梨田 泰造 Ⅵ
すっかり日も暮れ辺りを暗闇が支配するように景色を暗く染めていた。その暗さに自分がこれから実行する行為に対する恐怖心を煽られているような気がして、それではダメだと心を強く持ち直した。
――これが私が妻にしてあげられる唯一の事なのだ。
そう思いながら待ち合わせ場所に近付いていく。やがて、北野さんの姿が見えてきたがどうやら誰かと電話をしているらしかった。
電話を遮るのも悪いので気付かれないように静かに近付いていく。
それでも、私の気配に気付くと慌てたような表情で電話を切り上げていた。
「すみません、お電話大丈夫でしたか?」
「あ、い、いえ……大丈夫です。それより早速レンタカーに行って車を手配しましょう!」
とても動揺しているように見えた。やはり、北野さんはまだ妻の事を意識してしまっているのだろう。また、この青年の心に重いものを残してしまったのではないかと申し訳なく思う。
レンタカーを手配して目的の廃工場がある地域まで来た。それなりに時間はかかっており夜は更に深みを増していた。
山に入るも途中まで舗装してあった道路も徐々に頼りない物と変わっていき、とうとう道路の舗装もなくなりむき出しの地面を走るようになる。
細かい砂利や窪みを走る車体はガタガタと揺れ、時折り大きく揺れる事もあった。
しばらくそんな調子で車を走らせていると、とうとう車が入る事が出来るような道はなくなっていった。細かい獣道が数本ある程度になった。
「北野さん、ありがとうございます。あとは危険ですので私が歩いて探してみます。あなたはここで待機しておいていただけますか?」
「えっ、私もご一緒しますよ! 教授一人では、それこそ危険ですよ」
「大丈夫です。皆川君が探し当ててくれた地点をスマートフォンに入力してありますので……。それにこんな山奥で二人同時に滑落なんてしたら目も当てられません。あなたがここに残っていただいた方が私も安心です」
「……分かりました。気をつけて下さいね。それに現在に戻る時間もありますから、それにも気を遣って下さいね」
私は頷いて見せて、手を挙げ獣道へ足を踏み出した。もとより、私は現在に戻る気持ちはなくなっていた。妻がいない現在に戻る事は何も意味を為さない。
それよりはあの男に直接手を下す事の方がよっぽど意味のある事だった。
スマートフォンに位置情報入力しているとはいえ、この山道ではなかなかうまく探る事が出来ずに苦戦してしまう。木々が乱立し、その細い枝葉が行手を遮る。
それらをかき分けながら進んでいく。スマートフォンでは入力した地点がすぐ付近である事が示されていた。視界には廃工場と思わしき建物が飛び込んできた。
草木に囲まれ鬱蒼とした中に、突如として開けた空間が現れ、その中に工場はひっそりと佇んでいた。このような山間部になぜ建てられたかは分からないが、かつては活気に溢れていただろうが今はその面影はなく、周囲と同化するように鎮座していた。
不意に背後から視線のようなものを感じた。
急に背筋が凍る感覚に陥り、背後を振り向く。そこには今かき分けてきた枝歯が元の位置に戻っており、視線を遮る。
――もしかして、犯人の男がうろついているのではないか?
考えたくも無いが、こんな人里離れた山奥では一番しっくりくる考えだった。獣道を外れ脇へ身を潜める。しばらく辺りを見回すが特に人影は見られなかった。
再び工場へ向かって歩き出す。工場の敷地内に入り入り口を探していく。先程の物陰の事もあり、不測の事態に備えて持参した刃物を握る。
中へ入る事が出来そうな入り口が見当たらない。周囲を気にしつつ歩いていると背後から物音が聞こえた。
そう思った時には何者かに口を押さえられ、体をもう一方の手で拘束された。そして、力強く後ろに引きずられ藪へと引き込まれる。不意を突かれ、握っていた刃物も落としてしまった。
――しまった!
ここまで来てまた何も出来ずに終わってしまうのか……。結局私は妻に何もしてやれないのか。
「教授! 私です!」
そこで聞こえてきたのは北野さんの声だった。殺されてしまうのでは無いかという鋭い緊張感から胸の鼓動は激しくなっていた。知っている声が聞こえてきてもなおそれは続いていた。
震える中で私は小さく頷いた。すると拘束が解かれ体は解放される。勢いよく振り返りその姿を確認する。実際の北野さんを確認する事が出来ると、ようやく鼓動の加速が緩められた。
「教授! 何やってるんですか?」
「何って? 貴方も分かっているでしょう! 犯人の居処を探しているんですよ!」
犯人を追い詰めようとしていた所を邪魔され自然と声が大きくなる。それとは真逆に沈んだトーンで北野さんが口を開いた。
「……刃物を持ってですか?」
「……っ!」
見られていたのだった。先程感じていた気配は北野さんのものだったのだ。弁解の余地もなく黙っていると北野さんは更に言葉を繋いだ。
「……。やはりそうでしたか。WB LIEの西島さんから電話があったんですよ。もしかしたら教授は自分で犯人に復讐するつもりかもしれないって……」
「なっ……」
――勘付かれていたか。いつからだろう? いやそんな事はどうでもいい。誰にも邪魔させるつもりはない。
「教授やめましょう。お気持ちは分かりますが……」
「気持ちが分かる? 軽々しく言わないで欲しいですね……。貴方に私の気持ちなんて分かるはずないんだ!」
「……。WB LIEのお二人、すごく心配してらっしゃいましたよ……。どうか所長を宜しくお願いしますと、懇願されましたよ」
そう言われると気持ちが微かに動く感覚が訪れる。それを振り払うように語気を強める。
「あの二人にしたって関係ないんだ! これは私と妻の問題なんだ! もう私には構わないでくれ!」
言葉を言い捨てた私は振り返り、工場へ向かって行く。すると後ろから再び体を掴まれてしまう。
「放してくれ! もういいだろう! 頼むからほっといてくれ!」
腕を振り払おうともがいていると不意に視界が暗くなる。これは数日前に感じた感覚に似ていた。
――まっ! まさか!
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