同期症状

「中度の同期症状、それがオレンジ君の検査結果です」



 10月9日深夜、鋼光社の一室に3人の人影があった。レイナと紅葉は席に座り出されたココアに口を付けず女医の話に耳を傾ける。目の前の女医は元Hereafter社の人間であり現在は鋼光社に移籍している、という経緯を知っているのは一部の人間のみだ。



「身体測定の日、幾つか測定したのですが最も顕著だったのがこの2つです。脳のMRIと絵画配列のテストについてです」



 机の上に幾つかの写真とシートが並べられる。その中で最も目立つ脳のMRI画像は幾つか赤い丸で囲まれた部分があり、その隣に比較として健康な男性の脳のMRI画像が置かれていた。騙してMRIまで撮影したのか、そりゃ時間がかかるはずだと呆れる紅葉を横に女医は言葉を続ける。



「この丸で囲まれた部分が炎症のような症状を示している部分です。実際は脳が死に同期しているので炎症でもなかったりします」


「ちょいまってください、死と同期ってどういうことなんですか?」


「それではまず『HAO』のシステムからおさらいする必要がありますね」



 そう言うと女医は席を立ち、部屋にあったホワイトボードに図を描く。描かれた矢印は2020年、2030年、2040年、2050年と真っすぐに進んだかと思いきやそこで折り返し2040年の座標に2060年と描かれる。



「2040年は2060年なのです。例えばある山に登って、登った側と反対側から下ったとしましょう。例えば出発地点の高度、そうですね、50mに着く時間は観測者からすれば登りの時と下りの時の二回あってそれぞれ時間が違います。しかしその瞬間到達している高度は紛れもなく同一であるのはわかりますか?」


「はい。確かそれと時間の波動性が関係したとか言っとった気がする」


「その通りです。波の性質を思い出してください。一方向に進みながら縦に振動する。海の波は無限に上がることもなければ下がることもなく、一定の周期で上下し続けます。つまり別の時間帯に同じ高度が発生するわけです」



 そう言いながら女医は端末から別の資料を提示する。まだHereafter社が独立組織ではなかった時の、時間の資料である。横軸は時間になっており縦軸には何やらよくわからない造語が書かれている。そしてそれは一見直線のように見えるが2050年の時点で勢いよく折れ曲がっていた。その横には遥かに大きく、一目盛が1万年のグラフが示されており確かに美しいSinカーブを描いていた。2050年の急速な折れ曲がりを除いて。



「これが今我々が生きている世界の時間です。一見直線に見えますがこうやって大きな規模で見ると確かに波動性があるのがわかります。2040年の縦軸を辿ると……」


「2060年の位相値と一致する。手品みたいな話だよね、これ」


「そうとも言えますね。20年という近い距離、そして位相値が同一と言う事実が『HAO』、そして受動的予知能力者の本質です」



 これが仲本豪が自身の能力を現在視、などと揶揄する所以である。2040年は2060年なのだ。そしてそれ故に時間軸ではなく位相値を算出して観測する能力者は2060年の破滅した未来を見てしまうことになる。いや、『同期』することになる。



「さて、『同期』の説明に戻ります。予知という言葉は全く実態に合いません。真実は彼らは生身で2060年に五感だけログインしているのです」


「存在慣性って説明受けたな。2040年と2060年は同一やのに2040年に存在するものが2060年に存在しないのはおかしい。その状態を安定化させるために物質が再構築され接続される。HAO2060


「だからログイン規制があるんだよね。Ver1.08みたいに向こうの私が生きていると両方存在が安定しているからログインしようにも再構築が進行しない」


「死亡によるログイン制限もそのせいです。安定化エネルギーを使い切っているため中途半端な形でしか再構成できないことがわかっています。この辺りのシステムを利用して2060年の自身の記憶と技量を『同期』により接続させたのが噂の仲本豪君なのかな。普通に死ぬからこっちでの実験は中止したのに個人で成功させるとは、執念恐るべしですよ」


「知り合い?」


「昔誘って断られたんですよ」



 まあ仲本豪はそもそも受動的予知能力のレベルが非常に高かったのも関係しているはずだ、と言いながら女医は説明を同期症状に戻す。絵画配列のテスト結果が3人の目の前に並べられるが結果は惨憺たるものだ。論理的思考を調べるテストでこの点数は小学生かとツッコミを入れたくなる類のものである。



「正確には論理性は十分にあるんですが、一度思考のツボに嵌ったら抜け出せずにフリーズしてしまうんです。ほら、このテストだと初めに間違った仮説を試してそれを破棄できずにずっといじくりまわして時間切れになっています」


「そこまで見とるんですか……まあ元からこういう感じやったですけど」


「でも今ほどではなかったんじゃない?」



 女医がそう聞くと紅葉はコクンと頷く。確かに極めて思い込みが強いタイプではあるものの人の話を完全にシャットアウトするほどのものではなく、言えば理解してくれるタイプではあったはずだ。それが年齢を重ね、いや正確には『HAO』をプレイしていく事で悪化している。



 紅葉がため息を吐く。この事実は想定していたことだ。想定していたことだからわざわざこの女医に依頼し検査を行ってもらった。だがここまでクリティカルな結果だと気が滅入る。



 HAO2060



「つまりこの安定化エネルギーとは2060年から2040年に対しても働くわけです。2060年に死んでいる人間が2040年に生きているのはおかしい。『HAO』という逆止弁はあれど若干の影響は避けられません。結果として『HAO』をプレイしている人間の体は多かれ少なかれ死に向かう」



 ナノマシンによるオートチューニング機能がある改造人間と獣人にとっては気が付かずに終わるものではありますが、と女医は付け加える。



 これが机の上にあるオレンジの異変の正体だ。脳に炎症らしき何かが起き、論理思考に異常が生じる。他の例でも『HAO』と接続する五感、そして脳への影響が少なからず見られていた。



「でもそれだけでこんなに思い込み強くなることある?」


「でもインターネット見たら無限にオレンジっぽい人いるよ? 特定の結論にとりつかれて全てが歪んで見えている人」


「オレンジっぽい人なんて言うのやめいや」


「うつ病の人に『人生は最高だよ!』って語って受け入れてくれると思いますか? 脳というものは極めてセンシティブですからね、ちょっとした負荷で変な方向に向かいます」




 そんなこんなで深夜の会議は更けてゆく。炎症対策として類似の症状に効果のある薬を1か月分貰いながら紅葉はふと思い出して女医に聞いた。



「そういや同期症状ってどれくらいで出るん?」


「人によりますが『HAO』に接続していても早ければ1日で出ます」


「同期症状でVer1.07以降の彼の説明はつくわけか。しかし初回のRE社の機密情報公開時点で答えにたどり着かなかった理由はどうしてなんだろうね」



 二人から興味の視線が降り注ぎ、女医は覚悟を決めて真実を告げた。



「……シンプルに馬鹿で気づけなかったからだと思います」         

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