第63話 戦死の報

 カズマとアンが約束とは違う形で犯罪奴隷として帝国に連行されて行く事になっていた直後の事である。


 イヒトーダ伯爵領は、事実上消滅していた。


 帝国軍の奇襲により、不意を突かれたイヒトーダ伯爵は領都に立て籠もって抵抗するも多勢に無勢、呆気なく敗退、味方を置き去りにして脱走を図るが、その時に斬られたというのが、帝国軍と領内で戦ったアークサイ公爵、ホーンム侯爵の連合軍の公式発表である。


 実際は、少数の守備隊しかいなかったイヒトーダ伯爵領内を戦場に急行する名目で連合軍が通過している最中、急に軍を反転させイヒトーダ領都を襲撃、騙し討ちにより、ツヨカーン侯爵派勢力の軍師的立場であったイヒトーダ伯爵を討ち取ったというのが、事実だ。


 その下種な作戦を立てたのはホーンム侯爵の軍師であり、盟友であるデギスギン侯爵であった。


 この男はカズマを三年前王都で拉致、監禁したバンカンという男の上司であり、カズマがこの人物に危険を感じてその場からすぐ退散した相手である。


 そのデギスギン侯爵はそれから三年余りずっとツヨカーン侯爵派勢力が勢いに乗って拡大していくのを危惧していた。


 帝国軍が侵攻してきた事で、三勢力は一致団結して王国軍と共に迎撃して、国難に立ち向かう事になったのだが、そのお陰で帝国軍とその同盟軍は思うような戦果を国内で上げる事が出来ず、押し返されてしまった。


 その帝国軍に裏で交渉を持ちかけたのがデギスギン侯爵である。


 彼は、帝国軍本隊を迎え撃ち押し返した最大の戦功を上げているランスロット・ナイツラウンドの故郷がイヒトーダ伯爵領である事、その領地周辺をタダ同然で譲り渡す事などを密約したのだ。


 これはアークサイ公爵、ホーンム侯爵も承諾していた事で、当然ながら、イヒトーダ伯爵の盟主であるツヨカーン侯爵は知るはずもない。


 ツヨカーン侯爵派軍は帝国の本隊と激戦を繰り広げている最中であり、故郷付近まで押し返していたから、アークサイ公爵、ホーンム侯爵連合軍のこの公式発表は寝耳に水であった。


 それに国家間の争いに対して私情を挟み、この機会に便乗して味方を急襲したとはさすがに思っていなかったから、帝国軍のイヒトーダ伯爵領侵攻は驚きであった。


「イヒトーダ伯爵が!? ……そんな……!」


 最前線でこの報告を聞いたランスロット・ナイツラウンドは、そう一言、つぶやくと呆然とした。


 主君であるイヒトーダ伯爵が戦死とは……。


 だが、すぐに疑問も浮かんだ。


 伯爵が味方を置き去りに逃亡を企てるわけがないからだ。


 これは、アークサイ公爵、ホーンム侯爵両陣営が都合よく歪曲した情報だろうと想像がついた。


 だがさすがに両陣営がこの戦争中に邪魔な味方を排除する為に、騙し討ちにしたとまでは想像できなかったのだが……。


 さらにランスロットは、こんな時だからこそ息子のカズマが『霊体化』能力でいち早く知らせに来ると信じて疑わなかったから、その連絡がない事に嫌な予感はしていた。


 それに妻であるセイラは元王国騎士団長である。


 その妻が帝国の襲撃に誰よりも早く気づかないわけがないから、無事であるはずなのだ。


 だから、その妻の無事を知らせる為にもカズマからの連絡があるはずである。


 しかし、その連絡がない。


 その事も不可解なパズルの断片としてランスロットは疑問に思うしかなかった。


「ランスロット、どう思う? 帝国の負けが濃厚な状態で貴重な兵を割き、辺境であるイヒトーダ伯爵領を急襲する理由がわからないのだが……」


 帝国本隊に対する軍の総指揮官であるツヨカーン侯爵が、眉を寄せて考え込むランスロットに疑問を口にした。


「はい、自分も同じ事を考えていました。帝国軍の動きが不可解です。あの辺りは帝国の同盟国ケマン王国軍が隣領に侵攻し、アークサイ公爵、ホーンム侯爵連合軍がそれを迎撃し、撃退した後なので、連合軍のその後の動きを警戒するのはわかりますが、イヒトーダ伯爵領を狙う理由にはなりません。もし、この敗戦濃厚な戦況をひっくり返そうと思ったら、少数精鋭を王都に強行進軍させるくらいの奇策でもやらないと不可能です。もし、我々の軍師がイヒトーダ伯爵だとわかったとしても、この敗色濃厚な状況でなぜその選択なのか全くわからないです」


「……貴殿の息子、カズマの連絡がないのも気になるところだ。あの坊主なら救援要請する為に機転を利かせて動いていそうなものだが……」


 ツヨカーン侯爵もランスロットと考える事は同じであった。


 カズマなら『霊体化』でいち早く知らせに来ていたはず、だが、それがない。


 もしかしたらイヒトーダ伯爵が戦死していないのか? その事で身動きが取れないのかもしれない。


 いや、公式発表されているのだから、戦死は間違いないのだろう。アークサイ・ホーンム連合軍はそこに便乗して伯爵を貶める情報を織り交ぜているのだろう事はわかるのだが……。


 ツヨカーン侯爵も情報が信用できない連合軍の公式発表だから判断が出来ないのであった。


「……カズマはあの歳で立派な武人です。きっと無事ですよ。多分、大事な人を守る為、『霊体化』している余裕がないのでは?」


 北部地方の大勢力を誇るヘビン辺境伯の子息ジンが考え込む二人に声を掛けた。


 ジンは三年前、第三の勢力を作る為に使者としてやって来たカズマと一騎打ちをして負けた経験を持つ『剣王』というスキルを持つ若者である。


 この帝国軍侵攻に際しては、遠い北部地方から一軍を率いてツヨカーン侯爵軍にいち早く合流してランスロットと共に活躍していた。


「……そうだな。イヒトーダ伯爵の戦死はかなりの痛手だが、ここで動揺して死に体の帝国軍の本隊に勢いづかせるわけにもいかない。国内から完全に押し返すのもあとわずかだ。我々は我々の戦いをやり切ろう!」


 ツヨカーン侯爵は盟友であり、軍師であるイヒトーダ伯爵の戦死報告は、かなりのショックであったが、その様子をほとんど見せる事無く、味方を鼓舞する。


「「「おう!」」」


 ツヨカーン侯爵派軍が沈痛な面持ちで一致団結する中、伝令が飛び込んできた。


「伝令! お知らせします! 帝国軍が、休戦を申し出て来ました!」


「「「何!?」」」


 イヒトーダ伯爵を戦死させて、反撃の小さい狼煙を上げたばかりのはずの帝国軍の休戦の申し出に、ツヨカーン侯爵派軍の指揮官である面々は驚きに包まれるのであった。

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