梨田 泰造 Ⅷ
気がつくと街を歩いていた。変装をしているところをみるとどうやら北野さんと打ち合わせをした後である事が分かった。
こんな事があるのだろうか。先程までは現在にいたが今は北野さんと行った過去へ再び来ていた。私は妻との思い出を思い返し、妻に本当の事を伝えずウソをついた事に強く後悔をした。
その後悔のウソにタイムマシーンが反応したらしく、過去へ来ることが出来た。願ってもないチャンスが訪れたのだ。
もう修正不可能かと思っていた事態が急転した。もうミスをする事は出来ない。そうそううまくチャンスが回ってくる事などは無いのである。
私は今回はウソをつかずに正直に話そうと決意し妻が現れる方向へと向かった。妻はきっと分かってくれると信じながら。
前回遭遇した場所へ辿り着くと、視界の先には妻がいた。風邪を引いている私の為に行動してくれている。感謝してもしすぎる事はない。
どんどん距離が縮まっていく。私は変装用の帽子と眼鏡をとり、中年太りで丸くなった素顔のまま妻と接触する。妻は私だと気付いてくれるだろうか。
とうとう妻との距離がなくなった。
「あの……。すみません。いきなりで驚かれると思いますが、少しお話いいでしょうか?」
畏って話しかける。こんな夜間にいきなり中年のおじさんが話しかけるのだ、極力怪しまれない様に慎重に言葉を選んだ。
「えっ? えーと、私ですか?」
「はい。突然で本当に申し訳ないのですが、私は梨田泰造です。あなたの夫なのです」
「……? ど、どういう事ですか?」
怪訝な顔で聞き返された。それはまさに教科書通りの反応だった。それはそうだろう。いましがた家で過去の私に見送られて出てきた所に、中年太りのおじさんにあなたの夫ですと言われて、はいそうですかとなるはずがない。
それは分かっている。だから、一回目はウソをついたわけである。しかし、今回はそうするわけにはいかない。
より確実に妻が生き残る方法を選択しなければならない。
「あなたの気持ちも分かります。しかし、どうしても伝えなくてはならない事があるんです。」
「は、はぁ……ちょっと私急いでおりますので……。家で主人が体調を崩して待っていまして」
そういうと社交辞令の様な笑顔で軽く会釈して私の横を通り抜けていった。
「待ってください!」
私は妻を力強く呼び止めた。
「私はあなたに何度も何度も背中を押してもらいました。そして、ここへ再び戻ってくる事が出来たのもあなたのおかげです」
妻が足をとめ体がびくんと震えた。
「ど、どうしてその言葉を……?」
「私はあなたを救いたいんだ! それが……それだけが私の望みなんだ!」
「も、もしかして本当に……」
妻は振り返り、信じがたい事が起こっているといった表情を私に向けた。
「私は未来から来たあなたの夫です。あなたはこの後ある男に殺されてしまいます! それは過去に二度も起こっている。もうこうするしか方法はなかったんです。どうかわたしのいう事を信じて下さい!」
妻は逡巡する様に間をとって、不意に笑顔を見せた。
「あなた太ったわね……。ちゃんと体調管理をしないとダメよ。まったく……、私が付いていないとダメね」
微笑みかけてくる様に話す妻をみて気持ちが通じたんだと感じた。妻が口にしたそれは、以前私に話していた様な口調だった。
「あぁ……。そうなんです。私は君がいないとダメな人間なんです」
「まぁ、そんな事は百も承知だけどね」
そして、妻にはこのまま家に帰る様に言った。そうする事で犯人の男との接触の可能性を完全に断ち切るのだ。
「でも、家ではあなたが苦しそうに唸っているわ……。薬とか買って帰らなくても大丈夫かしら……」
「問題ありません。本人がそう言っているのですから……」
「ふふふ。確かにそうね。未来のあなたに会えて良かったわ。気を付けてね。私はこれからあなたが太らない様にしっかり管理しなくちゃ!」
「宜しく頼みますね……」
そして私たちは別れた。何度目の別れだろう。しかし、この別れは確かな未来へと繋がる前向きな別れになる。そう信じている。しかし、自然と頬を伝う涙を止める術はなかった。
その後私は犯人の男の動向を探るべくコンビニに急いだ。万全を期したはずだが、万が一も十分あり得る為直接確認しておきたかったのだ。
しばらく歩くと前回同様に、犯人の男は警察官に囲まれていた。私は遠巻きに状況を見張っていく。やはり犯人の男は恫喝する様に喚き散らしている様だった。
ここまでは前回目にしていたが、その時は私が犯人の男から離れてしばらくすると逃げ出していったのだろう。
その為、逃げ出すまで様子を見ていると、犯人の男が警察官を軽く小突いた所で勢いよく駆け出していった。その際おそらく忍ばせていたであろう刃物が地面に落ち、鈍い音が鳴った。
犯人の男は必死の形相で私のいる方向へ走ってくる。そして背後から追いかける警察官。それらはどんどん私へ近付いてくる。
犯人の男が私の脇を走り抜けようとしたその時、私は足を伸ばした。犯人の男の動きを止める為に、必死で動かしているその足目掛けて自分の足を伸ばしたのだ。
すると見事に足が絡み犯人の男は万歳をするかのように手を挙げ、前方へ身を投げ出された。その機を逃さず警察官たちが犯人の男に覆いかぶさる。
それを確認して早足にその場から立ち去った。これであの犯人の男も逮捕され、新たな被害者を生む事もなくなったであろう。そして妻を救う事が本当に出来たのだと実感した。長い事それだけを夢見てきて、一度は失敗に終わったがそれもやり直す事が出来た。
ウソをついた事を後悔する。それ自体はネガティブな印象を受ける。しかし、後悔するという事は改善したい、何かを変えたいという気持ちの表れでもある。
事実私は今回妻が死んでしまった事に対してウソを後悔するよりも先に、自暴自棄になり復讐という選択肢を選んでしまった。
しかし、妻との思い出が私の背中を押してくれたことで諦めたくないという気持ちが強くなり、そこからウソをついた事を強く後悔するに至った。
ようするに、妻を救う事を諦めたくない気持ちが強い後悔を生んだといってもいいだろう。
後悔をしないように生きていく。それはそれでとても素晴らしい事だと思う。しかし、後悔が生み出すものが必ずしもネガティブなものではなく、ある意味ポジティブな考え方や行動をもたらせてくれるものとするのならば、それはそれでいい事のようにも思える。
私はホテルへ戻りそんな事を考えながらベッドで横たわっていた。妻が生きてくれているとして、私にとっては空白の二十数年間、妻はどのように歳を重ね、どのような女性へとなっているのであろうか。
少し怖いような、楽しみなような複雑な気持ちだ。どちらにせよ妻が生きてくれている、それだけで十分である。
長かった一日も終わり、ウトウトしだし、現在に妻が存在してくれている事だけを祈り、眠りについたのであった。
そして、75時間後私は現在に戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます