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どうやら、偶に程度の割合で熊と遭遇するらしい。何も安心できない。そんな危険な山で、この村の子供たちは遊んでいるのか……。
茂みの揺れがゆっくりと近づいてくる。
恐怖から、どちらともなく肩を寄せ合い抱き合った。
怯えながらも、私はテレビで見た、熊に遭遇した際の対策を思い出そうとした。けれど、街に住んでいる限り遭遇なんてしないだろう。と流し見していた情報は、混乱した頭の中から浮かんでくることはなかった。
「ど、どうするのっ」
「知らないっ」
「お姉さんの役立たずっ。あたしより長く生きてるんだから、なにか知ってるでしょ?」
「そ、それなら、日葵だって村育ちなんだから、なにか知らないの?」
私たちが余裕のない口論をしている間にも、草むらの揺れは徐々に近づいてくる。
「早く早く。どうしたらいいのさ? お姉さん」
「え、えっとっ……し、死んだふりっ?!」
日葵の動揺に対して私は、テレビで一般的には浸透しているが、最悪の手段だと言っていた方法を提案するしかできなかった。
――ガサガサガサっ。
更に茂みの揺れが近づく。
あと、二メートルくらいだろうか。
「ひぃやぁぁぁーっ」
「助けてっお姉ちゃーんっ」
緊張の限界に達した私たちは同時に、山中、いや麓の村中にまで響き渡るんじゃないかとすら思えるような声量の、甲高い悲鳴を上げていた。
茂みからはバッと、驚いた狸が飛び出して森の奥へと駆けていった。可愛らしい顔つき、まだ幼いのかもしれない。
安心して気の抜けた私たちは、その場にへたり込んで互いの顔を見た。強張っていた全身の筋肉が一斉に休みだしたように、力が抜けてゆく。
前を見ると、バカみたいに腑抜けた顔の女の子。我慢しきれずに吹き出して笑うと、日葵も同じように笑った。
「ふ、くくっ変な顔」
「あ、はははっ。お姉さんだって、おかしなの」
二人して意味の分からないくらいに笑った。夏の暑さで、頭の思考を司る部分あたりがバグってしまったのかも。
♯♯♯
空を見上げると、入道雲はいつからか灰色に変わっていた。空気が湿っぽい匂いを含んでいる。雨が降るのかもしれないな。
私たちはどちらからともなく、手を繋いで歩いていた。
時折、日葵がいたずらに腕を大きく振るので、私はつんのめって転びそうになる。けれど、怒る気はしない。寧ろ、楽しくて二人して笑ってしまう。日葵も私が怒らないと分かって、からかっているんだ。
今日初めて会ったにも関わらず、私は日葵に対して、昔から友人だったような親しさを感じている。年の差なんて気にならない。
日葵も同じように感じているのかを確認したくて、私は繋いだ手にギュッと力を込めた。日葵は同じように握り返し、こちらを向いて微笑んだ。
嬉しい。私の独りよがりじゃないんだ。
龍神様の住む川には、もう少しで着くらしい。祖母の家からこの山までの距離も近くと言っていた日葵の意見なので、当てにはならないが。
「お姉さんのことが、本当に好きなんだね」
何気なく、私が尋ねる。
「どうして?」
日葵は首を傾げた。
「だって、さっき草むらから狸が出てきて、驚いたときに『助けてっお姉ちゃーんっ』って叫んだじゃない」
先程の日葵の叫びを真似て、からかう。
「もう、それは忘れてよ」
照れながら、日葵は唇を尖らせた。
「あはは。ごめんごめん。でもさ、咄嗟に助けを求めるなんて、よっぽどお姉さんが好きなんでしょ」
「うん。大好き」
日葵は満面の笑みで答える。しかし、すぐに辛そうな顔になって目を伏せた。
「でもね、去年、居なくなったんだ。龍神様の花嫁になったの。向こうで幸せに暮らしてるから心配しなくていいって、大人の人たちは言ってる」
少し震えた声に、私は言葉が出なくなった。
「お姉ちゃんは勉強が出来て、学校の成績も優秀で、それでいて、村の外に出たいってよく言ってたから、遠くの高校を受験することにしたんだ。村の外に出たいってのは、その時のあたしには分からなかったけど、お姉ちゃんが賢いのは知ってたから当然だって思ったよ」
自分の事のように、日葵は誇らしげに話す。それほど、お姉ちゃんが好きだったんだろう。
「でもね、ここらの子のほとんどは近くの高校に進学するのが普通だから、みんなあんまり喜んでなかったよ。お姉ちゃんの学校の男子も、女子のくせに生意気だって。村の大人たちも、女の子にそんな遠くの学校に行かせる必要ない、お金の無駄だって。あたしにも聞こえるように陰口を言ってた。周りの人たちがそう言ってたからかな、お母さんもお父さんも、わざわざ遠くの高校に行かなくても、近くの学校でいいんじゃないのか? って反対してたよ。」
「……」
「いつの間にか。お姉ちゃんは裏切り者て呼ばれて出したんだ。村を捨てる裏切り者だって」
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