梨田 泰造 Ⅱ

「所長! 今どこにいるんですか?」


 物凄い勢いで西島さんが突っ掛かってくる。目の前で人一人が居なくなったのだ、このように反応するのは当然だろう。心配をかけてしまい申し訳ない気持ちになる。


「すみません。先程も言いましたが、私にはどうしてもやりたい事があったのです。実は――」


 私は電話でこれまでの経緯を伝えた。過去に昨日あった殺傷事件の犯人に妻が殺された事、その事件に北野さんが関わっていた事、妻を救いたいとずっと思っていた事、それらを説明した。


「私は妻を助けたかった……。その機会がやっと訪れたんです。お話しなかった事は申し訳ありませんでした。私の個人的な問題なのでお話しするのも申し訳ないなと思っておりましたので……」

「そういう事だったんですね。それでも言ってもらえたら良かったのに……まぁでも実際所長も過去へ行く事が出来るなんて知りませんでしたよ」

「私も確信があったわけではありませんでした。ただ可能性はあるだろうとはずっと思っていました……」


 それから今回の作戦を話し、75時間後には北野さんと現在に戻る予定だと伝えた。


「ただ、過去に来る事は出来ましたがうまく戻れる保証はありません。しかし……それは覚悟の上です。妻には寂しい思いをさせてしまうかもしれませんが、それでも彼女には生きていて欲しい……それでいいのです」

「所長……、でも行けたんですからきっと帰って来られますよ! 僕はそう信じています!」


 話が終わり電話を切る。そして時間まで辺りを見て回る事にした。持ってきた鞄から帽子とメガネを取り出した。


 中年太りでだいぶ様相が変わっているといっても、この時代に自分が二人いる事に気付かれる可能性はある。その為変装用に持ってきたものだった。


 それを身に付け歩き出す。当時、事件があってからこの地を出て行ったので久し振りにみる光景に思わず笑みが溢れる。今までは辛い記憶ばかりが思い出されていたが、妻が助かるかもしれないと思うと不思議と楽しかった思い出が頭に登ってくる。


 二人で歩いた道や立ち寄った公園など妻との時間が鮮やかに蘇ってきた。懐かしい気持ちで辺りを歩いていると約束の時間が近づいてくる。


 私は当時の自宅の方へ向けて歩き出した。あの夜、私は高熱を出してうなされていた。そこで妻が薬や氷を買いに行ってくれたのだ。夜間であったが体調不良の辛さもあり、妻の申し出に甘えてしまった。


 足を止め腕時計を見やる。そろそろ23時だ、北野さんは上手くやってくれているだろうか? そこは信じるしかなく、私は自分がすべき事をやる為に再び歩き出した。


 目的の場所に到着し妻が姿を現すのを待っていた。緊迫感のある状況にも関わらず20年ぶりの再会に心踊る。ずっと願い続けていた瞬間だ。否が応でも胸の鼓動が高まる。その音がまるで耳のすぐそばで鳴らされているかのように聞こえる。


 すると遠くの方から一人の女性が歩いてきた。それは今まで会いたくて仕方がなかった私の妻だった。


 浮き足立つ足取りを悟られないように慎重に歩を進める。そして、ちょっと不自然だが後方を確認するように半身で後ろを見ながら歩き、妻に体を軽くぶつける。


 体がぶつかった拍子に持っていた鞄を少し大袈裟に落とす。開けられていた鞄から中身が少し出て地面に転がる。


「あっ! すみません。お怪我ありませんか?」


 私は妻にそう言った。久し振りに再開する妻は当時と全く変わりない――過去に来ているので当然だが――容姿でそこで立ち止った。


「いえいえ、そちらも鞄が落ちてしまって……。こちらこそすみません」


 そういって鞄から飛び出たノートやらペンやらを拾ってくれていた。


「すみません。いや、先程この道をまっすぐ行ったカフェにいたんですが、どうやらそこで映画か何かの撮影をしていたようで……」


 妻は意外にもミーハーな所があり、芸能人や有名人などその手の情報に食い付く傾向があった。私はあまりその辺に興味がなかったので多少冷ややかな目で当時は見ていたが、まさかこんな状況で役にたつとは。コンビニから遠ざける為にはこの手のウソはうってつけだと考えた。


「えっ! 映画の撮影ですか? すごい! 誰がいたか分かりますか?」

「いや、私はそういうものに疎くてよく分かりませんでした。もし気になるようなら行ってみてはいかがですか?」

「はい! そうします! ありがとうございました!」


 短い再開と言葉のやり取りだった。妻は足早にそちらのカフェの方へ向かって行った。


 私の元からいなくなった妻を見つめていると、涙が自然と零れ落ちた。ほんの一瞬の出来事であったが、その声、その仕草が胸を強く打った。妻が亡くなってから溜め込んでいた愛情が一気に溢れ出した。


 更にもう二度と会う事が叶わないかもしれない事も感じていた。でもこれで妻は助かるのだ。久し振りの再会、それだけで満足だった。心残りはもちろんある。ただそれは考えないようにしていた。

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