第88話 その可能性
女性仮面剣闘士の正体についてカズマとアンが母セイラかもしれないと考えたのにはいくつか理由があった。
一つにはアンという名前である。
母セイラが、自分達に気づいてもらえるようにアンという偽名にしたと考えたのだ。
それならそのままセイラでもいいではないか?
母セイラは元王国騎士団長であったから、その名前は各国に知れ渡っていると考えると、偽名を使うだろう事は容易に想像がつく。
ましてやアルストラ王国を狙っていた帝国がその名前を知らないわけがない。
母セイラがどういう経緯で帝国の剣闘士になったのかはわからないが、最後に別れた時の状況を考えると、自分達と同じで犯罪奴隷として帝国側に捕縛され、連れてこられた可能性が高い。
そして、もう一つは、そのアンが素人の老剣闘士に教えた技、それはカズマもアンもセイラから教わった流派と重なったからだ。
少なくともアルストラ王国出身者だというのは犯罪奴隷剣闘士からの話でわかったし、新人とはいえ剣闘士訓練を受けた戦士相手に勝たせる指南をできる人物など限られてくるというものであった。
試合を直接見て確認出来れば確実なのだが、さすがに自分達は現在仕事中の身である。
カズマとアンは後ろ髪を引かれる思いで剣闘場を後にして仕事へと戻るのであった。
「お帰り二人共。どうだい、剣闘士の試合は見られたかい?」
雇い主であるカセルギー商会長がお昼休憩で戻ってきた二人に声を掛けた。
「はい、一試合だけですが、面白い試合が観戦できました。ありがとうございます」
カズマはお礼を言うとアンと二人入場許可証を返した。
「そうかい、それは良かった。昼時はまだ、新人の試合が多いが、この後の時間は人気の試合が続くからもっと面白いんだがな。その前後はうちの売れ行きにも関わるから中々観戦できないのが商売人として辛いところだがな。わははっ!」
カセルギー会長は二人の客引きのお陰で売り上げが上々であったから、すでにご機嫌で満面の笑顔である。
「人気の試合と言うと、例の女仮面剣闘士とかですか?」
「ああ、特に今日は、対戦相手が帝都から送り込まれてきた刺客と称して三人同時相手らしいから、かなり盛り上がるだろうな」
カセルギー会長が稼ぎ時とばかりに楽しそうに答えた。
「帝都から!?」
カズマは驚く。
やはり、正体が母セイラで命を狙われているのかと思ったのだ。
「だが、多分、それは宣伝文句で本当はこの街の剣闘士だと思うがな。わははっ! 客寄せの為に主催者側も色々と考えるわけさ」
カセルギー会長は商売の基本だな、と驚くカズマに答えた。
「あの……。その女性仮面剣闘士のアンさんってどんな人なんですか?」
とアンが情報を求めて質問する。
「うん? ああ、二人は見た事がなかったな。私は三試合しか見た事がないが、黒い髪をなびかせて華麗な試合をする見事な女性剣闘士さ。個人情報は出回っていないから詳しくは知らないが、スタイルはいいし、人気があるのもよくわかる。それに便乗してうちもかなり稼がせてもらっているからな。ありがたい事さ」
カセルギー会長はそう言うと剣闘場の方に向かって拝む素振りを見せる。
従業員も会長を見習うように、剣闘場の方に向かって拝む。
その光景にカズマとアンは笑うのであったが、内心穏やかではない。
というのも、母セイラはカズマと同じ銀髪なのが特徴だからだ。
「……ほぼ確定だと思っていたけど、違う人かもしれない……」
カズマはアンにだけ聞こえるように言う。
「……でも、同じ王国出身者みたいだし、一応、調べておきましょう? 心強い味方になるかもしれないし」
アンはかなりショックそうなカズマを励ますように言った。
と言うのも、二人共、母セイラは自分達を逃がして死んだ可能性が高いと思っていたからだ。
二人は普段その事についてあまり触れようとはしなかった。
触れてあの時の状況を振り返ると、どこかで生きているかも知れないという一縷の望みが絶えてしまいそうだったから、避けていたのだ。
カズマにとって、両親は親である事はもちろんの事、この世界において生きる為の指針であったし、導き手であった。
前世の記憶持ちであっても、カズマにとって二人は剣の師匠で、特別な存在だったから、生きていて欲しいという望みが大きい。
実際、この剣闘士の情報を聞いて母かもしれないとカズマは強い期待を持っていたから、その反動でショックは大きいのであった。
休憩を終えた二人はまた、旅芸人としてカセルギー商会の為に客引きを続け、大盛況のうちに店を閉じる事になった。
特に、メイン試合が続く時間帯は、差し入れを買いに来るお客が、詰めかけていたし、少なからずカズマとアンを気に入って商品を買ってくれる人もいるくらいであったから、二人の効果はかなりあっただろう。
カセルギー会長はホクホク顔で二人を労うと、約束報酬の小金貨四枚(約四十万円)を支払った。
続けて、
「さらにこれは特別報酬として、小金貨一枚(約十万円)と明日の剣闘場の入場許可証だ! ──二人共、試合に興味を持ったんだろう? 明日はゆっくり試合観戦して楽しむといい。あ、でも、明日は、女仮面剣闘士の試合は無いか。それ以外ならいい試合がいくつかあるから楽しんでくれ」
と大盤振る舞いして、色々と融通を利かしてくれた。
だが二人共興味があったのは、女性仮面剣闘士だったし、その剣闘士もどうやら母セイラの可能性は無くなっていたので微妙な感じにはなっていた。
しかし、カセルギー会長の好意だったし、二人は笑顔で感謝するのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます