梨田 泰造 Ⅶ
やはりそうだった。
目を開けるとそこは見慣れた景色があり、見慣れた顔も見る事が出来た。
しかし、皆が一様に押し黙っていた。まるで時間が止まった様に沈黙が流れていた。
「おかえりなさい……」
最初に言葉を発したのは西島さんであった。
「えぇ……」
私は現在に戻って来てしまった。おそらく北野さんと揉み合っている時に75時間が経過したのだろう。隣には下を向き虚な目をしている北野さんがいる。皆川君の姿も見えるが、やはり目は私から背けられ下の方を見ている。
私は何もする事が出来なかった。妻を救う事が出来なかった。この為だけに今まで多くの時間を費やして来たのにだ。
「どうして……」
「所長……すみません、でも……」
「皆さんはどうして私の邪魔をするのですか……?」
皆は下を向いたままでいた。
「私はね、この為だけに今まで生きてきました。妻を救う事が私の全てだったのに……」
「私達は所長に復讐なんてして欲しくなかったのよ……。奥様が救えず自暴自棄になるのはわかるけど……」
まただ。またそのセリフを吐く。皆すぐに私の気持ちが分かるという。しかし、分かるわけが無いのだ。私の気持ちは誰のものでも無い。わたし以外の誰のものでも無い。
「気持ちが分かる!? そんなわけあるはずない! 気持ちが分かるなら何故止めたんだ!」
気持ちの昂りがそのまま語気に移る。
「私はこの20数年これしかなかったんだ! その為だけにタイムマシーンの研究を辞めずに続けてきた。そしてようやく回ってきたチャンスだったのに……」
「その為だけにって……、所長は皆の後悔のウソをなくして人を救いたいって……。あの言葉はウソだったの?」
「ウソ? そう言われればそうかもしれませんね。私の根本は妻を救いたいという気持ちです。人を救いたいいうのはいわば副産物です」
「副産物?」
「そうです。妻を救う為にやって来た事が結果として人を救っていたのです。皆川君の時だって利用したと言ってしまえばそれまでです。あんな前例のない事を進めてしまうなんて、無謀すぎると思いませんか? それもこれも妻を救う為に必要な事だったんです」
「そんな……」
皆川君は黙り込んでしまった。利用されたと知ってショックを受けているのかもしれない。
「所長……、それは違うと思います。発端はなんであれ所長が今まで多くの人を救ってきたのは事実です。僕の時もそうでしたし、里佳子さんの時だって……僕たちが所長の研究で救われた事は事実なんです!」
「そうよ! 所長はあの時とても親身になってくれていたわ! それが見せかけだなんて思えない!」
二人とも体を震わせながら言ってくれている。確かに色々と奮闘していた根本は妻の事があったからだったが、後悔のウソをなくして生き生きとしだす依頼者を見ているうちに、この人達の力になれて良かったと心の底から思うようになっていた。
しかし、いくら多くの人を救う事が出来ても、根本的な――妻を救う事が出来なくては意味がないのだ。
それが叶わなかった今、私は全ての原動力をなくし、残ったものは犯人の男への復讐だけだった。
――それなのに、それさえも……。
その時不意に妻との思い出が頭の中に現れた。あの海岸での思い出だった。
「私が海が好きな理由って知ってる?」
「いやぁ、分からないな。何か理由があるのですか?」
「それはね、海って何度も何度も波が押し寄せてくるでしょ?」
「そうですね、あれは風が引き起こしているものなんですよ」
「もぅっ! そんな事言ってるんじゃないのよ!」
「すみません、仕事柄ついつい、それがどうしたんですか?」
「波を見ていると何度も背中を押されているような気がするの。諦めないでー、頑張ってー、もうひと押しよーって」
「なかなか斬新な考えた方ですね」
「だからね、この海岸に来たかったのもあなたに波を見せたかったからなのよ。あなたが行き詰まった時、わたしが波の様に何度も何度も背中を押してあげるわ。だから、そんな時はこの海岸の事を思い出してね!」
妻はそう言って海岸を覆う空の様に晴れやかな表情で言っていた。
――何故急にこんな事を……。しかし、もう無理なんだ。君がいくら背中を押してくれてもどうにもならないんだ。申し訳ない……。何であの時正直に君が死んでしまう事を言えなかったのだろう。どうしてあんなウソをついてしまったのだろう……。
しかし、その時ふわっと背中を押された気がした。それに対応出来ない自分を悔やんだ。そしてあの時ついたウソを強く悔やんだ。
――あのウソをなくす事が出来れば……。
その時だった。この沈んだ空気を切り裂く様にけたたましくアラート音が鳴り響いた。その場にいた全員がパソコンの方を振り返った。
その画面には北野さんの時と同様の日付を示していた。
――まっ、まさか!
私はパソコンへ駆け寄る。皆が後に続いて駆け寄る。
「しょ、所長! これって!」
「ええ! そうかもしれません!」
所長は慌ただしくパソコンを操作し、最後のボタンを弾いた。
「皆さん! 行って来ます! 後悔のウソをなくしてきます!」
やがて視界は暗くなり、意識が薄れていった。
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