心地よい沈黙を

 仲本豪とグレイグはコクピット越しに互いを見つめ合う。そこには嫌悪は一つもなく、ただ懐かしさのみが残っていた。



「先生」


「……懐かしいな。旧大阪市で君とレーションを分け合った日々を思い出す」


「それは前回の俺です、今回の俺を見てください」



 グレイグがそう言うと仲本はハッとした表情をしたあと「すまない」と一言返事をした。するとグレイグは脱力して肩を落とす。



「ならば今回の、2055年の俺ではなく2040年の俺を見ろ、とは言わないんですね」


「違う結末を辿っても俺は俺だ」 


「じゃあ謝る必要なんてないじゃないですか。あいも変わらずお優しいことで」



 皮肉のように言うがグレイグの顔には笑みが浮かんでいる。少し嫌味を言うと仲本が生真面目に受け取り謝罪、グレイグの方が慌ててしまうという流れは2055年前までは彼らにとっての日常であった。



 もうまもなく引用情報に成り下がる過去の話である。



 仲本豪が『同期』を行ったのはVer1.08の、旧大阪市での自身である。それ故にVer2.00の自分とグレイグの関係は自身の知っているものと異なる筈だった。



「君も君で変わらない。臆病で、それだけの力があるのに他人を当てにしている。誰かが世界を救うのを待ち続けている。……オレンジが嫌いなのも、期待の裏返しだろ?」



 赤い機体、『アンファングロート』が槌を持ち上げる。彼がこの動作をした記憶は『HAO』Ver2.00以前にもある。2055年の作戦前の、補給基地建造のための輸送隊として参加していた時の話だ。



 MNマイナス質量物質Bブーストシステムもない状態で機械獣の前に放り出されて、100人いた部隊が片手に残るほどの人数まで減ってしまった。Apollyonはまだ輸送手段でしかなく、まともな装備がなく結晶樹を引き抜き死に物狂いで振りまわしたのを仲本豪は覚えている。



 そしてVer1.08の彼は心を閉ざし、Apollyonの入手難易度が大幅に上がったことも影響しオレンジの分裂体討伐戦に参加することもなく引用情報になり果てた。



 その『同期』した記憶の中にグレイグとの記憶もあった。補給基地建造の際に死んでいった仲間の一人だった。



『武装へのMNBブースト開始、機体温度110度まで上昇』



『アンファングロート』の槌は身長ほどもある、先が大きく膨らみ八面体を作り出している。そこから剥き出しのコードがApollyonに接続されており冷却液の循環を行っていた。



 槌が振るわれる。0gの紙切れとして圧倒的な速度で振るわれたそれは、着弾の瞬間に数百キロの鉄塊に戻る。本来ではありえない速度で飛来する槌を、しかしグレイグはするりと避ける。



 そして槌がグレイグのいない地面に叩きつけられ、金属が軋む異様な音と共に振動で周囲の建物が砕け散った。地面は無数にヒビが入り破片が周囲に飛び交う。その騒がしい空間を黙らせるかのようにグレイグの手が消滅し、次の瞬間『アンファングロート』の左腕装甲が静かに剥がれ落ちた。



「先生が言ったことですよ。Apollyonは機械獣相手に強いだけで、改造人間やパワードスーツの上位互換などではないと」


「そうだな、MNBをつけたところでそちらの身軽さには敵わない。そしてApollyonの頑丈さも特化機体を除いてたかがしれている」



 グレイグは彼の次の手を知っていた。革新派として戦っていた時に、テロを叩き潰すための手として用い、後々に説教を食らった技である。だが懐かしさ故にあえてそれを止めることをしなかった。



「2回、これを見ることができるとは思っていませんでした」



 もう一度地面に槌が叩きつけられる。MNBで加速し、グレイグではなく同じ地面を対象に行われたそれは先程と真逆の結果、即ち床を破壊して1層下まで落下するという結果を生み出す。



 そして二人は落下しながら動き出した。



 グレイグは大きな瓦礫に掴まり、浮遊したまま単分子拡張刃を発動しようとする。しかし背後から来る『アンファングロート』の蹴りを見て、全力で別の瓦礫に飛び移った。だが破片が掠りグレイグの腹から血が飛び散る。それでも単分子拡張刃を背中に守りきっていた。



「がっっ……!」


「Ver1.08の知識しかない以上、努力したさ」



『アンファングロート』に飛行機能はない。であれば、何故落下中に蹴るなんて真似が出来たのか。答えは勿論、MNBである。



『アンファングロート』も同じく大きな瓦礫を掴んでいた。とはいっても1mもない、Apollyonから見たらあまりにも小さな石。しかしMNBで機体の質量をほぼ0にしてしまえば、この石ですら掴まり方向転換、そして蹴りの加速をするのに十分な重さを相対的に備える事になる。



 そうやってグレイグに飛び込んで来たのは5mにも及ぶ金属の巨人であり、ただそれだけの行為が即死に繋がる威力を持つ。



 Apollyonの強みは過去も今も変わらない。『洪鱗現象』により出来た歪んだ大地を多くの荷物を抱えながら素早く踏破できることだ。しかし戦闘用として拡張された今、抱える荷物は歩兵の食料などではなく、自身が用いる装備となっていた。



「発射」


「ちっ、20mより遠い……!」



 例えばこのように。『アンファングロート』が背中に装備している量産型Apollyon専用ガトリング機関銃もまた、仲本豪の記憶には存在しない武装である。オレンジが有用性を示したが故に、Ver2.00にて初めて登場したものだ。



 そして記憶にはないものの、このVerの仲本豪が自分宛てに残した射撃補正データは引き継がれていた。誰よりも長く戦場にいて、誰よりも長く撃ち続けた人間のデータが。



 故にその射撃精度は今の仲本豪の腕前ではなくVer2.00の彼が潜った死線を示していた。



 弾が吐き出される。空中で、反動で機体がガクガクと揺れるにも関わらず射撃はグレイグを捉え続けている。そしてグレイグは瓦礫を飛び移り回避をし続ける。足場が砕け、流れ弾で自身が死ぬことを理解しながらも20m圏内に向かって移動を続ける。



 足場が全て砕け散るより早く、グレイグは地面に着地した。あと1秒で『アンファングロート』は着地し、衝撃を減らすためにMNBを使う。その隙を狙うしかない、と足のダメージを飲み込みながら考える。



 ガトリング機関銃の音が止まり、赤熱した金属が擦れて鳴き声をあげた。それを見た瞬間グレイグは脚部のガスを解放し、一気に距離を詰める。



 だからこそ、そこでリスクを取るのが仲本豪の強さの所以だ。



 単分子拡張刃を槌が薙ぎ払い、飛び散る破片にグレイグが当たりゴム球のように地面を跳ねる。着地の隙など『アンファングロート』には存在しなかった。代わりに脚部がひしゃげ、左足は逆方向に折れ曲がっている。



 着地の衝撃緩和を捨て、代わりに突っ込んでくるグレイグにカウンターを行う。それが仲本豪の行った選択であり、足はその代償であった。



 落ちてきた瓦礫の粉塵が沈黙と共に収まる。数十秒の出来事であった。



 仲本豪は機体から降りてグレイグの元へ向かう。あのダメージを受けた以上グレイグがオレンジを追いかけることは不可能と判断、自分の仕事は終わったと考えていた。事実、グレイグの左腕は吹き飛び単分子拡張刃は制御を失い内部の鋼糸が融解していた。



「強い。前も一度も俺は勝てなかった。そして20年前の先生にも勝てなかった」


「お前は臆病すぎるんだ。初めの一撃、あと2歩踏み込んでいれば俺の手は使い物にならなくなっていただろう」


「その2歩が遠いんです。だから俺はここ止まりで、先生は上に行くことができる。……先生の本領は集団戦なのに、個人でもこの強さってやっぱりおかしいですよ」


「そうか」


「そうです。怖さを知って前に進むのは俺には無理です」



 グレイグが力なく笑う。彼は改造人間の中でもトップクラスの技量を持っている。にも関わらず、仲本豪の本領ではない個人戦ですら敗北した。



「……知るって、いいもんじゃ無いんですよ。知ってしまえば絶望が首を締めるし、誰かがやるだろうという期待が事実となって更に自分を当事者から遠ざける」


「……そうだな。自殺した者達もまた、知識の犠牲者だ。しかしそれがなくては前に進めない」


「本当にそうなんでしょうか?」


「どういう意味だ?」



 グレイグの言葉に仲本豪は疑問を抱く。ここまでの前提は未来から知識を得ることで世界を救おうとしている、というものだ。この点については多くの組織の認識は一致していて、そこからの権力争いに焦点が置かれている訳だが。



「『HAO』は固定された未来と接続する。そして未来に多重に干渉することはできない。つまり能力者の未来予知を元に作られた『HAO』のアップデートが行われない、ということは固定された、引用情報に成り下がる未来であるということが確定するんです」


「……」


「その認識が広まることにより、自分がいずれ終わる側だと気がつく。不老化技術なんて関係ないって。だからこそ自殺する。今『HAO』が生み出しているのは悪い未来の群れそのもの」



『HAO』が映す未来は今までとは異なり絶望した人間が自殺やら犯罪を犯す、不安と混乱が起きたものとなっている。『HAO』が無ければ、未来を固定しなければ起こらなかった筈のものだ。仮に今『HAO』を運営できなくすれば未来の固定化はなくなり、そういった混乱なく2050年に立ち向かえるだろう。試行回数一回で挑まなければならないという問題はあるものの。



「今や『HAO』が枷になっている。だからこそ俺たち革新派はあと一度だけアップデートを行わせた後に運営を止めさせます」


「話していいのか?」


「向こうも察知しています」


「オレンジはどうするんだ?」


「知らないです。あれは何も分からない。『HAO』がない、固定された未来で能力は使えない筈なのに偶に未来を読んだような動きをする」


「そうか」



 アップデートまであと10分を切った。二人の間に心地の良い沈黙が流れる。かつて出撃後の待機室もこうだった。仲本が本を読んでいてグレイグはディスプレイを覗き込んでいる。しかし互いを無視している訳ではなく時たまポツポツと会話して、そして夜が更けてゆく。



 今回もまた、いつも通り仲本がポツリと呟いた。



「本拠地の方はいいのか?」


「ああ、狙撃手のいる所ですね。確かにあそこには大事な情報があるけど、まあ10分でどうにかなることはないでしょう。狙撃手も弱みはあっても実力者だし、『教団』と戦っている護衛も戻ってくるでしょうし」


「それについてなんだがな。尾行していた者の一人、未島カナって名前らしい」



 唐突に投下された情報にグレイグが目を見開く。こんなタイミングで出てくる人間ではない。彼女は『教団』のトップであり、戦闘能力は最上位クラス。仲本豪を動員している時点でかなりマズイとは思ったものの未島カナまでもだと……!?とグレイグは己の計算違いを思い知る。



 そしてダメ押しの一言が飛び込んできた。



「あとパワードスーツ着た娘いただろ?あれオレンジ」


「………………………………?………………!?」



 一瞬思考が空になり、そして直ぐに嵌められたと理解する。オレンジを討伐し、そして引用情報に成り下がるまであと少しという状況で気が抜けた革新派陣営を最大戦力を以って叩き潰す。



 余りにも妥当な作戦だ。だが偽予言者狩りを知って、オレンジを名乗る協力者を用意して、そして『教団』とコンタクトを取る必要がある。いや、全てオレンジなら可能だ。オレンジはプレイヤーで、2040年で協力者を用意することができる。更には『教団』のトップに抱えられていた、つまりコンタクトをとりこちらの情勢を全て把握されている。



「だ、だがあの鍵が簡単に開くわけがーー!!」



「グレイグさん、実力あるけどこういうのガバガバでさ、パスコードとか割と見えてたんだよね。おいやめろ俺をカメラに映すな、顔映ったら『☆スターナイト☆』という黒歴史が比較対象として一気に拡散されるだろうがオレンジ!!わかったすぐやるから!今開けるほら開いたすぐ開いた!」

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