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日葵が何かを自身の内側へと押し込めて、隠したのには気がついた。日葵の言う裏切り者という単語に敵意は感じなかった。私に向けられた言葉とも思えない。なら、誰が誰を裏切ったんだろう。
でも、私は何も問わずに少女の後に付いて行く。
きっと、それは私が軽々しく踏み込んではいけない日葵のプライベートな領域で、必要があれば私にも話してくれるだろう。
今度は走らずに歩いて、山へと続く真っ直ぐな道へと戻った。
二人横に並んで歩く。
手に持ったペットボトルはほとんど飲み尽くしていて、私が腕を振る度にチャポチャポと炭酸ジュースの揺れる音がしていた。
「龍神様の花嫁ってなんなの? 言い伝えか何かあるんでしょ?」
私が尋ねると、日葵は顎に手を当てて考える素振りを見せた。
「ううんとね、よく知らない」
「は?」
予想外の返答に、私の口からは変な声が出ていた。
「知らないって、今から龍神様の花嫁に会いに行くんだよね?」
「うん。つまらない昔話だったから、忘れちゃった」
「よく知らない相手に会いに行くの?」
「……うん」
もしかしたら、龍神様の花嫁に会いに行くというのは出鱈目で、山に向かう理由は他にあるんじゃないのか。気になった私は日葵を問い詰める。
「よく知らないのに、何処に居るのかは知ってるの? それって、変じゃない。そもそも、本当にそんな非科学的な生物は存在してるの?」
「……うっるさいなあっ」
日葵は顔を真っ赤にして叫んだ。しまった。怒らせてしまった。
「居るったら、居るんだよっ。疑うんだったら帰ったら良いでしょっ。お姉さんに付いてきてほしいなんて、あたしは頼んでないんだからっ」
そっぽを向いた日葵は、競歩のような早足で私を置き去りに大股でズンズンと歩いてゆく。
やってしまった。そもそも、日葵が山に一人で行くのを勝手に心配して、勝手に着いてきたのは私なんだ。日葵からすれば、邪魔な人間だったのかもしれない。
紗奈に対する暗い気持ちを打ち明け、受け止めてくれたことで、日葵と仲良くなれたのだと勘違いしてしまった。距離感を間違えた。
「ごめんね」
言い過ぎたと謝るけれど、日葵は「ふんっ」と唇を尖らせて鼻を鳴らすだけで、それからは声を掛けても返事をしなくなった。
もう一つ尋ねたいことがあったけど、答えてはもらえなさそうだし、日葵をこれ以上怒らせるのも良くないと思って私は口を噤んだ。
どうして、龍神様やお守りは迷信だって信じていなかったのに、龍神様の花嫁は信じているの?
♯♯♯
道の側に続いていた田んぼは、いつしか雑多な草花の生い茂る草むらに変わっていた。たどり着けないんじゃないかとすら思えていた山も、今は目の前に広がっている。
真っ直ぐの道は山の奥まで続いており、車一台くらいならなんとか通れそう。
温くなって炭酸の抜けた甘ったるい液体を、残り全て喉に流し込む。
「ね、日葵ちゃん」
何度目かの呼びかけ。けれど、日葵はまだ意地を張っており、知らんぷりで顔をこちらに向けることすらしない。
日葵の取り付く島のない態度に、私は紗奈を重ねて思い出していた。
もうずっと会話らしい会話をしていない。私への当てつけのようにお母さんやお父さん、友達とは楽しそうに話すけれど、私の顔を見ると顔を強ばらせて、目を逸らすだけ。
子供の頃は何処に行くにも一緒だったのに。今は互いに――いや私だけかもしれないが――意地を張ってしまい、どう態度を軟化させれば良いのか、そもそも紗奈と仲良かった頃の私はどんな顔で、どんな声で接していたのかすら分からなくなっていた。
一緒に住んでいる紗奈にすら声のかけられない私が、さっき出会ったばかりの他人。その上、歳の離れた子と仲直りするなんて出来るはずがない。
「あのさ、日葵……」
――ガサガサっ。
何度目かも分からない私の呼びかけは、突然少し遠くの茂みが震えた音によって止められてしまった。
驚いた私たちは、ほぼ同時に肩を跳ねさせ、揺れた茂みを見た。
音のした方向を見るけれど、背の高い草むらに遮られて正体は分からない。ただ、着実ににじり寄ってくる。生き物には間違いなさそうだ。
「ね、あれ、何?」
「し、知らないよ。見えないんだから、分かるわけ無いじゃん」
意地を張っている余裕もなくなったらしく、日葵は震えた声で私の声に答えた。
風で揺れたにしては、草むらの揺れが局所的すぎる。人が隠れるには、草むらの高さは低すぎる。なら、動物……。
そこまで考えて、私は最悪の想像をした。
「この山って、熊出るの?」
首をブンブンと縦に振って日葵は答える。
「見たこと無いよ」
日葵の否定に、私は少し安心した。それなのに、
「でもたまに、大人の人たちが熊が出たぞって大騒ぎしてるよ」
安心した心はすぐに打ち消された。
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