事で、どこか冷静さを保つ事ができた。


 そのおかげで嬉しさに取り乱す事なく、今後について提案する事ができた。


 だが、その割に当然の事を言っているから、やはり、内心ではかなり取り乱していたのかもしれない。


「……そうだね! 私はいいから、カズマは『霊体化』してセイラおばさんとの接触の機会を窺っておいて!」


 アンは涙を拭いて満面の笑顔で応じると、カズマをまたトイレの方に押し出す。


「……わかった。じゃあ、アンは先に宿屋に戻って待機しておいて」


 カズマはそう答えると人目がない事を確認して、武器収納から脇差しを取り出すと、お腹に突き立て、『霊体化』するのであった。



 女性仮面剣闘士アンは、闘技場では誰かいつも傍に数人関係者がいた。


 女子トイレではさすがに誰も傍につかないが、カズマもそこで『霊体化』を解く程馬鹿でもない。


 万が一、他人だったら困るし、それに女子トイレで感動の再会もないだろうというのが、カズマの判断である。


 きっとどこかで、再会のチャンスはあるはず。


 カズマはそう考えて女性仮面剣闘士アンの傍を『霊体化』でずっと浮遊し続けるのであった。


 しばらくして、夕方になり日が落ちはじめる時間、夜の部が剣闘場で始まり、女性仮面剣闘士アンは、買い主と共に、ギルドに帰る事になった。


 関係者入り口に止めてある犯罪奴隷剣闘士用の輸送の馬車に首輪、手枷、足枷をして乗り込む。


 他にも同じ剣闘士ギルド所属剣闘士達も乗り込んでいく。


 数にすると女性仮面剣闘士アンを含めて五人であった。


 カズマもその輸送車のような馬車に『霊体化』のまま乗り込むように同行する。


「アンさんのアドバイスのおかげで今日も勝って命を長らえる事が出来たぜ」


 一緒に乗り込んでいる同じ犯罪奴隷剣闘士の一人が、アンに感謝の言葉を告げた。


「それは俺も同じだ。アンさんは自分の出番がない日でもこうして現場に足を運んで他の連中にもアドバイスをくれる。ありがたい事さ」


「シンダの奴は駄目だったけどな……。あいつはアンさんのアドバイスを一番聞いていたんだが、死ぬ時はあっさりだったよ……」


 同乗する犯罪奴隷剣闘士達は、アンに感謝しつつ、今日亡くなった同僚の死を悼んだ。


「あれは悪運だったとしか言いようがない。アンさんのアドバイスでも、どうしようもないさ……」


 誰かが沈黙のままのアンを庇って答える。


「……ああ。それにしてもイヒトーダ領出身の犯罪奴隷剣闘士もこの一年でだいぶ減ったな……」


「アンさんのアドバイスがなかったら、俺達もとっくにくたばっていただろうけどな。アンさんくらいだよ。みんな自分の事で必死の中、助けの手を差し伸べてくれたのは」


「俺なんて犯罪奴隷剣闘士になるまで鍬しか握ったことがないただの農民だったからなぁ……。アンさんが指導してくれなかったら、一般剣闘士相手の血祭要員としてすぐに死んでたよ」


 一同は、アンに感謝の念を込めてそう語り合う。


「そんな事はないわ。みんなが必死になって諦めなかったからよ。私はその手助けを少ししただけ……。シンダについては残念だったわね……」


 女性仮面剣闘士アンは反省するようにそこで初めて口を開いた。


「一年やってみてわかったけど、剣闘士で生き残るのなんて、実力よりも運要素の方が強い気がしてきたよ。俺より強い奴も死ぬ時はコロッと死ぬからな……」


「馬鹿! 運だけで生き残れるかよ! 技術面でアンさんが指導してくれたから俺達は生き残っているんだ。そして、勝ち続けて自由を得るんだ。……それでみんな、一緒に故郷に帰ろう……」


 悲壮感漂う口調で、誰かがそう口にする。


 犯罪奴隷剣闘士の生存率は圧倒的に低い。


 なにしろその価値は低いから、簡単に強い相手と対戦が組まれ、血祭要員として散っていく事も珍しくないから当然である。


 女性仮面剣闘士アンが無言で頷くと、同乗している剣闘士達も一度強い覚悟で頷くのであった。



「……やっぱり母上でござる。同郷のみんなの命を助けるべく動いているでござるな……。そうなると助けるにしても、みんなも一緒でないと駄目かもしれない……。これは思ったより、大変でござる……」


 カズマはふわふわと『霊体化』で浮遊しながら、単純に母セイラを助けだすだけでは済まないであろう事に気づくのであった。

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