第31話 ????③
僕が唯一、記憶の中で覚えている事。
この時期は別れや新たな出会い、事の終わりから始まりへと繋がる季節。
この季節だけに咲く薄桃色の花びらが満面に広がり、新たな門出を祝福するようだ。
風に舞う花びらは散り散りと、それは楽しそうに踊っているようだ。
見た者の感情を豊かにしてくれる。
そんな春の訪れ。
「今日は、“君と同じ”お友達を紹介しよう」
僕の担当医がそう言った。
“君と同じ”と。
その言葉を聞いた時、僕は悲しくも、嬉しくもあった。
それは、僕と同じ境遇の子供は普通に生きると言う事がとても難しいからだ。
同じと言う事は近い将来に死が確約している。
それがとても悲しくて。
でも、僕にとって初めて同じ境遇の友達が出来る。
それがとても嬉しくて。
「...うん」
僕は、相反する二つの感情を処理出来ない。
どんな表情で、どんな態度で答えれば良いのか解らなくて、「うん」と頷く事しか出来なかった。
ただ、この頃の僕はまだ、自分の口で喋る事が出来ていた。
自分の気持ちを、感情を言葉に乗せて。
すると、担当医の先生が病室の中から開いている扉の外へ向かって声を掛ける。
「さあ、こっちにおいで」
扉の奥に隠れていた子供を手招きして、病室の中へと呼び寄せた。
現れたのは、ボブカットの女の子。
緊張した赴きで、とても不安そうな表情を浮かべ、キョロキョロと部屋の中を見渡していた。
だが、ベッドに横たわっている僕を見ると、その表情が一変した。
強張っていた表情から、とても暖かく優しい笑顔へと。
「この子が、今日から君のお友達だよ」
担当医の先生は女の子の背後へと立って、両肩に手を置いて僕にそう言った。
きっと、女の子の不安を取り除く為の行動だ。
緊張で震えていたその身体は、震えが止まって肩の力が抜けていた。
「じゃあ、先ずは君から挨拶しようか!」
先生が僕の目を真っ直ぐ見て話す。
その表情の奥の心まで射抜くような視線は、大人特有の嘘が無い真摯なもの。
僕は、先生に言われた通りに行動する。
「僕は■■」
今となっては、もう自分の名前すら思い出せない。
記憶から抜け落ちてしまったように、完成する事のないパズルのように。
僕は女の子に名前を伝えた。
それを確認した先生は、「じゃあ、次は君の番だよ?自分の言葉で、自分の名前を伝えてあげて?」と女の子に話す。
すると。
「は、初めまして。私は■■です」
記憶が曖昧だ。
どうやら僕は、彼女の名前も忘れてしまったようだ。
だけど、いつまで経ってもこの表情だけは忘れていない。
花開く、太陽の如く、笑顔咲く。
そんな明るく、素敵な表情を。
「これからは、二人で仲良くするんだよ」
先生が僕達を見て微笑んだ。
ただ、その笑顔には少し悲しさが含まれている。
だけど、決して僕達の事を憐んでいる訳では無い。
少しでも楽しんで貰おうと、少しでも生きる喜びを知って貰おうと、真剣に考えての事。
表情を隠す事が出来ない、嘘の吐けない不器用な人なのだ。
「じゃあ、後は二人で仲良くするんだよ」
そう言って担当医の先生は、僕達を残して部屋から出て行った。
すると、この部屋に居るのは僕と女の子の二人だけ。
とても広い空間に二人だけが存在して。
でも、何だかいつもと見え方が違う気がする。
それは広い部屋の中に独りで居た時とは違って。
寂しさを感じる凍てついた部屋とは違って、心から暖めてくれる暖炉が灯った部屋のように。
季節が巡り、ようやく独りでは無くなった。
心の雪解けが終わり、花びらが満開に咲き誇るように。
「■■ちゃん、よろしくね」
僕は、自然に笑っていた。
それは、此処に来てから初めての事かも知れない。
「うん。■■くん、よろしくね!」
女の子も笑う。
僕達は生まれて初めて、心から笑い合ったのだ。
今思えば、初めて挨拶を交わしたこの時から、僕は女の子とずっと一緒に居た。
それは、部屋の中で遊ぶ時も、外に遊びに行く時も、勉強をする時も、ご飯を食べる時も、そして、寝る時も。
この日常が生きると言う事で、これが幸福なんだと知って。
(当たり前の事が...当たり前に出来る幸福...)
今までの僕は、他人と違う事が悔しかった。
僕にとっての遊びは、本を読む事。
室内に居ても、それしか出来なかった。
外で遊ぶ事など言語道断。
止むを得ず外に出る時は、怪我をしないように走る事も跳ぶ事も出来ず、歩く事しか出来ない。
周りの皆みたいに、ボールで遊ぶ事など出来なかった。
勉強も課題をこなすだけで、ずっと独り。
ご飯を食べるのも、ずっと独り。
寝る時も、ずっと独り。
今までの事が全て独りで、他には誰も居なかった。
僕は、この状況から抜け出したいと、他人を羨んでばかりいた。
「きゃっ!きゃっ!」
病室の窓から見える外の景色。
同じ歳位の子供達が騒いでいた。
(いいな...楽しそうだな...友達って...どんな感じなんだろう?)
それは、建物の中と外で境界線が引かれているように、中と外では見事に世界が違った。
僕だって他の人と同じように遊びたいし、学校にも行きたい。
家族でご飯だって食べたいし、お母さんやお父さんと一緒に寝たい。
だが、それらが出来る事は無い。
そして、今後も、決して叶う事は無い。
「...」
じゃあ、僕が生きている意味は何だろうか?
僕には解らない答えだ。
そんな時に現れたのが君だ。
君と出会ってからは、僕の価値観が全て良い方向へと変わる事が出来た。
初めて、心の底から笑った。
初めて、心の底から楽しいと思った。
僕と一緒に建物の外へと抜け出して遊んだり、君が得意な歌を、歌ってくれた。
「♪♪♪〜」
その歌声はとても綺麗で、とても心地良かった。
心の奥底にある感情が揺さぶられて、妬みや嫉みと言った黒い感情がその歌声で浄化された。
それは、どん底から救われた気分だった。
ただ、僕の中にある、今まで味わって来た辛さや、悲しみが無くなった訳では無いけど。
(それでも...それでもだ)
僕は、他の人と比べたら、まだ短い人生しか歩んで無い。
だから、偉そうな事は言えないけど、他人の言葉程、軽いものは無いと思っていた。
他人から劣っている僕を励まそうと、その表面だけを捉えた軽い言葉。
本心からでは無く、心の上辺だけを案じ、優しさと言う感情の上部だけを掬った、軽い言葉。
そんな言葉は、僕の心に響く事など一生無い。
所詮、“他人”が言った言葉で、僕とは違う“他人”なのだと。
(僕と出会ってくれて)
初めて同じ“他人”に出会えた。
気が付けば、涙が頬を流れていた。
「...」
君がその事に気付いた時。
何も言わずに、ただただ、僕と一緒に居てくれた。
その小さな身体で、必死に抱き締めてくれた。
僕は、嬉しさのあまり、感情を止める事が出来ずに、人目を憚らずに泣きじゃくった。
(ありがとう)
喜怒哀楽の感情を、そこで初めて表に出せた気がする。
独りでは無くなってからの遊ぶ事の重要性。
君が来てからは何だって楽しいんだ。
独りでは無くなってからの勉強する事の必要性。
君が来てからは知識が増えるのが楽しいんだ。
伝えられる言葉。
伝えられる感情。
独りで食べていた時の温度の無いご飯。
君と食べると、それはとてもあたたかいんだ。
独りで寝ていた時の落ち着かない睡眠。
君が居ると、とても落ち着いて熟睡出来るんだ。
(独りから、一人にしてくれて)
君が笑うと、僕も笑う。
君の笑顔が僕に伝染する。
今まで出来なかった事が、感じられなかった事が、君が居る事で出来ている。
それは、とても僕の人生で偉大な事だった。
(そして、一人を、僕と君の一緒にしてくれて)
きっと、僕達が一緒に居れる時間は長く無い。
だけど、君のおかげで、僕は今しか出来ない事を、精一杯に行動しようとそう思えたんだ。
君が居たからこそ、此処で生きて行く事を楽しむ事が出来たんだ。
だから君も、今しか出来ない自分のしたい事をすれば良い。
そうすれば、周りには自然と笑顔が咲いているよ。
その、
君の太陽のような笑顔で。
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