第50話 達人の域

「……誰だ?」


 ヘビン辺境伯の声が室内から聞こえて来た。


「カズマです」


「……入ってくれ」


 ヘビン辺境伯は少し間があったが、執務室に入るように促した。


 執務室の扉はカズマが開けるよりも先に使用人が内側から開ける。


 一歩中に入ると、ヘビン辺境伯の子息であるジンが剣の柄に手を掛けていた。


「父上、この者の気配、突然扉の外に現れました。我々の話を盗み聞ぎきされたかもしれません。これは要注意人物です」


 ジンはカズマが気配を消して扉の外で話を聞いていたと思ったようだ。


 どうやら気配を探るのに長けているらしい。


「ちょっと違いますが、僕のような子供と剣を交えて満足出来るのであれば、ご子息の気が済むように手合わせしても構いません。ただし、殺されなければの話ですが」


 カズマは盗み聞きしていた事を肯定するように答えた。


「……使者殿。話を聞いていたのならわかるだろう。うちの子は『剣王』というスキルを持っている。腕前も超一流だと言っていいだろう。こやつの剣の師匠も、その才能に舌を巻いて先頃、免許皆伝を与えて辞職したほどだ。そんな息子を相手にまだ七歳の使者殿が相手するのは危険というもの。それに、それでは使者に遣わしたオーモス、ツヨカーン両侯爵にも失礼だ」


 ヘビン辺境伯の言う事はもっともだ。


 ただし、この領内においては、その剣の腕前を持って、強い発言権を持つ息子のジンを納得させない限り、話が進まないのも事実だろう。


 カズマにとってはここで足踏みをしているわけにはいかない。


 このジンという嫡男を早々に説得して王都に向かい、王家より中立派勢力の認可を得る事が大事なのだ。


 それで、国内を疲弊させている内乱は自ずと収まるはず。


 そうすれば、カズマもイヒトーダ領の両親の元に帰れる。


「ですが、ここでご子息の反対を押し切って意見を通せば、領内が二分されるのでは?それなら、僕がジン殿を相手にする方が話が早いと思います」


「父上、使者殿がこう言っているのです。問題はないでしょう?」


 息子ジンはニヤリと笑みを浮かべると、カズマを試す気満々だった。


「……わかった。だが、ジン。使者殿に必要以上の恥をかかせるな。お主は『剣王』スキルの持ち主。誇りを持て」


「当然です、父上。私は手加減しますよ」


 盗み聞きをしていたと思っているジンは、カズマを懲らしめる気満々である。


「では、お手柔らかに頼みます。では、今から庭に出て木剣でやりますか?」


 カズマは手っ取り早く済まそうと、急かした。


「……木剣での試合とはいえ、達人が本気で振るえばそれで死ぬ事もわかっていないようだな」


 息子ジンはカズマの発言を頭の悪い子供と解釈したのか呆れた素振りを見せる。


「それはもちろん、わかっています。逆に真の達人ならば、戦わずして勝つ事が最善である事をわかっているはずなので、僕はそれを期待して立っているだけで済むはずですよ」


 カズマはちょっと皮肉を言って見せた。


 つまり戦ってカズマを打ち据える事が目的のジンはまだ達人の域に達していないと指摘したのだ。


 兵法において最善の策とは戦わずして勝つ事にある。


 それ以外は次善の策でしかないのだ。


 それを理解していないジンは『剣王』のスキル持ちでも兵法家としては、未熟であるという事である。


「何を小癪な!表に出よ!私を馬鹿にした事を後悔させてやる!」


 ジンは顔を真っ赤にして怒声を放った。


 その声には能力の一部だろうか? 相手を『威圧』する効果もあるようだが、カズマには全く効く様子がない。


 カズマ自身でもその強力な『威圧』効果にも、不思議と恐れおののく事もなかったから、『ゴーストサムライ』のスキルは、そういう能力に対する抵抗力があるのかもしれなかった。


「坊ちゃん、落ち着いて」


 傍にいた男がジンを窘めるが効果はない。


 カズマはそれを背中に感じながら、庭まで案内する使用人の後を付いていくのであった。



 早速、いくつかの木で作られた武器が使用人によって用意された。


 カズマは脇差しに近い反った形状のものを選ぶ。


 それはそのまま短い木刀のようだ。


「……珍しい形の木剣を選ぶな」


 ヘビン辺境伯はカズマの木剣選びに少し興味を持った。


 武器倉庫で誰も使用しないから埃を被っていたものだからだ。


「後でそれを選んだ事を言い訳にしないでくれよ?」


 ジンは少し、落ち着いたのかそう指摘する。


「挑発は良いので、達人らしく子供相手に戦わずに勝つ事を実践してもらってよろしいですか?」


 カズマは苦笑すると、ジンにそう言い返した。


「!──貴様、後悔するぞ!」


 ジンはまた、憤って顔を真っ赤にする。


 あらら。剣の腕は一流でも駆け引きはてんで素人でござるな……。


 カズマは少し、怒らせ過ぎたと反省した。


「ジンよ、落ち着け。相手は使者殿だという事を忘れるな。──使者殿よろしいかな?──それでは……、──始め!」


 ヘビン辺境伯は息子が使者殿を殺しかねない時は自分が介入するしかないと思いつつ試合を始めるのであった。



 ジンは始めの声と共に、カズマに斬りかかった。


 その相手のカズマは半身の姿勢で腰を落とし、木刀を相手の視線から消えるように持つ。


 そして、露骨なほどの殺気を放って見せた。


 ジンは怒りに任せてそのままカズマに斬りかかろうとしていたが、カズマの剣の間合いに飛び込む前にピタリと止まり、飛び退る。


「!?」


 ジンは七歳とは思えないカズマの殺気にいつの間にか冷や汗をかいていた。


「──どうしました?七歳の小僧相手にまさかビビったわけではないですよね?」


 カズマは思った以上の反応に、ジンがやはり剣の腕だけなら十分に強い事を確信した。


 冷静さを失った状態でも自分の殺気に反応したのだ。


 それだけ優秀だという事だろう。


「小癪な事を!一振りだ!私の渾身の一振りで終わらせてやる!」


 ジンはそう言うと、木剣を構え直す。


 その木剣が揺らいで見える。


 いや、実際揺らいでいるのだ。


 ジンが構える木剣からは火が噴き出していて見る者からすると揺らいで見えた。


 魔法剣というやつだろう。


 七歳の子供相手に、使う剣技ではないのは確かである。


 カズマが少し、駆け引きの為に挑発し過ぎたかもしれない。


 あんな剣技で斬られれば木刀であっても即死だろう。


「私の火焔剣を防げるかな!」


 ジンはそう言うと、「てぇい!」という声と共にカズマに斬り掛かる。


「馬鹿者!魔法剣など使ったら、使者殿が死んでしまう!」


 ヘビン辺境伯は試合続行は危険とみなして止めに入ろうと前に出る。


 だが、その必要はなかった。


 ジンの振り下ろす火焔剣に対し、カズマは対抗策を持っていた。


 カズマは普段魔法は使えない。


 だが、刀を持っていると使えたのが、水魔法である。


 普段は飲み水や、洗い物をする時に野宿で使用していたが、それをカズマは武器として使用してみせた。


 水を木刀に鋭利に纏うイメージだ。


 ジンの火焔剣を正面から迎え撃ち、その木剣をカズマの木刀が一閃する。


「剣技『水切』」


 カズマがそう一言告げて、水に覆われた木刀を引っ込めた。


 すると、火を纏った木剣は、真っ二つに両断され鎮火する。


「なっ!?」


 ジンは呆然として、両断された自分の木剣を見た。


「そ、そこまで!」


 止めに入ろうと飛び出していたヘビン辺境伯は、そのまま、二人の間に入ると、試合を止めるのであった。

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