『逆潜引用情報化計画』

「同期症状は私たちの作戦の鍵よ。いえ、鍵と言うよりは発端。『HAO』が現実に影響を与えるという証明」


「証明ですか?自分には既に情報と言う形で影響を与えているように見えるのですが……」


「物理的に影響を与えられる、という証明ね」



 そう言いながら彼らは配信を眺めている。オレンジの、狙撃をまるで予見しているかのような迎撃によって『革新派』の兵士が敗北。そしてカメラを突き付けられ今まさに鍵を開けるところであった。夜の寒さが残る、椅子2つとタブレットしか置かれていないビルの一室で公安六課の二人はしかめっ面をしていた。



「……もう動揺はしないわ」


「さっき壁に当たり散らしてましたもんね。『交渉を無にする気か!!!』とか叫んで」



 公安六課の長である赤髪の女、裏色愛華の上司である彼女は何も言わない。その話はすでに終わっていた。各国重要人物の未来におけるスキャンダルを集めたデータ集には政情を一変させてしまうほどの力がある。例えば某国議員の5年に及ぶ未成年淫行であれば2040年時点で行っているため今からこの情報を持って脅せば傀儡にすることも容易い。事実それを狙って各組織はこの手の情報を集め引継ぎを行おうとしていた。



 そして成功した数少ない勢力の一つが『革新派』であり、それを元に数多の人物を強請っていたわけであるが今目の前のオレンジの行動で全てが無に帰していた。



『これがお前の欲しかったものだろ!?』


『えーっと、トランピア大統領の脱税が2036年から行われている? で、こっちは火立金属の品質不正? これ訴えられるんじゃないかなぁ『☆スターナイト☆』君』


『訴えられるならお前だろ!』



 ため込んでいたデータが一つ残らず世界に開示されていく。これが意味するところはスキャンダルによる勢力争いが完全にリセットされた、ということだ。引継ぎにより利益を得たものと得ていないものがハッキリと別れ勢力図ができそうになった瞬間にオレンジがごちゃ混ぜにして全て消し飛ばしてしまった。



「……オレンジの狙いは恐らく勢力争いをさせない事。彼が求めているのでは政争ではなく連帯であるからこういった爆弾は速やかに解体したかったのでしょうね」


「そしてその中で有象無象をかき集め力をつける予言者としての立場は揺るがない。今回の件で何国かで連合を組めるはずだったのが全て消し飛ぶ中オレンジは権威を高めた。最悪です。むしろスキャンダルを隠ぺいしようとした我々と悪事を世に知らしめた予言者、という形で正義を名乗れる立場にすらなり始めたわけですから」



 恐らく訴訟周りも鋼光社の手回しにより行われないに違いない、と女は歯噛みする。画面の中に裏色愛華を抱えた男装のレイナ達が映る。減給決定。かなり戦闘向けの能力でもあり、実戦経験もあるのだからもう少し粘って欲しいと思う女であったがもう遅い。目の前で秘匿していた情報が全てさらけ出されていく。



 だからこそ、もう一つの策を実行しなければならなかった。



「『逆潜引用情報化計画』を開始するわ」


「……単語は聞いたことがあります。詳細をお聞きしても?」


「大丈夫よ、あなたもこれから関わる事になるのだから」



 そう言って女は部下の男にタブレットで図を示す。『HAO』の『固定』についての話だ。図には真っすぐ進む現在と蜥蜴のしっぽのように切り落とされ萎びた未来の模式図が描かれている。その萎びた未来こそが引用情報である。



「『HAO』のシステムにおいて重要なのは受動的未来予知だけではないわ。大事なのは『固定』よ」


「確か現在までの時間を基準に不確定な未来を『固定』し予知の手助けをする力でしたよね。ただしその世界は『固定』を破棄された時点で引用情報に成り下がる」



 引用情報とは文字通りただの情報である。例えばオレンジが引き出した未来の情報により20年後が変化するとする。するともし変化した20年後でその情報が得られない環境であればタイムパラドックスが発生してしまうのだ。オレンジは未来からその情報を得られないはずなのに20年後を変化させているのだから。



 その解決策が複数の世界が存在する、時間軸が存在するなどといった考え方であり事実は後者に近いものである。ただし複数の時間軸が進行していくのではなく一本の世界とそれを成り立たせるための引用情報の群れがある、といったような状態だ。



 先ほどのタイムパラドックスに対する答えは『引用情報に紐づいているためタイムパラドックスは発生しない』というものになる。『固定』されていない未来は脆く、中に居た人々は悉く存在を潰されただ本筋の世界のための情報に成り下がる。これが引用情報というものである。



 そしてそれ故に、人々は絶望する。



「『HAO』が動かない、なんて形で自分の将来が存在しないことを知ったら自暴自棄になるに決まっている。事実それで世界は混乱し、『HAO』を正しく運用できない状況に陥っているのよ。だから私たちがその状況を変える」


「具体的には」



「――自暴自棄になる世界各国の有力者を皆殺しにする。手始めに日本の人間から。目標は現内閣官房長官松本融、現民守党総裁荏田田井地。そしてオレンジよ」



 オレンジが公開したデータの中にそれはあった。人込みにアクセル全開で突撃し何十人もひき殺した次期総理大臣、狂った笑みで公開自殺を行った民守党総裁。彼ら二人の存在は特に日本全体に不信と恐怖を引き起こし『焦耗戦争』を過熱させる引き金となった。



 2050年について知らない人間からすると政治家たちや企業が妙な動きをしているだけで怪しいのにそのトップがとんでもない事態を引き起こしている。その不信は対『UYK』戦の準備を難しくし、治安の悪化を招いたのだ。



 この二人に罪があるとは言いにくい。『HAO』により『固定』されたが故の被害者だ。時間が一本軸であれば彼らは普通に各々の道を歩んでいったであろう。ただ迫る絶望が彼らの心を破壊しただけなのだ。



 そしてそれは『革新派』にとっては極めて不都合である。



「オレンジは何故入れたのですか?」


「腹が読めないから。それに今回の場合は足が付かない上に未来で勝手に暴走しただけ、と言い訳がつくわ。殺せればそれでよし、殺せなくても手の内を明かせればそれでいいのよ」


「足がつかない?」



 部下の男は疑問を覚える。如何に捨て駒だとしても足はつく。特に鋼光社の擁する戦力、そして何よりオレンジを倒せる実力者であれば猶更だ。だが足がつかない、いやつけられないのは既定事項だと言わんばかりに女は笑みを浮かべる。



「どうして『HAO』にログインできるんだっけ?」


「えーっと2040年は2060年で、2040年に生存している人間が2060年に死亡している、という状態を利用した安定化エネルギーを用いて再構築と接続を……」


「ならどうして同期症状は起こるの?」


「2040年は2060年で、2060年に死亡している人間が2040年に、ってこれ同じ理論ですよね?」


「なら聞いてみたいことがあるの。もし2040年には存在しなくて2060年には生存している、間もなく引用情報化する人間がいるとしたら、どうなると思う?」



 あっと男が声を上げる。同時に女が見せてきたテキストにも見覚えがあった。改造人間としての適応率を上げるべく造られた2045年製造の人造人間。鋼の子宮で生まれ12歳前後の体で水槽から取り出すことが可能と言われているホムンクルス。通常の人間と区別するために彼らは日本人的な要素を持ちながらも外国風の名前を持つ。その初の生存例こそが『グレイグ』。



 革新派は自らが手を汚さない。汚すのは引用情報化する未来の待ち受ける別の自分達である。



「今私たちが2040年から『HAO』にダイブしているようにHAO2040。そして大量の人造人間を平和ボケしたこの時代に叩き込み邪魔者を殺害。これこそが『逆潜引用情報化計画』よ」

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