北野 祐二 Ⅱ

 昼休みに聞いたそのニュースは当時の記憶を蘇らせ、その後の時間を陰鬱なものとした。


 仕事が終わっても気持ちは晴れず、トボトボと帰宅していた。新たな被害者を生んでしまった事に対して、俺のせいだという気持ちが強くのしかかる。


 その道すがら見慣れない建物に目が留まる。今まで何度も通った帰宅路であったし、今日の朝も出勤時に通っている。その時にはこんな建物は無かったはずだ。


 建物の脇を通る時、一人の青年に喋りかけられた。どうも俺は赤の他人にまで心配される程ダメージを受けているように見えるのだろう。それを見抜かれた様に感じ、イラつきを覚える。大人げないとは分かっているが声を荒げて対応してしまう。


 その時だった。建物の扉から中年の男性が顔を出して青年なのか俺なのか分からないが声を掛けてくる。初めはまた厄介な奴が出来てきたと顔を見やるが、どこか記憶にひっかかりのある顔だった。まじまじとその顔を見ているとハッと気づいた。


――この男は教授だ! 時間経過なりに老け込んではいるが間違いない。奥さんを殺害されたあの教授教授だ……。


 俺は驚きのあまり逃げ出すように歩き出していた。頭の中は混乱をきたしていた。


――何故教授がこのタイミングで俺の前に姿を現すんだ? 奥さんを殺した男が逮捕されたこのタイミングで……。


 自宅についてからも気分は晴れない。テレビは例の事件を流してる為テレビも見る気にもなれない。妻と一人娘にはこの心境を悟られたくなかったので自室にこもる事にした。


 デスクに座りながら天井を仰ぎ見る。例の事件とあの見慣れない建物、そしてその中にいた教授……、これらが一斉に現れた事は偶然なんだろうか? 俺の心にずっと引っかかっているモノ同士が一挙に現れた事に不思議なつながりを感じる。


 自分の中でずっとうやむやにしていたウソ。それによる新たな被害者と過去の被害者。俺の気持ちは当時の俺に対して叫んでいた。


――あんなウソを付くんじゃねー! お前の人生はずっと後ろめたさで覆われてしまうぞ!


 俺は覚悟を決めた。明日の仕事帰りにあの建物を訪れてみる事――教授に会ってみる事を。それが何につながるのかは今は分からない。ただ、それをしなくては俺は一生この気持ちを抱えながら生きていく事になるような気がしていた。


 翌日仕事帰りにあの事務所の前まで歩いてきた。今朝も思ったがやはり見覚えがあまりない建物だった。何かカフェのような外観だが、ドアの前には一際目を引くものがあった。それはカフェにあるメニュー表のような看板でそこには『あなたのついたウソ引き取ります……』と書かれていた。


 その言葉を見ると俺がこの建物に導かれた理由もなんとなく感じる事が出来た。ウソを引き取るとはどういった事なのかも想像がつかないが、今の俺には何よりも救いになるような言葉に思えた。


 思い切ってこの建物のドアハンドルを引き寄せる。ドアを開け中を見ると、外観通りの内装で落ちついた雰囲気を醸し出していた。すると昨日の青年が近寄ってきた。


「あっ! 昨日はすみませんでした! いきなり変な事ばかり言ってしまって……」

「いえ……こちらも突然の事でびっくりしてしまい大人げない対応をしてしまって申し訳ない」

「いえいえ、こちらこそ……。えーと、今日はどうされたんですか?」

「……用って事はないのだが、昨日は悪かったなと思ってね。ここは何をしている所なのかな? 見た目はカフェっぽいけど中はそうでもなさそうだし……」


 すると奥の方から中年の男性が姿を現してきた。教授は笑みを浮かべて俺に話しかけてくる。当然だろうが俺も学生自体に比べればだいぶ老け込んでいる。俺の事には気付いていないようだった。


「先日はこちらの所員が失礼な事を申し上げまして、申し訳ございませんでした」

「いえいえ、そちらの青年にも言いましたがこちらの対応も良くなかった所もありますし……」


 そういって俺は頭を軽く下げる。そして今度は教授に尋ねる。


「こちらは何をされている所なんでしょうか? 外の看板にはウソを引き取るだなんだと書かれていましたが」

「看板見られましたか? 私実はこういった者でして。失礼ですがそちらのお名前は?」


 そういうと教授は名刺を渡してきた。この中年男性の名前は梨田、そうだった、教授の名前はその梨田だった。やはりこの男は教授であった。名刺にはここの名前であろうWB LIEの文字と、またウソについての記載がある。


「あ、ご丁寧にありがとうございます。私は北野きたのと申します。……この名刺にもウソについて書いてありますね。これって?」

「北野さんですか……。それでは北野さんに当事務所の仕組みをご説明致しますね」


 そこで教授はこの建物――WB LIEの仕組みを説明してくれた。どうやら教授は今は大学で教鞭はふるっていないらしく、この仕事一本でやっているような感じだった。


 仕組みはかなり不思議な話だが、俺にとっては魅力的な話でもあった。過去のウソを無しに出来るなんて今の俺にはうってつけじゃないか。そう思った。


「では、仮に私が後悔しているウソを持っていたとして、こちらへお願いすれば過去へ連れて行ってもらえるって事ですよね?」

「そうなりますね。ちなみに、北野さんは後悔のウソをお持ちなんですか?」


 俺は唾を飲み込む。その音がここの面々に聞こえたのでは無いかと冷や冷やした。そうなのだ、俺は後悔のウソを持っている。しかし、その解消に行くならあの話をここでしなくてはならないという事になる。


 今までフタをしていたその出来事に関する真相を口にしなくてはならない。そこに生じる拒否感はあるが、それ以上にもうこんな思いは捨ててしまいたいという気持ちが優っていく。


 俺は決心してその言葉を口にする。


「私には後悔しているウソ、とても重大なウソがあります……」

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